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目の前に、バーバ・ヤーガからもらった指輪が青い炎を散らしながら浮かんでいた。
ジャックやピーターパンとは別の力で浮かぶ怪異地味た現象。けれどそれは、人を恐怖させるというより、存在を強調するような、いや、違う。もっと別だ。
この指輪は、何かを伝えようと浮かんでいる。
指輪はゆっくりとこちらに近づき、おもむろに上げた右手の薬指にそっと嵌まる。
なおも髑髏の目が炎を纏ってこちらを見ている。炎とは別の暖かい何かを向けて。
「……、そう、だ」
ある1つの物語が再生された。
それはまだピーターパンとの出会いを果たしていない少年の冒険。少女と喧嘩し、カボチャと旅をし、頑固な魔女の注文で狼を退治しに行き、そして最後にピーターパンと出会った。出合いの物語。
けれど、ああ、けれども。
ピーターパンは、主人公ではなかった。
あの物語の少年が主人公だった。
自分で進み、自分で悩み、自分の中で葛藤して選んだ。
誰かのために、誰かに助けてもらい、最後に誰かに認められる。
そんな、暖かい話しだ。
「これは、この指輪は、バーバ・ヤーガさんに認めてもらった、俺の、俺の……望月 友也の結晶だっ!」
息を吸った。
限界ギリギリまで、
だって今、俺は思い出したんだ。
「そうだ! これが俺なんだ! 狼少年を倒したくて、灯明さんにこれ以上負担を掛けたくなくて、だからジャックさんと一緒に行って狼を退治したんだ。情けない自分とさよならしたくて、でも、結局情けなくて、けど、認めてもらったんだ」
バーバ・ヤーガが唯一見せた笑み。それはピーターパンに向けたものじゃない。望月に向けたものだ。
「これが俺なんだ。俺の証なんだ!」
髑髏の指輪を高々と上げた。澄み切った空を押しのくように。世界に存在を知らしめるように。
海に潮風が吹く。舞い踊るかのような風切り音。波が海面を打つ。太鼓を鳴らすかのように激しく。
祝福。新たなページが付け加えられたことに対する自然からのオーケストラ。そう、思えた。
「それが貴様の証か」
フックが舵を握りながらクツクツと笑っていた。
「ピーターパンがよりにもよって髑髏を証として掲げるか。だが良いのか? この船で髑髏を掲げるのは私の仲間を意味するぞ。貴様は、このフックに背中を預けられるのか」
向けられる鉤。フックは試すように鼻で笑って見せる。どうせ出来っこない。そんな笑い方だ。
「仲間にはなれない」
「だろうな」
「でも、友達にはなれる」
「……何っ?」
フックが眉を顰めて己の右手を見せつけながら近づいた。
鉤の先端が目の前まで迫る。
「おいおいピーター、私は貴様に恨みがあるんだ。この右手がうずく度に貴様を思い出す。なのに、友達になれるだと。ふざけるなッ! 俺はフックだ! ピーターと馴れ合う気など――」
「俺はピーターパンじゃない。望月 友也だ」
言い切った。「ピーターじゃない」更に一歩踏み出す。
「あなたから見たら俺はピーターパンなのかもしれない。でも、俺は俺を覚えてる。中学の時、いじめっ子に友達と立ち向かうはずが、友達が逃げて、いじめのターゲットにされて、ぎくしゃくして友達と和解出来ないまま卒業した」
自分の正義を振り回して友達の事を考えなかった。木剣を振り回すピーターと重なった過去。
「高校に入学して、俺は『僕』を止めた。同時に人付き合いも止めたんだ」
孤独を貫く事が罰であり、同時に痛みに触れない幸せな方法だと思った。伸ばしていた手を断つことで、自由でいる錯覚に浸っていた。
「きっとそれが良いんだと思ってた。そう思い込もうとしていた。けど、灯明さんや春野さんと話していくうちにちょっとずつ気付き始めてたんだ……」
誰かが差し伸ばしてくれる手が、とても暖かく、優しいことに。
「俺は、望月 友也として、フック、あなたと共に歩みたい」
「ならば! この右手を掴めるか! 不屈の鉄を怒りの炎で鍛えたこの鉤をッ!」
向けられる鉄の鉤。
ピーターとフックの因縁が始まった鉤。
俺は、手を伸ばした。
そして……。
「ごめんっ!」
謝った。冷たい鉤を両手に包んで。
「貴様……何を……」
「辛かったよな、苦しかったよな。右手を無くしてるんだ。平気な訳がない」
フックが不思議そうに望月を見下ろしていた。祈るような穏やかな声音に、おっかなびっくりと言う風に残った左手をそっと首に伸ばした。
「貴様、ピーターではないと言ったよな」
「あなたもそれは分かってるんだろ。でも、俺がピーターに見えてるなら、いや、ピーターに見えてなくても! 俺が出来るのはこれなんだ」
その痛みを分かち合う。思いを汲み取る。いつも声を掛けてくれた春野さんのように。
いつも心配してくれた灯明さんのように寄り添い。
そして、高岩さんのように微笑んだ。
「友達になろう! 復讐じゃなくて、心の底から、いつかピーターと一緒に笑える日まで、俺が付いてるよ」
思い描いた。永遠の少年と右手を失った海賊が肩を寄せて笑い合う未来を。
ありえないなんて思わない。これが物語なら絶対に辿り着ける。
だって、この先はまだ開かれてないんだから。
「……どけ」
襟を掴まれ勢いよく引き離された。鉤の手が望月の右手へ迫る。
「掲げろ」
「え?」
「いいから掲げろ!」
トントン、と叩かれた指輪を勢いよく天へ伸ばした。
「野郎ども! 俺達の次の目的地が決まった! そこには素晴らしい財宝が眠っているらしい。だれも知らぬ未知の大地、数々の試練! 容赦なく迫る驚異は俺達の命を奪うだろう。だが、俺達はコンパスを持っている。荒波や嵐でさえ行き先を見失う事のないコンパスだ! そして――」
望月の上げた手首をフックが掴んで叫んだ。
「こいつが、俺達の友が持っている! ピーターパンの姿を持つこいつが証明した。何度も繰り返した因縁の先で夢を描いた! 俺に夢を抱かせた。俺はこいつの見せた夢を見たい! だから、付いてきたい奴は声を上げろッ!」
おおぉーーー!!!
船内全てから声が跳ね上がる。鼓膜をつんざく声の中で「おい」と聞こえた。
「ピーター、いや友也! 今再び俺達に証を示せ! そして唱えろ! 俺達の道を切り開くあの野郎の名をッ!」
「! ああッ!!」
髑髏の指輪を見えない海賊達に向け、息を吸って叫んだ!
「ピーターパンッッツ!!!」
広がる海が大きなページとなり、望月達を静かに挟み込んだ。
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