第37話 瑠香さんと聖空さん

「行くよ、アチョーーー!」

「ちょっと瑠香、どこに向かって投げてるの?」

「あれーー?」


 五月の気持ちよく晴れた日。

 聖空さんに「瑠香と会いたいんだけど、部屋は狭くてイヤ。どこかないかな?」と相談されて、俺はまたも河原にさそった。

 野球バカで他にアイデアがなくて申し訳がない。

 グラウンドの予約さえしてしまえば、この巨大空間に誰も入ってこないのである意味ゆっくり出来て気楽だと思う。

 二人は俺が貸したグローブと球でキャッチボール……らしき何かをしている。

 積る話もあるだろうし、二人っきりのが良いだろう……と俺は帰るつもりだったのに、連絡したのか聞きつけたのか、高橋マネージャーと遠藤先生も来て、同窓会のようになっていたので、そのまま二人を見学することにした。

 

「本当にお世話になりました。やっと全部片付いて一息ついてる所です」

 高橋マネージャーは、ふう……とため息をつきながらいった。

「やめないの、事務所。社長アホだし独立して瑠香も聖空も面倒みればいいじゃない」

 遠藤先生は地面に座って柔軟をしながら言う。

「瑠香は一年くらいで戻るから準備はするつもり。あの子は天才だから普通に生きていけない。聖空もボイトレと運動も始めたんでしょ? 嬉しいな」

 高橋マネージャーは遊ぶ二人を眩しそうに見ながら言う。

「どうしても歌いたい曲があるって、筋トレ頑張ってるわ。昔の聖空を見てるみたい。元気になって良かった」

 遠藤先生も嬉しそうに言う。

 俺は静かに頷いた。

 その左右……同時に二人がククク……と俺を挟み込む。


「ていうか、聖空、めっちゃ可愛くなったわね」

「同じマンションにお住まいですもの、うふふふ」

「あらあらまあまあ、大事にしてあげてくださいね、我らの姫を」

「可愛い子なんです」

「大切に扱ってくださいね?」

「分かってると思うけど、貴重品ですのよ?」


 二人は楽しそうに俺を取り囲むので、脱走することにした。






「俺もこっちにいる」


 聖空さんは俺を見てほほ笑んだ。


「あの二人にオモチャにされたんでしょ? もう大人ってほんと面倒」

 瑠香さんは片眉をあげて表情を歪ませた。

 聖空さんとはまた違ったタイプのキリッとした目の小動物タイプの人だと思われる。


「高橋さんには色々迷惑かけちゃったーって思う」

 聖空さんは今までになく伸び伸びと話す。


「長谷部のこと、裏で動いてくれたのは高橋マネよ。あの人策士だわー、ついて行く」

 瑠香さんは聖空さんにボールを投げながら言った。

 よたよたと聖空さんはボールを取って投げ返しながら聞く。


「続けるの? 芸能活動」

「アイドルはしない。あほらしいもん。でも演技は好きなのよねー、映画とか舞台とかしたい」

「瑠香は何個も顔があるもん、向いてるよ」

「聖空は歌でしょ。歌はYouTubeにUPだけでも続けられるじゃない、やらないの? 聞きたいな、久しぶりに聖空の歌。あのふふ~~んってやつ」


 瑠香さんはふふ~~んと言いながらフラフラ踊る。

 どうやらいつもの発声練習のことを言っているようだ。


「なにそれ、酷い。てか前から思ってたけど、瑠香って歌下手だよね」

「はああああ??? 私のほうが個人CD売れてますけど?」


 瑠香さんはボールを聖空さんに投げつけながら叫ぶ。

 聖空さんはそれをパシンと受け取って


「あれは人気投票だもん」

「うぐうう……」


 そう言って聖空さんはスッ……と背すぎを伸ばして空に向かって口を開いた。


 空気を吸い込んだのが目で見えるように手を広げて、聖空さんは歌い始めた。 

 あの発声練習ではなく……どうやら二人が所属していたグループの歌のようだ。

 聖空さんが歌い始めると、それに被さるように瑠香さんも歌い始める。

 聖空さんと瑠香さんが見つめあう。

 そして二人で気持ち良さそうに空に向かって歌い始めた。

 俺はその天使のような歌声を、ただ聞いていた。






「YouTubeねえ……」

 夕日で影が伸びる帰り道、聖空さんはつぶやいた。

「いや……本当に歌が綺麗だから、UPしたら聞きたいな。こっそり録音しようかと思ったくらいだ」

 俺が言うと、もう……と言いながら手を後ろから繋いできた。

「もう顔出しするつもりはないの。歌だけなんて……聞きたいのかな」

「いやいやいや、過小評価しすぎだと思うよ。ていうか平間なんてクソみたいな配信しかしてないよ」

「え? 例えば何?」

 聖空さんが興味を持ったので平間の配信を見せた。かの有名な鼻から牛乳のやつだ。

 それも一番派手にまっすぐに噴射している動画を見せてみた。

 

「あはははは!! ちょっとまって、酷い。これ……ちょっと」

 聖空さんは平間が鼻から牛乳を拭くたびに大声で笑った。

 そして

「こんなに芸があるなんて知らなかった」

 と平間を誉め始めたが、平間のメインはたぶん曲なんだ……。

「私はこんな面白い事、出来ないわ。あはははは! もう何回鼻から出してるのよ」

 聖空さんがこんなに笑うなんて、平間良かったな!!






 窓が全開になった五月の教室には気持ちの良い風が吹き込んでくる。

 今日は月末にある遠足の班決めだ。

 男女四人組を作って、水族館と海辺でバーベキュー大会をする。

 カップルはなんとなく「お好きにどうぞ」という雰囲気なので、俺は聖空さんと同じ班なのは決定だ。

 ああ、同じクラスで嬉しい。部活優先で大きなイベントが少ないうちの高校で遠足は二年の一大イベントだ。

 ここを目標にカップルになる奴らも多いくらいだ。

 

「他の二人はどうする?」

 もう俺の横に移動してきていた聖空さんに俺は聞く。

「私、平間くんがいいわ」

「ああ、一番気楽だよな。平間ー、一緒に回らない?」

「お。やっぱ俺入れちゃいます? ですよねー、一番空気読むの俺ッスよね~~」

 聖空さんは近づいてきた平間を見て目を輝かせた。

「見たわ、鼻から牛乳。最高に面白かった。平間くん、才能あるのね」

「マジすか。じゃあ歌も聞いてくれました?」

「それは全く聞いてない」

 聖空さんはスン……と真顔で答えた。

「センパーーーイ!!!」

「もっとあのシリーズ作ったらどうかしら。他のゲームも鼻から牛乳したらいいんじゃない?」

「いやいや……俺、芸人目指してる訳じゃないんスよ……」

 聖空さんが目を輝かせて『鼻から牛乳』を連呼してるのが、正直面白くてしかたない。

 事実、昨日の夜もお布団の中でずっとYouTubeを見ていた。

 今まであまり見ていなかったようで、今朝の電車では「動画の再生が遅くなったんだけど」と不満げだった。

 確認したら、まだ月中なのに通信制限に引っかかっていた。動画の見すぎだ。

 今度家にWi-Fiを入れようと約束した。


「瑛介、私、一緒に回りたいな」


 振り向くと真由美がいた。

 同じクラスになってからもたまに話していたが、真正面から来るのは久しぶりだった。

 真由美は俺に一歩近づいて顔を上げた。


「前も言ったけどさ、私は瑛介が好きだけど、永野さんが嫌いなわけじゃない」

 真由美はそう言って、ポケットから何かを取り出した。

 そして「ずっと渡せなかったけど……持ってたの」と聖空さんに渡した。

 それは文化祭で写真部が撮って売っている写真だった。

 写真部は文化祭の間、色んな所を撮影して、その日に売っている。

 古いフィルムのように特殊加工がしてあり、日付もわざわざ記入されている写真は記念にもなるし可愛くて人気だ。


 クッキングクラブで作業してた時に撮りにきてたし、芸能人だけど写真大丈夫かと聞かれていたのも見た。

 聖空さんは校内販売なら大丈夫です……と答えていた気がする。


 写真を見ると、クッキングクラブでドリンクを作っている聖空さんの隠し撮り風の写真だった。

 真由美は続ける。

「友達が写真部で、ピントがずれたから売り物じゃないって言われたのを貰ったの。……帰っちゃって渡せなかった」

 聖空さんはそれを受け取って、真由美にしがみついた。

 真由美はじだじだして叫んだ。

「ちょっと!! なんなの、キモ……! でも……永野さんめっちゃ良い匂いする、シャンプー何これ」

 聖空さんはしがみついたまま言った。

「すっごく高いやつ」

「金か~~~~~~」

 真由美はしがみ付かれたまま叫んだ。

 聖空さんは真由美から離れて

「写真うれしい。……真由美さんって呼んでもいい?」

 と写真を大切に持って言った。真由美は

「じゃあ私は聖空って呼ぶー。で、シャンプー何?」

 と二人は班決め無視してスマホをいじり始めた。

 

 平間がスススと俺に近づいてきて言う。

「……女子が仲良くキャピキャピしてるの見るだけでマジ気分いいな。マイナスイオン出てるわ、たぶん」

「わかる」

 俺と平間は結局はシャンプーじゃなくてアイロンをかけることが大切だと講義を始めた聖空さんと、それを熱心に聞き始めたクラスメイトたちを見ながら思った。

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