第14話 夏休みの誘いと歌声

 一学期が終わった。

 

「うおおおお今日から毎日原稿して本は絶対に出す!!」

 久保田はカバンに荷物を投げ込んで叫んだ。

 漫研で合同、そして個人でも本を出すらしく、明日から合宿なのだと気合を入れていた。


「明日大会予選だよ。めっちゃ緊張する」

 向坂はe-sportsの大会に出るらしく、ここ数日は毎日ずっと同じゲームをしている。

 FPSゲームで、俺も何度か一緒にやったけど、やることが多すぎてよく分からなかった。

 野球のように一軍だけ出るのではなく、同じ高校から何チーム出ても良いようで、一年生で出るのだと言っていた。


 夏期講習の選択科目を一緒にしたので、まだ来週会うのであまり「またなー」とはならず、普通に別れた。

 俺は……去年の夏はずっと勉強していたので時間が潰れたけど、今年は……と思ってスマホを握った。

 永野さんと色々出かけられたらうれしいけど、長期でどこか行ったりするのだろうか。

 




 いつも通りの環状線のホームは、もう夏本番という蒸し暑さだった。

 夏休みのことを聞いてみると、永野さんはカバンから首まくらを出しながら言った。


「特になんの用事もないわ。前に少し話したと思うけど実家もないの。だからずっと家にいるわ。和泉くんは?」

「父さんが出張で山梨にいるから、そこに行くのと……あとは新潟のばあちゃんの家かな」

「そう」


 小さな声で言った永野さんの横顔が静かで、俺は思わず口を開いた。


「あのさ、前も少し話したと思うけど。夏休みの間だけでいいから、うちの店……というか兄貴の店だけど……で、バイトしないか。人目が気になるなら、お客さんの前に出なくても大丈夫だと思う」

 

 永野さんがキョト……と俺のほうをみた。

 実はずっと考えていたことだ。

 永野さんは少しはずかしそうに下をみて

 

「……私、料理とかできないけど」

「大丈夫、俺もだよ。というか、兄貴は料理がしたくて店をしてるから、することはひたすら玉ねぎの皮むきとか、キャベツの芯取りとか、そんなの」

「……それくらいなら、できると思うけど……良いのかな」

「喫茶店で働いてくれているおばちゃん二人は、小学生の子どもがいて、学校に行っている間だけお仕事してもらっているんだ。夏の間だけ短期バイトを雇うから、永野さんが来てくれたら兄貴も俺もうれしい」

「本当? 邪魔にならない?」

「兄貴に聞いてみるよ」


 LINEで兄貴に聞いたら『マジうれしいい~~~助かる~~~~』と即返ってきた。

 その画面を見せたら、永野さんは眉毛をおろして、ふわりと間違いなくほほ笑んだんだ。


「……うれしい。じゃあ、いいかな。正直、何しようかな……って思ってたの」


 俺はその微笑みに完全に心臓を掴まれてしまって、すこしドキドキしながら誤魔化すようにスマホをポケットにいれた。


「そんな時給高くないけど、平気?」

 永野さんは静かに首をふって

「お金じゃないの」

 と言った。アイドルの仕事を長くしてたからお金は問題ないのかな。

 よく分からないけど、夏休み中も会えるという状態を作れて良かったと安堵した。

 永野さんは首まくらをした状態でぐっすり眠っている。

 むしろ明日から夏休みで電車で一緒に帰れなくなるけど、睡眠は大丈夫なのだろうか。

 夏休み中にどこか電車で出かけたいな……と思った。この環状線はずっと乗っていると県をこえて海に出る。

 海か、海いいな。俺は終点あたりの情報をなんとなく調べた。

 トビウオ……? トビウオって食べられるのか……? なんか身が堅そう……と調べたらそこが美味しいらしい。

 一緒に食べたい、永野さんの笑顔をもっと見たい。

 その笑顔の一番ちかくにいたい。




「まーじで手伝ってくれるの? 超うれしい。ありがたい、募集出すとお金かかるし、面接もめんどくさいんだよー」

「そういうものなんですか」

「そうなの。張り紙したって誰もこないし、結局求人出すんだけど、そうするとろくに条件読まないような人が溢れてさあ」


 さっそく挨拶したいと来た永野さんに兄貴は愚痴った。

 夏休みにくるアルバイトさんは、俺が横で見ていても中々すごいのが来る。

 一日で来なくなったり、備品持って消えたり、全然仕事しなかったりする。

 打率は2割にも満たないので、永野さんのように真面目な人がきてくれたらうれしいと思う。

 兄貴は手を洗いながら出てきた。


「料理は全然しないの? ていうか、ひそかに気になってたんだけど、マンション一人暮らしで何食べてるの?」

「主に完全栄養食です」


 永野さんははっきり答えた。

 かんぜんえいようしょく????

 俺と兄貴は聞きなれない言葉に、顔に「??」マークを浮かべた。

 永野さんはスマホを立ち上げてサイトを見せてくれた。

 そこは真っ白でシンプルなサイトで、身体に必要な栄養素をすべてこれだけで取れる……と書いてあった。

 プロテインみたいなものか? と俺は勝手に理解した。


「必要最低限の栄養はこれで取れるので、昔からこれを朝晩と飲んでいます。お昼は学校で適当に。お菓子は好きなので、ここの一階でよく買います」

「一人暮らしなら理にかなってるよね。一人分は買った方が楽。これはガチ」


 そういうものなのか。

 俺は一人暮らししてないから全く分からない。

 永野さんも深くうなずいている。


「無理強いはしないけど、バイトしてる間は昼夜とうちで食べない? 主に残り物だし、瑛介に作るからついでなんだ」

 兄貴の提案に永野さんは俺のほうをチラリと見た。

 俺は「兄貴の作る賄いは旨い……」と何度もうなずいた。

 永野さんは表情を柔らかくして両手の指先を合わせて

「……じゃあ頂きたいです」

 と言った。

 そして自分の爪を見て

「明日ジェルネイル取ってきます。これじゃ何もできない」

 と爪に触れた。そういえば永野さんの爪はとても長いのだ。

 兄貴はチラッとみて

「俺の嫁の爪より全然短いから気にしなくていいけどな。どうせ手袋してもらうし」

「……そうなんですか?」

 永野さんは目を少し大きくして言った。

 本当にその通りだ。兄嫁さんは永野さんより更に長い爪だ。

 パーティーに行く時は爪と爪がチェーンのようなもので繋がっている。

 邪魔じゃないですか……? と一度聞いたら「人生思ったより指と指の間に何か入れない」と断言された。

 意識したこともないから知らないけれど。

 永野さんは爪に触れながら

「……でもいいです。良い機会だと思うので、取ってきます」

 と顔を上げた。その表情は明るくて迷いがなくて、無理やりじゃないのは感じられたので、俺も兄貴も「好きにすればいいよ」と頷いた。



 

 早速何かしたいと言ってくれたので、週末に出す屋台で使うものを洗うことにした。

 もちろん俺も一緒だ。

 二人とも着替えてないので制服の上にエプロンをしているだけだが、明日から休みでどうせクリーニングに出すからいいやと言いあった。


「あった、あった、屋台セット」

「持てる? 手伝う?」

「出すから待ってて」


 倉庫の地層から『屋台』と書かれた箱を引っ張り出す。毎年夏まつりに屋台を出してるんだけど、年に一度なので使った後は奥に押し込まれる。

 中にはスープを入れるようにカップや、お箸、それにスプーン、のぼりなどが詰め込まれていた。

 去年の帳簿を見ながら、残りの数で足りるか、足りないなら発注などを始めた。


「和泉くん、見てみて!」

 

 出した机を駐車場で洗い始めた永野さんがホースの水を高くしてジャバジャバ跳ねさせている。

 その空間に少しだけ虹が見えた。


「虹、見える?」


 完全に永野さんははしゃいでいる。

 というか、永野さんは顔に大量に飛び散った水を浴びていた。

 俺は首からタオルを取って、永野さんの顔を拭いた。

 髪の毛も濡れていたので、そのまま頭に巻き付けてみる。

 まるで工事現場のおっさんのようだが、これ以上濡れないと思う。

 永野さんは「?」と頭に触れて


「変じゃない?」


 と言った。両目が上のほうにあって口が少し尖った表情が、今まで一度も見たことがないほど力が抜けていたので

「可愛いよ」

 と俺は素で返した。

 すると永野さんはなぜかムッ……として、俺の足元のほうにホースで水を流してきた。

 ちょっと、革靴なんだけど!!


「……和泉くんは、ずっと野球してたとか言うわりに、可愛いとかサラッと言えるの、ズルい」

「そんなのアイドルしてたんだから、毎日何万回も言われたんじゃないのか?」


 永野さんは俺の言葉を聞いて更にホースをもって近づいてきて


「それとこれは全然ちがうんだけど」


 と少し眉間に皺を入れて言った。

 よく分からないが、俺の革靴はグズグズのベショベショになってしまって気持ちが悪い……。

 仕方なく置いてあった運動靴に変えて戻ってきたら、永野さんは少し鼻歌を歌いながらまだ机を洗っていた。


 その声は高い所から、低い所へ。

 まっすぐに迷いなく降りて行く鳥みたいな歌声。

 一気に流れを掴んで夏空に飛んで、そのまま風を掴んで舞うような自由さで。


 あまりに儚くて美しくて、俺は階段に立って少しだけ聞いていた。


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