第15話 夏祭りの準備
「では、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
今日は夏祭り本番だ。
祭り自体は15時から始まり、物販もそれくらいから開始される。
駅前の市役所前の広場に舞台が設置されて、神輿も出る。
まだ朝8時だというのに業者の人たちや商店街の人たちで、市役所前の広場は混雑している。
店の設置はプロの人たちがやってくれるので、それが終わったら備品を運んだりセッティングしたり……仕事は山のようにある。
少しでも手が空いたら本部のほうも手伝う必要がある。
「すごいね。ものすごくワクワクする」
俺の横で永野さんは眼鏡をクイと上げた。
今日はたくさんの人が来るので軽く変装ということで、赤フレームのメガネをしてきていた。
そして髪の毛の色を簡単に変えられるスプレーというのをしていて、真っ黒な髪の毛は少し栗色になっている。
メイクも少しギャルっぽいというのが正解なんだろうか、まつげにふんわりラメが乗っている。
そしてアイメイクも濃いめだ。
俺レベルのアホ男子になると、これはもう別人、分からない。
じーっと見ていた視線に気が付いたのか
「……メイクとか、変?」
と聞いてきた。俺はぶんぶんと首をふった。
しかし可愛いと言うと睨まれるので少し考えて
「可愛い」
と言った。語彙力などない。
永野さんは「もう」と言いながら、でも眉間に皺は寄せなかった。
俺たちが荷物を運び始めたら、後ろから兄嫁さんが来た。
「あなたが噂のバイトさん? はじめまして、兄嫁の英子です。よろしくお願いしますね。……ていうかちょっと待って、やっぱりレベルが違う美人さんね……」
永野さんのことは、兄貴が軽く説明をしている。
元アイドルの永野さんのことを、兄嫁さんは当然知っていた。
しかし美容師をしていて、雑誌のメイクさんの経験もあるので美人には慣れている。
永野さんはピシッ……と背筋を伸ばして大人の顔になった。
「初めまして。永野と申します。夏の間だけですが、働かせて頂きます。全く慣れないので色々とご面倒をおかけすると思いますが、頑張りますのでよろしくお願いします」
兄嫁さんはギャルっぽいメイクをしているのに、あまりに礼儀正しく挨拶されて、少し驚いていた。
でもすぐに嬉しそうにほほ笑んで
「夏のバイトで当たり引くなんて何年ぶりかしら。よろしくねーー!」
と手を振って本部に去って行った。
広場は人が多いし、永野さんはスタイルが良いから居るだけで目立ってしまう。
実際お祭りが始まり、夜になったらまた来よう……と声をかけて喫茶店に戻った。
「さて。見てください、これが今日使う野菜です」
もう作業を始めていた兄貴がドヤる。
「分かってるけど、すごいな、ほんと……」
「夏祭りはね、わりと客が来るから」
喫茶店に戻ると大量の野菜が出迎えてくれた。
玉ねぎとキャベツが段ボール四箱、ジャガイモ二箱、ニンジン山盛り、エリンギ、マイタケ、シメジにトマトに大豆。
これらすべて使って兄貴がうちの店特製の『一日分の野菜が取れるスープ』を作る。
夏祭り限定で中にマカロニを入れて売るんだけど、これが母さんが仕入れてきた謎の粉をかけるとツマミにもなるので超売れる。
子どもに軽くご飯を食べさせたい母親たちも買うので、本当に超売れるのだ。
量が多いので、朝の8時から仕込んで出来上がるのは15時すぎ。
俺たちはさっそく作業に取り掛かった。
作業は基本的にすべてビニール手袋をして行う。
俺たちみたいな素人は手の皮が薄いので、野菜を大量に扱うとすぐに手指が荒れてしまうからだ。
もちろん衛生面的な話でもある。
手袋を渡そうとしたら、永野さんが俺に向かって手を見せてくれた。
「どうかな、変じゃない?」
見ると、付いていたジェルネイルが取られていて、すっきりと短い爪になっていた。
「もちろん、全然変じゃないよ」
俺がいうと永野さんは嬉しそうに「裸の爪にしたの、3年ぶりかも」と薄く目じりを下げた。
そして「とっても物が掴みやすいのよね」と嬉しそうに言った。
永野さんは料理をしないというので、キャベツを一枚ずつ分解する係になってもらった。
この作業なら包丁も使わないし安全だ。
スープには葉の部分だけ使って、芯は出汁に使う。
まず全部分解して、俺が包丁で芯と葉を切り分ける。
永野さんはもくもくと作業を続けていた。
やがてポツリと口を開いた。
「……キャベツって、どうして丸くなるのかしら」
「なるほど?」
二人して気になったので調べることにした。どうやら茎の長さが関係しているようだ。
なによりキャベツの元はケール……あのケールか!
俺は「ケールな……」と顔を歪ませた。
野球をしてた頃はとにかく体を強くしたかったので、毎日青汁を飲んでいた。
その頃母さんが「これが最高よ」と持ってきた青汁が本当に不味くてトラウマなのだ。
それを聞いていた永野さんが平然と言い張る。
「私、青汁得意よ。飲んでいる完全栄養食も、ドロドロしてあまり美味しくないけど全然飲めるし」
「ほほう、言ったな?」
俺は一階に行って、今も売っている完全体の青汁を買ってきた。
それはパックの状態で売ってるんだけど、パックの時点で重くてすごい。
永野さんは手袋を取って「全然平気ですよ?」と飲み始めたが、間違いなく表情が無になった。
学校でしていた無ではない、フリーズだ。
俺と兄貴は楽しくて「ど? ど?」とニヤニヤしながら見ていたら、永野さんは覚悟を決めたのか、ズズーッと一気に青汁を飲んだ。
そして
「ひどく不味いです……お水をください……」
と素直に言った。俺と兄貴は爆笑してしまった。
本当に不味いんだって! なんかケールが際立ってるのだ。
永野さんはお水を飲んで「ふう」と一息吐いて「やめておけばよかった……」と小さな声で言いながらキャベツを剥いた。
どんどん表情が豊かになってきて、見ているだけで楽しい。
次は玉ねぎの皮を取る作業をお願いした。
予想通り目が痛そうだったので、準備しておいた水中メガネを渡すと嬉しそうにそれを装着した。
実に二時間以上野菜の下ごしらえをして、さすがに疲れて和室に転がった。
背筋が伸びて気持ちが良い……と伸びをしていたら、横に永野さんが座った。
そして俺の横にコロン……と転がった。
「畳のいい匂い」
そう言って俺のほうを見た。
すると横になった状態で永野さんの顔がすぐ横にあった。
本当に目の前に。
あまりに近さに驚いて、跳ねるように身体を起こした。
永野さんも同時に身体を起こして、顔をそむけた。
「ごめんなさい、驚かせて」
永野さんはそう言って俺の方をみた……瞬間、俺は笑って、再び畳みに転がってしまった。
だって永野さんの目の横はパンダのように水中メガネの跡が付いていたからだ。
さっきは近すぎて目しか見えなかったけど、はっきりと付いていた。
俺の爆笑で気が付いたのか、永野さんはトイレに入って「あー」とむくれて帰ってきた。
貸したのは俺なのに笑ってゴメン。
でも本当に可愛くて、面白かったんだ。
永野さんは
「次は和泉くんがつけるべき」
と水中メガネをグイグイ渡してきたけど、俺は玉ねぎの目の痛み慣れてるから大丈夫。
あ、要らないです~。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます