教室と玉子焼きと君の笑顔

 目が覚めると、もったりした白い天井がボーッと自分を見つめていた。

 頭のベルをせわしなく叩く目覚まし時計のつるりとした肌を撫でながらスイッチを切る。

 まだ違和感しか感じない制服を着こんで朝食のトーストを1食頂いて外に出る。


 本日の空は晴天なり、太陽の光は地上に降り注ぎ、寝ぼけ眼の者を狙うように眩しい陽光を射していた。


 何も変わらない日常、歪となった者にさえ陽光は注がれ、青い空を拝む権利を持って良いんだと改めて認識させてくれた。


「明日も明後日も巡る、か……」


 醜い怪物にも、狂った殺人鬼にもこの日常と光景は平等に訪れる。当たり前となってしまえばただの背景に成り下がってしまうこの通学路も、どこか暖かく迎えてくれるように感じる。


「とりあえず、普通にしていれば良いんだよな」


 近くにいるであろう織姫が護衛として見守っている。

 能力のいろはなどはまだ知らないけど、ここまで気にかけてくれる彼女はきっと守ってくれる。そう信じ、望月は歩を進めた。


「あ、そうだ」


 昨日渡された不気味なデザインの指輪を右ポケットから取り出し、そっと人差し指に嵌めた。


 苦笑しか湧かない指輪は相変わらず人をおちょくるようなにんまりした笑顔を浮かべている。


「あーでも先生に見られたら叱られるな」


 一応、この不出来なカボチャが望月の身を保証してくれるらしい。

 暗がり限定ではあるものの対抗する術がない望月は、この嗤うカボチャのアクセサリーに細やかな祈りと平穏を願った。


 とりあえず学校近くになったらいったん外そうと決めて、欠伸をしながら学校へ向かった。




 □■□■□


 朝のホームルーム。担任が教卓にどすんと両手を乗せ、クラスの皆が静まり返った。


 担任は30代前半だが、熱い性格をしてるため実年齢より若く見える。

 担任は剃ったばかりであろう無精髭の跡を軽く掻いてからこう告げた。


「えー、先日この近くで発砲音を聞いたという人が何人かいました。事件かどうかは分からないが皆さん注意してください。誰かの悪戯だとは思いますが、もしもなんてことがある。もし発砲音を聞いたら家や学校、先生の元へ走って来てくれ。昨日の事は特に皆さんがよく知ってると思うが、通学路が一部警察の捜査のために通れなくなっていた。犯人は現場に戻ると言うがあれは――」



 ほとんどの生徒が教卓で熱弁をしだす教師をぼんやり見つめていた。そんな中、望月は全力で走った後のような息切れを起こしていた。


 発砲音、フードの少年が放った火薬の弾ける音。遠目になっていくにつれ陽炎へと変わるその最中、突如として現れる灰色の狼。


 普通にしていれば大丈夫だ。きっと。


 筆箱に隠していたカボチャの指輪を手にとって握りしめ、その拳でそっと自分の胸を打った。




 □■□■□


 昼休みに入り、各生徒が弁当の包みを開けたり、パンの包装を破ったり、購買へと走り出す者がいた。


 望月は用意した弁当を机に置き、包みを広げようと結び目に手を掛ける。突然、視界に可愛らしい柄の包みが目にはいった。

 気になって見てみると、微笑む春野がいた。


「一緒に食べよう!」


 ニコニコと笑い掛ける春野だが、対する望月は潤滑油を差し忘れたロボットのように何とも言えない表情を浮かべていた。


 しかし春野は満足げに望月の硬い表情を見終えると2段型の弁当を展開していくのだった。


 上段には色彩様々な野菜や肉が盛り付けられていて、プチトマトなどに刺さる串の先端にはハートやら兎やらがかたどられていた。


 対して下段は敷き詰められている白米の絨毯に絹糸の様な細い玉子と小口ぐらいの大きさで切られた筍が散りばめられている。

 よく見ると白米はうっすらとピンク色をしており、その正体が桜でんぶであることに気付いた。


「これは?」


「手作り……と言いたいけど、ちらし寿司に関しては晩御飯の残り物だよ」


 恥ずかしそうに後頭部を撫でる春野だが、望月は弁当ではなく、何故自分と弁当を、という意味で言ったのだった。

 けれどそれを説明する気にはなれない。何故なら2人を見つめる視線が教室で弁当を食べる一派から注がれているのに気付いたからだ。


 教室に巣くう魔物の監視下で、2人は弁当の中身を箸でつつきだした。


「望月君ってお弁当自分で作ってるの?」


 はむはむという擬音がよく似合うほど、先ほど弁当から救い上げた肉団子を美味しそうに頬張っている。


「うん、自分で作ってる」


 そういって、焼いただけのアスパラをボリボリと食していく。


 望月の背後で椅子の軋む音とは別の音が発せられ、何となしに視線を送る。

 体格の良いクラスメイトの男子がじっと望月を見つめていたのだ。


 パンを口にしているが、その目は望月の背中を捉えている。


 狼少年とは別の危機を感じつつも、何とか箸を進めた。


「ねえ、望月君」


 不意に春野さんが呼び掛ける。


 視線を上げることで応答すると、春野は望月の弁当を再び覗きこんだ。


「その卵焼き、1個もらっても良いかな」


 妙に明るさが増した春野に嫌とはいえず、そっと首を縦に振ると、やったーという掛け声と共に卵焼きは春野の口の中へと運ばれていった。


「う~ん、美味しい! 望月君立派な主夫に成れるよ、絶対!」


 卵焼き1つでそう豪語する春野。

 なおも幸せそうに噛み締める綻んだ表情には、密かに自信があった望月の自尊心を促進させるには十分な台詞だった。


「ところで、望月君」


「なに、春野さん」


 弁当も残りわずかとなり、端に追いやった米粒を拾い上げる作業をしている時だった。


「今朝、顔色悪かったけど何かあったの?」


 思いもよらない質問がやって来て、困惑した。


 春野は望月よりも前の席にいる。なので春野は振り返って望月を見ていたことになる。


「ホームルームの時に先生が話してたでしょ、発砲音。昨日望月君って早退したよね」


 意外だった。担任さえ気付いてなかったのにどうして。


 心の半分を驚きで占める。けれど春野の言葉は続く。


「望月君いつも1人だから、もしかして犯人に遭遇したかもって、ちょっと思ったんだ。ほら、1人って狙われやすいから、でもよくよく考えると心配する必要ないか、怪我してるのに学校来ないもんね」


朗らかな笑声が止まった時の中で反響した。


あー、懐かしい。やっぱりこの子だ。


屈託のない笑顔がただ眩しかった。


君と友達になりたい、そう願う者がいた。

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