荒波注意報
制服を夏服に切り替えたことによりいくらか涼しく過ごせるようになったが、それでも熱気はごまかせず身体中からしっとりと汗が滲んだ。
こういう時こそ空でも飛んで涼しくなりたい。向かい風が吹くたびに飛翔欲が湧いて仕方なかった。6月に入って何日か経つが、蒸せる熱気は日に日に増している様に感じる。しかも空梅雨なのか雨も片手で数えられる程度しか降っていない。いっそ通り雨でも降って欲しいと思った。
ないものか、心のクーラー、冷風機。
「情けない顔してどうしたの、望月君」
「灯明さん」
声を掛けられ振り向くと、いつものクールな表情の織姫がいた。
「灯明さんは暑くないですか?」
「衣替えもしたしここ最近は気温も安定しているから特別暑く感じないわ。望月君は暑さにやられてるようね。私が転校してきたらって気を抜いちゃだめよ」
艷やかな髪を風に流しながら望月の横を通り過ぎて行った。
望月が通う学校に向かって。
5月上旬、望月は突然謎の本を手にして
その後狼少年と名乗る人物に襲われ、織姫に助けてもらった。
御伽世界という場所や
友達が危険に陥ったり、悲しい真実を知ったりと運命の厳しさに挫折しそうになった。
無事こうして平和に過ごせるのは織姫やジャック、春野の力があったのは間違いないだろう。
そしてその後のことだが、
「灯明さん、転校までしなくても良かったんじゃないですか?」
「狼少年を撃退出来たからとはいえ、組織に狙われてることに変わりないわ。敵はどういう訳かストーリーテラーの誕生と場所を把握出来るみたいだから常に警戒しておかないと」
激闘後、織姫は数日後に望月の通う高校に転校してきたのだ。
本人曰く護衛の延長何だとか。うちのクラスに来た時は本当に驚いた。
「それはそうですけど、というか灯明さんが俺と同い年なのも驚きました。てっきり大学生なのかなって」
織姫が止まり、ゆっくりとこちらに顔を向ける。
何でだろう、何となく怖い。
『ヒッホッホー! おいおいツッキー、お嬢は確かに大人びてるけどよ、心はまだまだお嬢ちゃんなんだぜ!』
「?」
脳内にケラケラと笑い声が響く。もしかして気に障る事を言ったか?
「灯明さん……?」
「何も気にしていないわ、さあ早く行きましょう」
声音こそ落ちついていたが、望月はそこから何かを感じ取ったのか普段以上に織姫の様子を伺いながら隣を歩いた。
□■□■□
昼休み。教室で各々が椅子や机を寄せて集団を作っていた。それは望月がこのクラスになってから必ず見る昼休みを象徴する光景。カラフルな弁当の中身を見せ合ったり、パンの包装を破いてすぐさま齧り付いたりと英気を養っていた。
しかし、この光景にも大きな変化が起きた。それは……、
「あいつ、また織姫と弁当食ってるよ」
「灯明さんって望月君以外の人との付き合い悪いよね、いつも塩対応だし」
クラスメイトから珍獣でも見るような視線が毎日刺さる。
というのも、織姫は転校初日から望月の側に付きっきりなのだ。それに加えて話しかけてきたクラスメイトの男女に「そう」とか「ふーん」とか素っ気ない返事で返すので会話もろくに続かないから自然と離れていく人々が多かった。
しかし、そうなっていくとずっと側にいる珍獣こと望月の存在が気になり始め、体操着に着替える時などの一人になる時間になると織姫の質問ばかりぶつけられるようになる。
これも護衛の一貫と考えているのだろうけど、流石に学校の時も一緒はちょっと控えてほしいと思っていた。
「ヤッホー! 灯明さん望月君! お弁当一緒に食べよう!」
そよ風が吹くように春野が望月達の輪に椅子を置いてニコニコと割って入ってきた。
春と名前に入っているからか、それとも春野の性格故か、霜が降りたような空気に暖かな風が流れ凍てつく視線が緩和したのが分かった。
流石春野さんだな。
「……」
「何かしら春野さん」
「灯明さんっていつも良い香りするよね、シャンプーとかこだわってるの?」
「こだわるってほど気を付けてはいないけど、シャンプーの香りはいつも気に入ったものを使ってるわ」
「へぇ〜、灯明さんって美人だから徹底してると思ってた。わたしもやってみようかな」
「好きな香りはあるの?」
「う〜ん……、カレーかな?」
良い香りの趣旨間違えてるよ春野さん! とツッコミを入れつつ望月は二人の会話を眺めていた。
春野は狼少年に拉致され
弁当を寄せ合って会話出来ることがこんなにも幸せだったなんて思わなかった。
「ところで望月君、最近変な夢は見なかった?」
「変な夢、ですか……?」
「例えば幻想的な夢を見たとか」
「そういえば、昨日夢に人魚が出てきました」
二人のクラスメイトが箸を止め、片方は眉を僅かに顰め、もう片方は俯いた。
本当ならメルヘンチックだなって盛り上がるのかもしれない、人魚という幻想に時間を無駄遣いして話すのかもしれない。
しかし、望月達にとってそれは何よりも現実味があるからこそ、下手な冗談さえ言えなかった。
「詳しく聞いてもいいかしら」
「良いですよ、でもあんまりはっきりと覚えてないんです。覚えてるのは、人魚が魔女の力を手に入れたってぐらいで」
「十分だわ、それに、あなたが人魚を見たというのが心配ね」
「何でですか?」
問い返さなきゃ良かったとこの時後悔した。織姫は裁判官のように淡々と望月に告げた。
「ピーターパンには、人魚が登場するからよ」
□■□■□
「いざ灯明さんがいないと何か落ち着かないな……」
放課後、春野が織姫に買い物に付き合ってほしいと半ば強引に連れ去ったので久々に望月一人である。
織姫と一緒の時には出来なかった寄り道を何となくして、商店街や公園何かをフラフラとしていた。古本屋の童話コーナーが何となく気になり、何気なくピーターパンの絵本を手に取りパラパラと捲ると、少年が人魚の入江という場所で美しい人魚と話してる絵で指が止まった。
「人魚、か……」
上半身が人間で下半身が魚の生物。
いったい、ピーターパンとどう関わっているのだろう。
「イェーイ!! みんなー聴いてねッ! マリンのゲリラライブ!」
突然の大音量に横顔を殴れたような錯覚に陥った望月は、戸惑いながらも店の出入り口に立った。
商店街の老若男女全部の視線が、赤い衣装を纏った少女に集まっていた。
「それじゃいくよ〜! 『水槽カデンツァ』!」
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