狼が出た
『お嬢、夜中に学校へ忍び込むとは、中々肝が決まってんじゃねぇーの』
『もう少し考えてから話しなさい。言ってることが分からないわ』
織姫は、望月の通う学校に侵入していた。
とうに日は暮れて、宵闇が廊下や過る教室に帳を降ろして張り付いていた。
その中を、織姫は指輪の明かりを頼りに歩を進めている。
服装は見つからないように黒で統一され、ワンピースとスキニーパンツという格好だ。光沢がないために遠目で見ると影が蠢いているように見える。
若者の肝試しかと思う場面だが、彼女の放つ美貌と、指輪の放つ妖しい光はそれらを死の女神へと昇華する、むしろ、彼女に睨まれ死へ誘われるのを覚悟して、姿を一目見ようと訪れる者の方が多くいそうだ。
織姫は、今朝辿った道のりを思いだしながら1つ1つの教室を散策する。
『何か見つかったかい?』
『いいえ、けど、あんな大掛かりな落書きよ。何か残しているはず』
落書きは当日に消され、今まで通りの校舎に戻っている。
だが、織姫は何かに突き動かされるようにして捜索の手を広めていった。
『何か、ね~。そもそも、狼少年がやったっていう根拠はあるのかい?』
『1つは、この学校が標的にされたこと。望月君を脅かすのが目的なら、学生の出入りが多い校門を狙うのは妥当よ。2つ目は、能力のため』
能力のため? と思考に木霊するカボチャが不思議そうに反芻する。
『ええ、彼の能力で現れた狼、おかしいのよ』
『おかしいって、何が?』
『行動の順番』
遠く異世界にいるカボチャが頭を傾げたのだろう。ヒホ、という声が漏れる。
『私たちを確実に仕留めるのであれば、狼にせよ銃にせよ、先制することが重要だと思わない』
『そりゃ、まあそうだな。誰が勝負の鍵を握るかで、その後の展開なんて思うつぼだろうよ』
『そう、そこなのよ』
要点が分からないのか、カボチャは唸り声を上げた。
『もったいぶらないで教えてくれよ、空っぽのカボチャ頭の中に草生えそうだぜ』
と、半ばひょうきん口調で解答を催促するカボチャ。
彼女は、頭の悪い生徒に教える仕草で、人差し指を振って解説する。
『良いかしら。彼は背を見せた私たちに発砲するのではなく、空に向かって射ったの。その後、狼を召喚して私たちに襲わせた。つまり、発砲は狼の召喚に必要だったことになるの、それなら手間をかけたことにも納得がいくわ』
『なるほどな~。でもお嬢、それなら発砲してお嬢達に突きつけたっていうのはどうなんだ。狼を呼ぶだけでいいなら突きつける必要なんてないだろ。それとも、狼繋がりで狼煙を上げたとか? フヒヒィ!』
『そこが分からないの』
なぜ、狼の召喚をするためにわざわざ発砲を聞かせ、その上で狼に追わせたのか。
余裕で倒せると思ったから? だとして、ジャックの火に焼かれる狼を過信しすぎている。
それとも大衆の注目が必要だった? 狼少年のお話でも少年が大衆の注目を集め惑わす場面があった。
けれど、もしそうならなぜ狼が……。
『お嬢、前見ろ』
思案していた織姫は、ハッと促された方角を見やる。
廊下の突き当たりまで延々と濃い影が伸びている。だが、突き当たりの影の巣が、微かに動いたのを織姫は見逃さなかった。
「誰なの」
織姫は何者かに問いかける。
学校の教職員や見回りの可能性はほとんど無い。なぜなら、ここ数日学校の巡回時間を知るために何度か訪れ観察していたからだ。
巡回する者は基本的に1人で、ライトを所持している。
また、教職員は基本的に、職員室以外に向かうこともあまりない。
あったとしても、ほとんど視界が見えない中、明かりも無しに歩くのは困難だ。夜に目が慣れていないのならば、だが。
「もう一度聞くわ、あなたは誰なの」
誘導灯の足元で、怪しい人物はぼんやりした明かりの前から踏み出す様子を見せない。
指輪の灯りを最小限に抑え、また、襲って来るときに備えて拳を突き出す。
『やるのか?』
『次に返事がなければ、脅してみる』
影の中の何者かは、少しだけ揺らめく。
何をしているのかは分からない。
だから、向けた拳をきつく握り直した。
「最後にもう一度聞くわ、あなたは誰なの」
廊下に映る一点の妖しい緑の灯りに、足が見えた。
『行けるか?』
『大丈夫』
戦闘を覚悟した瞬間、
『やあ、ハロー。久しぶりだね、お嬢さん』
「やっぱり、君なのね」
闇にぼんやりと輪郭が現れ、軽薄な口調が闇を這うようにして発せられる。相手も暗色の服装なのか、照らされた足元のようにはっきりしない。だが、フードを被ってるらしく、三角形の猫の様な耳が見える。
『俺のこと覚えてる? ごめんね~、色々あったんだよ、ホント、色々ね』
クツクツと笑っているようで、輪郭が微かに上下する。
『何だと思う? 君なら良く分かるんじゃない? 俺の周りをこそこそ嗅ぎまわってるのは知ってるんだぜ』
「ふざけてないで、目的を言いなさい。なぜあなたはここにいるの。あの落書きは何が目的なの?」
数秒の沈黙、その後、込み上げるような笑い声が廊下に木霊した。
『クックック、やっぱり気になっちゃう? でもね、まだ教えられないよ。ほら、俺らってあんまりお互い知らないことが多いだろ、だから教えてくれよ。そしたら教えてやっても良いよ。くだらないことでも良いさ、例えば、味の好みとか、コーヒーに砂糖は入れるとか』
「あなたとおしゃべりしにきた訳じゃないの、さあ、答えて」
数秒の沈黙。
出方を伺っているのだろうか……。
『あー、あれ。あれに意味はないさ。ちょっと存在アピールしたかっただけさ』
「嘘よ」
数秒の沈黙。
『……、クックック。なら……捕まえてみれば?』
影が巣を破って掛けた。それに反応した織姫は駆ける。
誘導灯の下を通過し、階段を前にする。
上の方から足音がして、駆け上がる。
踏みしめ、踊り場に出て次の段を踏みしめる。
『ほらほら! 鬼さんこぉ~ちらぁ!』
余裕なのか、狼少年らしき人物は廊下で待っていたらしく、見かけた背中は再び遠ざかる。
『指輪を使え!』
『だめ、照準が定まらない』
カボチャは興奮気味に指輪の発動を急かす。それを冷たくあしらった織姫は離れる背中を見つめて離さない。
暗闇にも徐々に目が慣れてきた。
再び、突き当たりに当たって曲がる人物。
織姫は、追おうとして突き当たりに入って転回しようとした瞬間だ。
「!」
視界の端に、銀色の刃先が映った。
『お嬢!』
「ちっ! かぐや姫ッ!」
織姫に到達するはずだった刃先は、竹の幹によって遮られた。
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