第21話 体操教室

 俺と永野さんは一度帰り、ランニング時の服装に着替えて、駅前の巨大カルチャーセンターに向かった。

 うちの商店街の反対側には大きな幹線道路があり、そこは大きなビルが多い。

 何度か遊馬くんを迎えに行ったことがあるが、学童施設以外の場所に入るのは初めてだ。


 地下にはプールもあり、俺も肘のリハビリに何度か泳いだ。

 泳ぐのは好きだけど、やっぱり着替えるのが面倒なんだよな……。

 

 建物に入るとふわりと塩素の匂いがして少し落ち着く。

 地下から三階までは子ども用の施設で、四階より上が大人用のカルチャーセンターだ。 

 今日は夕方から体操教室を体験して、その後子ども用の体操教室を見学させてもらうつもりだ。

 受付の人に声をかける。


「すいません、体験教室にきたのですが。突然二人になったのですが大丈夫ですか」

「誰先生のコースですか?」

「遠藤先生のコースです」

「大丈夫ですよ。ここに住所とお名前の記入をお願いします」


 ボードを渡されて俺と永野さんは書き込んだ。

 教室がある四階は真ん中に廊下があって鏡張りのレッスンルームが数部屋みえた。

 ヨガに体操、ダンスに、舞踊まで見えた。本当になんでもあるんだな。

 そして教室がある部屋に入ると遠藤さんが柔軟体操をしていた。


「わ! 聖空!! うれしい、来てくれたの?」

「久しぶりに遠藤先生と体操をしたいなと思って」

「うれしいー! 和泉くん聖空を連れてきてくれてありがとう」


 二人はキャッキャッと嬉しそうだ。

 この時間は主婦の方が受けるレッスンのようだ。

 俺も一番後ろでレッスンを受ける。


「まずはゆっくり体を動ける状態に持って行きましょう。すぐに動くと身体がびっくりしちゃうからね」


 遠藤先生は緩い柔軟から始めて行く。

 身体のパーツを上手に使った筋を伸ばしすぎない動きが続き、徐々に体が温まって行く。

 身体を動かしながら思ったが、遠藤先生のレッスン内容はどこかに異常に負担をかけることをしない。

 ただ腹筋を何度もする……とかではなく、遊びの要素も取り入れながら身体全体を動かしていくのだ。

 今まで腹筋100回、背筋100回のような運動をしてきた俺には新鮮だった。

 

 レッスンの40分はすぐに終わり、俺は入会しようと思った。

 月に6000円程度で身体を動かす基礎が身につくのは良い。

 何より肘に痛みを全く感じなかった。


「どうだった?」

「入会します」

「あはは、ありがとうー! 和泉くんみたいに怪我がある子はこのコースがいいと思うよ。徐々に筋肉柔らかくしていけば肘の痛みもカバーできると思う」

「私はもう少しハードなコースがいいです」

「お、さすが聖空。じゃあ金曜日の18時からとかどう? 一時間がっつり身体を動かすの」

「いいですね」


 俺たちは休憩室でお茶を飲み、次は子どもの体操教室を見学させてもらうことにした。

 永野さんは少し汗をかいた表情で口にゴムを咥えて、髪の毛を縛りなおした。


「懐かしい、遠藤先生のレッスン。そんなに派手な動きじゃないのにすごく汗かくのよね」

「うん、教え方が上手だと思う。学校の授業とか、こういうのなら良いのにな」

「サッカーとかバレーとか、よく分からないわよね」

「ただ立ってたら終わるもんな」


 俺たちは学校の体育の授業に文句を言い続けた。

 とにかく走れとか、突然サッカーしろとか、無理すぎる。それに皆の前で晒されるからイジメの温床でもある。

 身体を上手に使うレッスン的なもので良いのにな……と遠藤先生のレッスンを受けて思った。


「はじまるわよー、どうぞー」


 促されて俺たちは小学生の体操教室の部屋に入った。

 そこには遊馬くんくらいの年齢から、もう少し大きい子までいる小学生のクラスのようだった。

 同じように軽い運動から始まる。

 さすがに小学生相手なので遊び要素が多く、ひとりの子が背負子を背負い、玉を入れられないように走りまわるレースが始まった。

 球を入れられないように逃げ回る子と、入れたくて走りまわる子、足元に球も落ちているのでそれを避けたり、俊敏な動きが要求される。

 一時間のコース内容で30分は遊び、20分はレッスン的な内容だった。

 今日は縄跳びのレッスンだったが、紐の持ち方から、飛ぶ時の視線まで事細かに教えていて、基礎的なことは全て身に付きそうだった。


「はーい、最後に。後ろに立ってるお兄さんの背負子にボール入れられた子が優勝」

「なんだってーーーー?!」

 子どもたちが一斉に俺のほうを見る。

 なんだ突然。

 俺は背負子を渡されて教室の中を走ることになった。

 こういうのは手加減は禁止なので、俺は投げつけられる玉から逃げて逃げて逃げまくった。

 鏡をみると遠藤先生と永野さんが笑っている。

 いや、笑ってる場合じゃない。


「もうダメだ、捕まえろ!!」


 リーダー格の男の子たちが三人くらいが来て俺を360度身動き出来ないようにしてしまった。

 ああ……数の敗北。

 その間に背負子にすべての球を入れられてしまう。

 遠藤先生は笑いながら

「はい、みんな優勝! 背負子はここに片づけてくださいー」

 俺はそれを倉庫に持って行った。

 体のいい片づけ係だ……。



 帰りに入会手続きをして、俺と永野さんは外に出た。

「お兄ちゃんバイバーイ」

 さっきの教室の子供たちが帰って行く。

 俺と永野さんは手を振った。

 みんな笑顔で楽しそうで、それだけで少し元気をもらったような気がしていた。


 

「和泉くんの必死の形相が、忘れられないわ」

 永野さんは商店街を歩きながらいつまでもクスクス笑っている。

 なんという失礼な……と思うが、俺もやはり追われると負けたくない気持ちが強く、負けず嫌いだと思い出した。

「あれはズルい。あれは良くない行為だ」

「前から思ってたけど和泉くんって本当に真面目よね」

「捕まえて入れるなんて行為が許されたら、ダメだろう」

「あははは!」

 ついに永野さんが声をあげて笑った。

 俺は嬉しくて横にいる永野さんをじっと見てしまう。

 永野さんは俺の視線に気がついて、俺に一歩寄ってきた。

 そして俺のTシャツの袖をツン……と引っ張った。


「……あのね、今日、学校楽しかったの」

「……そっか、良かった。うん……抹茶アイス三個は俺もよく分からないけどな……」

 

 そう言ったら永野さんはムウと膨れて


「抹茶アイスが一番おいしいの。それに全部味が違うって食べて思ったでしょ?」


 と近づいてきて、ピョコピョコ跳ねた。

 わかりました、はい……。

 あまりに可愛かったので、俺は自然と永野さんの頭を優しく撫でた。

 永野さんはビクリとした後に、更にムウと膨れて顔を上げた。

 そして俺の手でヘディングするように、何度もピョコピョコ飛び続けた。

 なんだろうこの新種の遊びは。

 やがて俺の腕にしがみついて


「今度私がオススメの抹茶アイスを食べに行きましょう。目覚めるわよ」

「うん……?」


 抹茶アイスは……ドロドロの甘いお茶だと思う……。

 俺の反応の薄さが気に入らないのか、永野さんは俺の脇をくすぐった。

 ちょっと!!

 我慢できずに反撃することにした。


「今日のノートに書いてあったモンスター何?」

「モンスターじゃないもん、トッポくん!」

「うん?」

「わりと上手に書けたと思ったのに」

「うん?」

「もーー! じゃあ和泉くん書いてみてよ!」


 俺たちは影が伸びる夕方の商店街を歩いて帰った。

 録音された子供たちの放送がぬるく響く。

 たまに俺の服に触れながら、離れながら、ほほ笑む永野さんの笑顔。

 商店街が何キロもあればいいのに。

 俺は思った。

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