ひこう少年

「望月君、準備は良いかしら?」


「うん。大丈夫」


 月と太陽が、色素を極端に薄めた様な無表情の空に浮かぶ。平べったい道を構成するのは何百というカラフルなビーンズを敷き詰めた様な地表。


 そして、全貌の半分を隠すように蔦を天に伸ばす螺旋状の豆の木。


 ここは御伽世界。


 放課後、望月は織姫に呼ばれて再びこの摩訶不思議な世界へと足を踏み入れたのだった。

 望月は緊張した面持ちで、学校指定のジャージを馴染ませるように体を捻っていた。


 正面に浮かぶはカボチャ頭のジャック。気怠げに胡座をかいてボーッとくりぬかれた空洞の目をこちらに向けていた。


「ジャック、頼んだわよ」


「お嬢、1つ確認して良いか?」


「なに?」


「オレっちは何でツッキーの練習相手をしなきゃならないんだ?」


 あだ名で呼ばれた望月は、暗鬱と下向く織姫に代わって再び説明を行った。


「えっと、俺が能力を制御出来るようにするために、ジャックさんに練習の相手をしてほしいんです」


「そこだぜ。何でオレチャンな訳?」


 唯一正体を晒している口元がへの字に曲がる。肌は病的な程に青白い。


「私の能力は知っているでしょ、 練習以前に望月君を串刺しにしてしまうわよ」


「オレっちだって火遊びするのに加減は出来ないぜ。1度燃え初めた火の勢いは止めれねぇ」


 ジャックの屁理屈に織姫は尚も食い下がる。

 かなり物騒な言葉が飛び交うけれど、これも自分のための言い争いだと、仲裁に入りたがろうとする自身を諭す。

 しかし、状況は一向に好転せず、ただ2人の言い争いじみた水掛け論がただただ時間を貪っていった。



「なんで理解してくれないの。あなたは私と違って能力に柔軟性があるの、だから望月君の練習相手にはあなたしかいないのよ」


「だからってつまらないお遊びはしたくねぇよ。それなら近くにいる完結者エピローグにちょっかいだす方が楽しいね」


「ちょ、ちょっと待って!」


 2人は同時に望月の方を向いた。


「エピローグって、なに?」


 この世界は童話や昔話などの舞台が寄せ集まって存在している。当然、表立つ登場人物がいるという想像はしていた。

 だが、ジャックの物言いは人よりも危険な者を指しているように感じられた。


 そんな望月の心境を知ってか知らずか、ニヤリと不適な笑みをジャックは浮かべた。


「そうだぜ! エピローグを相手すれば良いんだ、 それならオレっちも協力するぜ」


 ゆらり、ゆらりと揺らめき浮動するカボチャは望月に近付き、か細い腕を肩に回した。


「ジャック! エピローグを相手にする必要なんてないわ! 」


 織姫は凄い剣幕でジャックを叱る、けれど当のカボチャはおどけるのみで相手にしていない。


「エピローグっていうのは、物語が完結しアイデンティティーを獲得したやつらの事さ。つまり――」


 オレチャンの事さ、と言って大げさなくらい体を広げて宙を舞う。その様は初めて空を飛んだ小鳥のようだ。


「望月君。エピローグに近づいちゃだめよ。中には本当に危険なものもいるの」


「だがよお嬢、エピローグを相手にできなければあの狼少年とかいうやつにだって勝てねえだろ」


「それは……」


 初めて織姫は言い負かされた。

 けれどなお言葉を探すように視線が泳いでいる。

 だが、望月はそんな織姫を余所にある言葉を噛み締める様に唸っていた。


「エピローグに勝てなきゃ、あいつに勝てない……」


 銃口を向けられた時の恐怖、狼に追われていた時の無力感。望月の脳裏にそれらは酷い焼け跡となってこびりついていた。


 そうだ、俺は力を手に入れないといけない。今すぐにでも……。


創作者ストーリーテラーがエピローグより手強いのは認める。けどそんなに急ぐ必要もないはずよ!」


「俺、やります! エピローグと勝負を!」


 望月は叫んだ。織姫は驚愕の色を見せ、カボチャ頭は口の端を吊り上げた。


「聞いてなかったの!? エピローグは危険なの、まだ完全に能力が目覚めていないあなたには危険すぎる!」


「イヒヒ、そういうことならこのしがないカボチャも協力するぜ」


 どこか悪戯が成功した子供のように笑うジャック。

 それを見た織姫はハッとした表情でジャックを睨み付けていた。


「あなた……私を利用したわね」


「さあ? オレっちの中身は空っぽだぜ。そんな悪知恵が働く脳みそは持ち合わせていない」


 くだらないと言ってカボチャの事を放り出し、視線を望月に滑らせる織姫。


「望月君、焦る必要なんてないわ。私があなたを守る。だから無理する必要は――」


「気持ちはありがたいです。けど、俺は俺自身で身を守れるようにしたい! そうしたら、あいつにだって……勝てる!」


 望月は意を固めたのか、瞳の奥で燃える意思をたたえる様に見開いた。


 織姫は、1度何かを言いかけようとして、それを止めた。

 瞳の照準が1度望月に向けられるも、放り捨てる様に地べたを眺めだす。


「そう、好きにすれば良いわ。私は協力しない。あなたたち2人で頑張って来なさい」


 そう言葉を残して、織姫は宙に空いた真っ白な扉をくぐって去っていった。


 そこで初めて、望月は何か間違えたことを悟ったらしく、苦虫を噛み潰したかの様な沈鬱な表情を漂わせた。


「ヒヒヒ、心配すんな兄弟。オレっちは生ぬるい事には本気は出さないが、エピローグを相手にするなら何だってやるぜ! 当然、ツッキーの身だって守る、だから安心しな」


 さも悪友の様な勢いで望月を励ますジャック。その幽鬼の如く青い唇から犬歯を覗かせて空っぽの頭に不知火じみた火を宿す。


「じゃあ、エピローグのところに早速向かうとしますか」


 そういって、身体を宙に滑らせて移動するジャック。

 そんなジャックの背中を止める代わりに疑問を投げ掛けた。


「どこへ行くんですか?」


 振り向いたジャックの目の炎は楽しげに揺らめいていた。


「そうだな、ロシアの魔女ばあさんところに行くか。オレっちだって大事な友人を猛獣にけしかけるような事をしたくないしな。あのばあさんならそこんところわきまえてるから都合が良いだろう」


 ヨホホ、と気味の悪い笑い声を上げるジャック。


「その人の名前は?」


 驚くなよ、とジャックはゆっくり望月へ近付き、焦らすように人差し指を振って答えた。


「バーバ・ヤーガ。臼に乗った頑固な魔女婆さんさ」

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