それぞれの顔

 翌日の木曜日、望月は普段通りに教室の席に着いた。

 隣から柑橘系の爽やかな香りがしたので振り向く。

 高岩がこちらの席に半身を乗り出していた。


「ね、ね、日記、書けた?」


 修学旅行の前日みたいにソワソワしていて落ち着く様子がない。

 机の横に掛けた鞄から交換日記を拾いだして、手渡す。


 目がキラキラと輝いていた。


「やったー! 書いてくれたんだね、ありがとう!」


 さーて何を書いたのかな、と興味津々で高岩が交換日記の表紙をめくる。


 ……っていやいや!


「高岩さん! ちょっと、ここ教室だから」


「だから?」


「だから、え~と、中身見られちゃうよ」


「別に良いじゃん。もしかして、日記に恥ずかしいことでも書いちゃったの~」


 フフッ、と意地の悪い笑みを浮かべる高岩。

 身の危険を感じ日記に手を伸ばすも、ひらり、ヒラリ、と空気に触れるのみ。

 まるで駆け引き上手な猫を相手にしてるようで、指に触れる一歩手前でかわされてしまう。


 というか、猫は自分ではないか?

 ふと冷静になった自分がいて、自分と自分の周囲を見下ろし観察する。


 これじゃあ猫じゃらしにじゃれつく猫だ。

 というのが冷静な自分の意見だった。


 その予想は外れている訳でもないらしく、ちらほらと視線を感じる、その内の1本を辿ると、微笑ましい表情を、口元に指を添える様にして隠している春野がいた。


「あれ? もう良いの?  読んじゃうよ」


「もう良いよ、これ以上目立ちたくないんだ」


 ん? と小首を傾げる高岩。


 元々見られるのが前提なのだから怖いものなんてないじゃないか、と自分の心を説得するも、納得しない自分もいて。答えを出せずにいた望月は、とうとう諦めたように机に突っ伏した。


「ごめんごめん、ここでは読まないから、元気だして、ね?」


 流石に悪戯が過ぎたと思ったのか、高岩はごめんと何度も呟く。


 やっぱり、これから大変だ……。


 望月は億劫とした表情で、顔の前で両手を合わせる高岩を見上げてそう思った。



 □■□■□


 今日の授業が終わり、教科書を鞄に突っ込んで席を立つ。高岩が、「今日はアタシだね!」と元気良く言って教室から駆け出す。


 その後ろ姿は頭の回転が落ちて気怠げな顔の生徒とは反対に、これから遊園地にでも出向くかのようにはしゃいで見えた。


 彼女が教室から去るのを見届けた望月は、少しだけ口元が緩み、穏やかな表情を浮かべている。


「さてと、俺も帰ろう」


 鞄の重みを肩で確認するようにかけ直し、歩み出す。ガラガラと教室の戸を開き階段に向かおうとすると、何かに当たった。


 突然のことに強張っていると、正面の上辺りから掠れた声がした。


「……ごめん」


 見ると、すだれのように外界を仕切る前髪から目が覗いていることに気付く。


「あ、確か葛城君。ごめんね当たっちゃって」


 言葉を掛けるも反応がない。ただただ線引きしたような髪の隙間から瞳が映るのみ。


 不気味に感じた望月は、サッと葛城から離れて階段へと向かう、下る瞬間にチラッと教室の戸を確認すると、葛城がこの世をさまよう幽霊の様にしてこちらを見ていた。


 望月は、何とも言えない不気味さに肩を震わせた。



 □■□■□


「クックック、あの2人、今頃何してるのかな。なあ、お前はどう思う?」


 弄んでいた果物ナイフを中年の女性に向けると、女性は目を剥き出しにして後ずさった。


 狼少年は笑う。


 まるで地を這うイモムシ見たいな姿に、少年は嗜虐心がくすぐられたのか女性の目の前で刃をちらつかせる。


 女性はびくびくと痙攣し出せない声を上げる、その隣にいる男性が庇うように前へ乗り出した。

 狼少年はその光景に漏れ出す笑みを抑えるように手で口元を隠す。しかし、男性の取った行動が気に食わなかったのか、チッ、と舌打ちを鳴らしつつ男性を横凪ぎに蹴り飛ばした。


「あーあ、そういうのつまんないんだよね。愛ってやつ? それとも絆? クックック、おかしすぎて反吐が出そうだ」


 少年は崩した表情を繕う様に、1度顔を手の平で覆う。


「なあ、お前はどう思う? あいつの事」


 少年が問いかける人物は黙って戸の前で佇んでいた。


 狼少年は、覆う手を別の生き物のようにくねくねと指を動かす、顔の形成が整ったのか手の平を仮面の様に剥がし、いつもの薄ら笑いを浮かべて、振り向いた。


「クックック、中々良いんじゃない、その表情。ちゃんと自分の立場をわきまえてますって感じ」


 少年は椅子に腰かけ、足をテーブルの上で組む。重い淀んだ空気しか流れない部屋で、少年だけがおかしそうにクツクツと笑い続ける。


「頑張ってね、お前次第でこの2人がどうなるか決まるんだから」


 その人物は、狼少年に獲物の名前を聞いた。


 クツクツと、狼少年が笑う。


「そう。望月君、だよ」


 □■□■□


「望月君、最近はどうかしら。何か変わったことはない?」


 その日の報告に、いつも通り織姫は状況を確かめるため望月に問いただす。


 特に変わった事はないよ、というと、俯き加減でそう、と素っ気ない返事を返した。


「今回の敵はかなり慎重ね」


 織姫は思案顔でそう言う。


 望月にはピンと来るものはないけれど、織姫の態度から今までの襲撃と比べて平和な日が続いていたらしいことを悟る。


「……今まではどうだったの?」


 少し戸惑ったが、望月は好奇心と今後の参考にと敢えて踏み込む。「たしか」と織姫が口を開く、その早さに少しだけ驚いた。



「連日して仕掛けてくるのもいたし、手癖の悪い人もいたわ。武道派が大半、ってところかしら」


 けれど、と続けざまに言う。


「狼少年の彼、ちょっと不気味なのよ。色々と……」



 と、腕を組んで何かを考え出す織姫。


 この時の彼女は、適当に声を掛けても生返事でしか返ってこない。思えば彼女が護衛を請け負ってくれて1週間が経とうしていた。


 目の前にいる美少女は儚い雰囲気を持ちながら、1度決めた事をやり遂げようとする意思の固さを備えている。


 こんな綺麗な人が、何故狼少年のような奴がいる組織と戦うようになったのか、そんな背景で彼女が何を見て、何を想ったのか、望月の頭では想像しきれなかった。


「……望月君? どうしたの?」


 不意に声を掛けられ、ハッと意識が引き戻される。


 織姫は腕を解いていて、不思議そうな表情で望月を覗き込んでいる。


 宝石のような瞳、桜色の唇、意識すると増す、香木にシナモンの様なスパイスが加わった甘い香り。


 思えば、何故自分は織姫みたいな美人と一緒にいるのだろうか。

 意識した望月は、顔中に火が付いたような熱気を感じ、思わずそっぽを向いてしまった。


 織姫はその態度にも不思議そうな表情を浮かべるだけで、望月の心拍などお構い無しに見つめ続けた。


「大丈夫? 顔が赤いわよ」


「だ、大丈夫。それよりさ、き、聞きたいんだけど」


「何かしら」


「灯明さんの物語ストーリーって、何ですか」


 顔中に血液が巡って、酔っている状態と変わらない思考だった。望月はそう思い込もうとしていた。


 だって、望月自身が避けていた質問を、恥ずかしさをはぐらかすためにしたなんて馬鹿みたいじゃないか。


 止まった織姫を恐る恐る横目で様子を見やる。


 怒るのか、


 怒るよな、


 絶対に怒る。


 そう確信していた。



 結果は……




「ふっ、うふふっ、ふふふっ。あはは!」


 突然織姫が笑いだした。腕を組んでいるが、考えるためではなく、お腹を抑えるために。


 何が起きたのか、思考が追い付かずにいると、織姫は息を整えながら話しかけてきた。


「そうね、ふふ、気になるわよね。あなただって創作者ストーリーテラーなのに、うふふ、何でそこを考慮しなかったのかしら、私は」


 口調こそ普段通りの織姫だが、目尻に笑った際に溢れた涙をため、口元は氷を思わせる無表情を溶かして花咲くようににこやかな微笑を湛えていた。


「えっと、灯明さん?」


「ごめんなさい、少しおかしくって。私、今まで創作者ストーリーテラーと闘ってきたのは話したわよね。そう、だから、初めてなの、こうして同じ創作者ストーリーテラーと話したり、お茶を飲むの」


 今さらよね、と付け加える織姫。



 ごちそうさま、と織姫は穏やかな表情を浮かべて玄関へ向かった。

 その後ろ姿を追いかけるように、望月もまた立ち上がる。靴を履いた織姫は、そっと首だけを回し望月に告げた。


「護衛が終わったら、教えてあげる」


 月の光が彼女を優しく包み込み夜の世界へと送っていった。


「灯明さん、あんな風に笑えるんだ」


 このドキドキが、異性に対してのそれではないことに気付きつつ、彼女のいた玄関をそっと眺めた。

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