第13話 繋がったもの

 環状線のホームは七月になると少し空気がカラッとしている。

 真由美はアイスを食べ終えると即学校に戻り、部活に参加。

 平間はスタジオに入ってイベントの準備だと中央本線に消えて行った。


「楽しかった。和泉くんありがとう」

「平間は同じ事務所だし、真由美は信じられるかな……と思ってさ」

「うん、でも誰より……和泉くんを信じられるよ」

「え……?」


 永野さんはポケットからスマホを出して俺に近づいてきた。


「和泉くんの連絡先、教えてもらっていいかな。ずっと聞きたかったけど、私には聞きにくいよね」

「そうだね、やっぱり同級生には教えないほうが良いんじゃないかと思って」


 永野さんは静かに首を振った。

 絹糸のような髪の毛がサラサラと揺れる。


「和泉くんはただの同級生じゃなくて……特別な友達だよ」


 その言葉に胸の真ん中に何かが刺さったみたいにドキッとした。

 ただの同級生じゃなくて、特別な友達。特別……スペシャル……special……。

 ……嬉しい。俺は口の中を噛んで普通の顔を保った。

 永野さんは続ける。


「なにより……夏休み、お祭りの手伝いとかしたいの」

「うん、もちろん。連絡する」

「私の前のスマホ、仕事やめた時に解約したの。だから連絡先はマネージャーしかないから、すぐに返信するね」

「いや……クラスのグループとか入らないほうがいいよ、通知がエグい……」


 俺たちはフリフリしてLINEを交換した。

 そこに表示されたアイコンは、うちの店のジンジャエールを上から写メったもので……俺はまた嬉しくなってしまった。

 いつの間に撮ったんだろう。

 ちなみに俺は応援している野球チームのキャラクター……トッポくんだ。

 トッポくんは白クマがリンゴの被り物をしていて、わりと可愛い。

 

「……野球のキャラクター? なんとなく知ってる」

あまスタのトッポくん。野球見に行ったことある?」

「ない」

「じゃあ夏休み、どこか外野で見ない? 何も分からなくてもいるだけで楽しいよ。あ……最初なら内野のが分かりやすいかな……」

「行ってみたい。すごい、そうよね、野球って見に行けるのよね、考えた事なかった」


 永野さんは両手を合わせて目を細めた。

 俺からすると日常だけど、永野さんからすると日常じゃないことが沢山あるんだろうな。

 

「甘スタは持ち込み可だから、入る前に山盛りポテトと焼きそばとジュースを買う」

「うんうん」

「球場についたら、まず扇子を買う」

「あ、見た事ある、あの踊るやつ?」

「そう、何種類もあるんだ」 


 永野さんはすぐにスマホで調べて目を輝かせて「丸くなるのもあるのね」と俺のほうを見た。

 俺が応援している甘木あまきアップベアーは公式の応援グッズとして扇子を採用していて、毎回20種類くらい売っている。

 わりと頻繁に新作が出るので、俺は毎回買ってしまって家に10本くらいある。

 永野さんは「楽しみで眠れないかも」と言っていたが、首枕をして1分で眠りについた。

 でもその笑顔は、今までで一番緩んで見えた。

 俺はスマホに入った永野さんの連絡先を見て、いつまでもニヤニヤしていた。





 

 バイトの休憩中にスマホを見ると、毎回連絡先のところにある永野さんのアイコンを見てしまう。

 連絡先があるというだけでこんなにワクワクするものなのか。

 見ていたら丁度通知が入って、永野さんから初LINEがきた。


『期末も終わったし、今日は一緒に走りませんか?』

『いいね』

『じゃあいつもの時間にお店の前で待ってます』

『了解』


 俺はスマホをエプロンのポケットに入れて緩む頬をパチンと叩いた。

 ダメだこれは、すごく嬉しい。

 バイトを早めに上がらせてもらって一度家に帰る。

 そして野球をしていた頃のジャージを引っ張りだして汗をかいてもベタベタしないTシャツを取り出す。

 なんとなく制汗スプレーをして、運動靴を履いた。

 

 店の前にいくと永野さんがもう待っていた。

 その服装は帽子にジャージにTシャツという状態で、私服とはまた違うし、制服とも違う雰囲気で新鮮だった。

 手に持っていたペットボトルを持ち上げて


「いつも私が走っているコースでいい?」

 と少し首を傾げた。

 俺は大きく頷いた。


 この町は商店街を一番最後まで抜けると、川にたどり着く。わりと大きな川で俺が野球をしていたグラウンドもある。

 幼稚園がこの川沿いにあって、河原が園庭遊びの定番だった。

 そこで野球をしている人たちを見て「面白そうだなあ」と思ったのだ。


「いつもここから、ぐるーっと一周回ってくるの。一回はかったら5キロだったわ」

「夜の風が気持ちいいね」

「そうなの。夏がすぐそこまできてる匂いがする」

「ああ、風の湿度がちょっと消えた感じ?」

「そう」


 俺と永野さんは走り出した。

 永野さんは正直、かなり走る速度が速いと思う。

 俺も速いほうだけど、この速度で毎日5キロ走ってたら……そりゃ学年一位だよ。

 走りながら息ひとつ切らさず、永野さんは口を開く。


「……眠れなくてね。最初は歩いてたんだけど、いつの間にか走るようになって。それで帰ってシャワー浴びたら気持ちよくて。そこから始めたの」

「仕事してる時から走ってたの?」

「ううん、その頃は運動するならマンションの中のトレーニングルームで走ってたの」

「やっぱりあるんだ」

「あるわよ、すごく大きくてキレイな部屋が。でもやっぱり景色も変わらないし作業みたいでつまらないの」

「分かる。数値だけを追い続けるマシンになった気がするよね」

「そう。なんか目の前のメーターばかり見ちゃうのよね」


 トレーニングあるあるを話ながら俺たちは走る。

 橋の上にさしかかり、永野さんは立ち止った。そして流れて行く川を見る。

 夜なので真っ暗で、川面が月に照らされて、キラキラと輝きながら流れて行くのが見える。


「ここから景色を見てるのが好きでね、いつもぼんやりしてるの」

「夜の川って怖くない? 真っ暗でゴーゴー言うから、俺は子どものころ、わりと怖かったな」

「和泉くん、思ったより怖がりね」

 そう言って永野さんはポニーテールをくるりと回して俺の方を見た。

 月夜に照らされている輪郭が白くてきれいで、思わず見惚れる。

「私は好きよ、夜の川。全部のみ込んでくれる圧倒的な強さとか、迷いがないじゃない。それに……」

 永野さんは橋から少しだけ戻って雑草を抜いてきて、ポイと投げた。

 雑草はくるくる回っていたが、加速して流れて行った。

「こういう楽しみも知ったし」

「真由美が喜ぶぞ」


 俺も戻って雑草を抜いて二人でどちらが遠くまで投げられるか戦った。

 しかしまあ、投げるとなると俺のほうが余裕の勝利だけど。


「もう、やっぱり投げるとかしない」

 永野さんは眉間に皺を入れて走り出した。

 俺はなんだか永野さんをからかいたくなって横に追いついて

「俺の勝ち」

 と言ったら、永野さんはクッ……と俺のほうを睨んだ。

 その顔があまりに可愛くて、素直に

「可愛いな」

 と言ったら、永野さんは唇を噛んで全力で加速して逃げて行ってしまった。

 バカにしたように聞こえてしまっただろうか。

 俺は兄嫁さんと母さんと真由美が「可愛いはすぐに言いなさい。毎日言いなさい、おはようみたいに言いなさい」と言うので「可愛い」は何も意識せずに出てきてしまう。

 でもきっと永野さんはそんなこと言われ慣れてるだろうと思いなおした。

 しかし本当に速い! 俺は疲れてしまって、もうダラダラ走りながら永野さんを追った。

 すこし先の階段に永野さんは座っていて、ペットボトルのお茶を飲んでいた。

 俺も横に立ってお茶を飲む。

 すると目の前に懐かしいものが見えた。

 

「お、まだあるかな」


 マラソンコースの下、河原の所は丁度野球のグラウンドだった。

 俺は永野さんと一緒に階段をおりていく。

 ここのグラウンドで、俺はいつも練習していた。その横にあるベンチ……しゃがんで裏側をみると、そこには小学校の時にカッターで切って油性ペンで色を入れた落書きがまだ残っていた。


『ぜったい こうしえん!! 4-3 いずみ』


 うっすらだけど、まだ残っている文字を俺は撫でた。

 どうしようもない気持ちになって、俺は少し黙る。

 俺の夢は消えたけど、まだここにはあって、書いたときの景色さえ思い出せる。

 永野さんは小さく丸まってそれを見ながら



「……叶わなくても、想いはずっとここにあるのね」



 と言った。

 その言葉を聞いて、俺はなんだか心にグワッ……と来るものを感じた。

 よく分からないけど、心臓が掴まれたみたいに苦しくて、たぶん、もう少ししたら涙が出てしまうのが分かった。

 ヤバ……。俺はなんどか瞬きをして誤魔化した。

 そうなんだ。

 もう叶わない夢だけど、ここで過ごした時間が消えるわけでもない。

 それに……もう当分グラウンドに来たくないと思ってたけど、自然と足が向いていた。

 きっと……永野さんが一緒だったから、見てほしかったんだ。


 川がザーザーと流れる音を俺たちは静かに聞いた。

 永野さんが立ちあがったので、俺は自然と手を出した。

 階段は暗くて、良く見えなくて危ない。

 永野さんは自然と俺の手を握った。

 柔らかくて細くて小さくて。夏なのに冷たい手。

 優しく握って、階段をゆっくりのぼった。

 のぼりながら、この階段があと200段くらいあればいいのに……と思った。

 永野さんもゆっくり、ゆっくり階段をのぼる。

 そしてマラソンコースに戻り、どちらともなく、ゆっくりと離した。

 

「……行きましょうか」

「そうだね、身体冷えちゃった、ごめんね」

「ううん、熱いわ」


 永野さんは身体を翻して走り始めた。

 俺も追う。

 まだ手に永野さんの体温が残っている気がして、強く手を握った。

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