第2話 なんとなく俺だけの秘密にしたくて

「ダサいジャージなのに、永野さんが着ると普通に見えるな」

 向坂は外を見て言った。

「見ろよ、砂漠に咲く一輪の花のようだ」

 久保田は落書きをしながら言った。


 生あたたかい風しか入ってこない午後。

 とにかく書き写せという暇な自習中で、誰も真面目に勉強などしていない。

 みんな外で体育の授業をしている二組を見ているのだ。

 

 今日は五月にしては日差しが強く、超暑い。

 日陰なんて全くなく、色さえ失っているグラウンドに、男子のサッカーを見ている女子がいる。

 声援をあげて応援しているが、永野さんは真っ白なグラウンドに佇むロボットのように動かない。

 その視線はサッカーをしているクラスメイトでもない、空でもない、世界のどこにも興味がないように見えた。

 

 ピピーと笛がなって、男子と女子が入れ替わった。


「始まるぞ」

「きたーー!」


 男子9割がプリントを投げ出して窓にへばりついた。

 俺も窓際の席なので、自然と外を見た。


 今までは体力測定的なものが多かったので、運動をしている永野さんがグランドで見られるのは今日が初めてだ。

 聖女さまがサッカーする姿を一目みようと、上の教室の上級生たちも覗いているのが見える。

 向坂は「中学の体育は全くやってないから、引退効果だな」と嬉しそうだ。


 笛がなって試合スタートした。

 凛とした立ち姿が、ボールを受け取った瞬間に、風になびく柳のようにしなやかに動いた。

 動きが速い。

 永野さんは受け取ったパスを器用に受けて、簡単に前の人を抜いていく。


「予想以上に上手いな」


 久保田は楽しそうに身を乗り出した。周りの生徒も窓から身を乗り出して応援している。

 永野さんは長い足を器用に使ってボールを操り、前に出て行く。


「足が速えー。そうか、聖空さまはダンスもすごかったから、体力あるんだ。うわー貴重だ~~」


 目に焼き付けよう~~と向坂は再び拝み始めた。

 他の生徒は授業中なのにスマホを取り出して録画している。

 それって色々大丈夫なのかよ……。


 ゴールキーパーを軽くかわして、永野さんはゴールを決めた。

 もはや学校中から「おお~~」と歓声を上げるが、永野さんは汗ひとつかかずに無表情だ。

 ゴールの喜びを共有しようと走り寄ってきたクラスメイトに触れもせず、ゆっくりグラウンドの真ん中を歩いて、元の位置に戻った。



「二年くらい前に、サッカーのマネージャーのドラマでヒロインやってたけど、めっちゃ可愛かったんだよな~」

 向坂は外を見たまま言う。

「『サッカーの聖女さま』な。永野さんがゴール裏に立ってるとゴールが入るクソドラマ。オール魔球。めっちゃ面白かったよな。あ、動画あるわ」

 久保田は即ぐぐってネットに上がっていたドラマの動画を見始めた。

「二組のやつらが永野さんに聞いたんだけど主演の大友信也と付き合ってたらしいよ」

「え? ネットには三上元哉と付き合ってたって書いてあったよ」

「それも聞いたら何も言わなかったって。否定しないってことは、アレだよなあ~」

「順番か? 順番か? 俺も順番にならびてえ~」


 またも下世話な話をしてる。

 すべて根も葉もない噂なのに、どうしてここまで盛り上がれるのか。

 俺は隙間から動画を見る。

 そこにはうちの学校よりダサいジャージを着てるのに、それを打ち消すような美しい笑顔で微笑む永野さんがいた。


 それをみて俺は驚いた。

 ものすごい作り笑顔だったからだ。

 昨日駅で子どもに向けてみせた素顔のほうが数千倍魅力的だった。


「うちの高校くるって言うから、この笑顔が無料で拝めると思ったけど甘かったなー」

「いや、あの身体が無料で見られるだけで最高」


 二人はスマホの動画とリアルな永野さんを見比べて楽しそうだ。

 昨日駅で永野さんに会ったことはなんとなく言えてない。

 駅で偶然会ってPEZぶちまけた子どもがいて……と全部説明するのもなんだし、なにより『あのちょっと違う雰囲気』をちゃんと伝えられる気がしない。

 ……いや、素直に言おう。

 なんとなく俺だけの秘密にしたいんだ、学校ではニコリともしない永野さんの一瞬の素顔を。





「……しまった、今日は水曜日か」


 俺は購買に来て絶句した。

 水曜日は地元で有名なパン屋さんと丼屋さんが来て、購買が戦争になる。

 パンを買いたい女子と、名物豚丼を買いたい男子が小競りあい、お互いを罵りあい、完全に地獄絵図。

 カフェテリアにもおにぎり売ってるから、そこに行こうと思った。

 踵をかえしたら、横から突き飛ばされて、そのまま女子にぶつかった。

 しまった……!

 俺は左手をなんとか壁について、女の子にこれ以上潰さないようにした。

 背中から押されながら無理に体勢を保ったので、左手首を強く壁に打ち付けてしまった。

 昔から右手を守る癖があって、今もそれは抜けない。

 女の子は無事なようだが、めっちゃ怒っている。

 

「もう気をつけてよ!!」

「……ごめん」


 俺が突き飛ばしてしまったのは、永野さんの取り巻きの田中さんだった。

 横に永野さんが見えた。

 騒がしい購買で、ひとりだけ時間が止まったように静かで、俺のほうを見ようともしない。

 ぶつかってしまったことは間違いのない事実なので、俺は小さく会釈してそこから離れた。

 左手をふってみると、軽くズキンと傷んだ。

 俺は保健室で湿布をもらって、お昼を調達した。





 左手首の痛みを理由に五時間目のサッカーは休むことした。

 暑くてやりたくないのが本音だけど。

 日向には居たくなかったので、グランドが見える限界の場所……渡り廊下横にあるベンチに座った。

 バイトどうしようかな……スマホを確認すると、今日は休めない日だった。

 母さんが打ち合わせにいくので、俺が店内に入らなければならない。

 テーピングすれば大丈夫だろう。そんなこと考えながら手首を軽くふった。


「ねえ」


 声に振り向くと、渡り廊下の真ん中に背筋をピンと伸ばして永野さんが俺を見ていた。

 真っ黒な瞳は潤んで美しく、長いまつ毛が影を落としている。艶やかな薄い唇は桜色。

 サア……とぬけた生暖かい風が、ビロードのように滑らかな髪の毛を揺らす。

  

 まるでさっき見ていたドラマから出てきたみたいな容姿に言葉を失う。


「……ん」


 俺の沈黙を裂くように、永野さんはつぶやいて、整った真っ黒な瞳を閉じた。

 同時に両手を制服のポケットの中にいれて、モゾモゾと動かした。


「あった」


 長いまつ毛が動いて、大きな瞳が再び俺をとらえた。

 なんだろう? そう思ったら、ポケットからオモチャに入ってないPEZを取り出して、俺に見せた。

 そして渡り廊下の板の上から境界線を越えるようにヒラリと飛んできた。

 

「ん」


 白く美しく尖った顎をツイと上げる。手を出せと言うことだろうか。

 俺が手を出すとそこにコロンとPEZをひとつくれた。

 そして再びヒラリと飛んで渡り廊下に戻った。

 俺の手にはPEZが一粒ころんと残された。ええ……? それを見て悩んだ。

 仮にも授業中だ。生でポケットに入れるのも変なのでパクリと口に投げ入れた。

 永野さんも薄い唇を開いてPEZを口に入れた。


「昨日のお礼。教科書ひろってくれたから」

「ああ、うん」


 俺はもごもごとPEZを食べた。わりと真面目な性格なので授業中にお菓子を食べたのは初めてだ。

 永野さんは俺の手首に視線を移した。


「……手首、大丈夫なの?」

「あ、ああ。うん、水曜日の購買はすごいな」


 手首傷めたこと……全然気が付いてないと思ってたけど、見てたのか。


「バイト辛いんじゃないの?」

「え?」


 俺は永野さんの顔を見た。

 バイト先を知ってるのか? そこまで考えて「あ」と思った。

 昨日子どもにあげていたPEZが入ったオモチャは海外のアニメキャラクターの物だった。

 わりとマニアックなアイテムで、うちの店みたいに海外で直接買い付けしてないと置いてないかもしれない。


「うちの店に来た事あるんだ」

「面白いお菓子たくさんあるから」


 そっかー、なんか嬉しいなあ……と顎をしゃくり、顔を上げたら目の前に永野さんは居なかった。

 おい、笑顔をつくった俺が恥ずかしいじゃねーか。

 昨日も音速で消えて行ったし、なんか消えるタイミングがよく掴めない……と思ったら、グラウンドから真由美が近づいてきた。


「暑いいいいーー、もうやりたくないよお~~」

「おつかれ」


 俺はなんとなく後ろを気にしながら真由美のために空間をあけた。

 真由美は渡り廊下横にある水道で水を飲んだ。

 そして口元を拭いて俺の横にすわった。

 

「サボりで正解だよ、もう頭から水浴びしたい」

「今日はヤバいな」


 真由美がサッカーの愚痴を言っているのを聞き流しながら、俺は永野さんのことを考えた。

 うちの店に来てたなんて、なんだかうれしい。

 今まで渋々だったけど、バイト入る気になってきた。 

 手首の痛みが薄らいだ気がして、なるほどこれが聖女さまの力とまで思った。


「ねえ……和泉って永野さんと知り合いなの?」

「え?」

 

 俺が顔をあげると無表情の真由美がいた。

 長い付き合いだけど、真由美がこの表情をするときは、何かグルグル考えてるときだ。

 でも知りあった経緯とか、今の事とか、全部説明したら、むしろ深い仲だと誤解されそうだ。


 中二の春に肘を怪我して自暴自棄になった時、親身になって励ましてくれたのは真由美だ。

 あの頃はメンタルがヤバくて、真由美は俺を見張っていたような状態だった。

 ただ……その時からずっと、俺の全てを親にペラペラ話すのだ。

 あの頃の事は感謝してるけど、今はわりと立ち直っていて、すべて親に筒抜けにされるのは辛い。

 なにも話してないのに「今日は転んだらしいじゃない」とか言われてしまう。

 思春期にはつらすぎる。


「……いや、少し話しただけ」

「何の話? 話題なくない?」

「ほら、次の試合始まるぞ」

「もおお~~~~」


 俺は真由美を追い出した。

 好意に気が付いてないと言ったら嘘になるが、女の子というより近すぎてもはや家族に近い。

  


 結局俺は手首に軽くテーピングしてバイトに立った。

 PEZのコーナーには、永野さんが子どもにプレゼントしてたオモチャが見えた。

 俺はなんとなくはたきでぱふぱふした。

 これは母さんがアメリカで直接買い付けしてきた商品で、よく売れる。

 ここに永野さんが立って、買ったのか。

 いつか来るかも……と思うだけで楽しくなってしまう。

 もうちょっと見やすい感じに並べておこう。

  

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