第43話 旅行① はじめてのキス

「おはよう、瑛介くん」

「おはよう、聖空さん。荷物すごくない? 持つよ」


 旅行にいく日の朝。

 店の駐車場に来た聖空さんの荷物は、聖空さん自身が入りそうなほど大きかった。

 身体を斜めにしている姿が辛そうで、俺はすぐに荷物を受け取った。


「女の子は一日だって同じ服着たくないって、ど~~~して男には分からないんだろうねえ、聖空ちゃん」

「お姉さん! お久しぶりです。わあ、そのワンピース可愛い!」

「でしょでしょ? 夏の高原って言ったらワンピじゃない? 聖空ちゃんもその帽子可愛い~~!」


 兄嫁さんと聖空さんはカバンや服をお互いに褒めあった。

 家族旅行は毎回兄貴一家が一緒なので、賑やかで嬉しい。


「お姉ちゃんだ~~!」

「遊馬くん、ちょっと見ない間に身長伸びたね」

「3センチも大きくなったんだよ!」


 遊馬くんは聖空さんにしがみついた。

 二人は仲良しで、日曜日に一緒にキャッチボールすることもある。

 俺たちは兄貴が運転するワンボックスカーに乗り込んだ。

 渋滞を避けるためにかなり朝早くから移動を始めたので、兄嫁さんと遊馬くんはぐっすり眠ってしまった。

 俺は聖空さんと旅行という事実が楽しすぎて眠れない。

 ちなみに母さんは朝からワインを飲んでいて、当然眠っている。


「車の免許って、難しいですか?」

 聖空さんが兄貴に聞く。

「お、取りたいの? 最近免許取る子少ないから、良いと思うよ」

「いやぁ……聖空さんは……免許はどうかな?」

 俺はこの前、ゲームしていた聖空さんを思い出しながら言う。

「あれはゲームだもん。きっと練習したら絶対上手だと思う」

 聖空さんは俺の肩を聖空さんが掴んでガタガタ揺らす。

「何? 永野さん、レースゲーム下手なの?」

 兄貴は運転しながら言う。

「そんなことないですよ!」

 と聖空さんが言うのと

「抜かれるとムキになって追うもんなあ……危なかろう……」

 と俺が言うのは同時だった。

 聖空さんは両手を伸ばしてきて、俺のほっぺたを両側に引っ張った。

 痛い痛い痛い!!




 四時間後、車はロープウェイ乗り場に到着した。

 ホテルはここからロープウェイに乗って、山を30分ほど歩いた所にある。

 山を歩くと言っても、綺麗に平されているので登山のような感じではない。

 ホテルには温泉プールもあるし、冬にはスキーができる。

 温泉に入りながら雪を溶かすのが楽しくて、何時間でも遊んでしまう。

 二年くらい前に来た時は遊馬くんと巨大雪だるまを温泉に溶かして遊んだ。楽しすぎるんだ、あれは。


「温泉サイダー! あ、抹茶ケーキ!」


 聖空さんはロングスカートをヒラヒラさせながらロープウェイ乗り場に併設されている売り場を移動した。

 兄嫁さんと二人で「試食って全種類食べたくならない?」と言いながら次々移動していく。

 ホテルについたらすぐに昼飯のような気がするけど、きっと関係ないんだな……。


「ふえ~~、お酒飲んでロープウェイ乗ると、毎回気持ち悪い……」

 母さんは毎年同じことを言ってるのに朝からワインを飲む。

 大人ってのはよく分からない。

「お姉ちゃん、こっちこっち、乗り場が遠くになって……ほら、車が見えるよ!」

 遊馬くんは聖空さんを窓際に引っ張っていく。

「うわー、すごい高い所にいくのね」

 聖空さんはそう言って俺のほうを満面の笑みで振り向いて見た。

 可愛い……。俺は思わず頭を撫でた。


 ロープウェイを下りると空気が全く違って、リンと冷え切っている。

 俺は腰に巻いていた上着を羽織った。聖空さんもパーカーを羽織る。

 それは去年のクリスマスに俺がプレゼントしたもので、聖空さんは本当によく着てくれていて、嬉しくなってしまう。


「すごい、日差しは夏なのに空気は秋だわ」

「湿気が全くないんだよな」


 俺たちはゆっくりと道を歩き始めた。霧がかかった道は数メートル先が見えなくて、優馬くんは走っては姿を消して遊んでいた。

 数日前まで雨で天気を心配してたけど、旅行の間は降られないようで安心した。

 ホテルにつくと、荷物を置いて軽く昼ごはんを頂いた。

 経営者の方々に挨拶して、俺と聖空さんは足湯がある公園にお散歩にいくことにした。





「あれ……わりと……坂道がきついのね」

「そうなんだよ、だから言っただろ、ヒールじゃないほうが、いいって」

「そうね、正解だわ。でも、登った方が景色が綺麗なのよね?」

「山の一番上だからね」


 俺たちは手を繋いで、でもわりとヒーヒー言いながら階段を登った。 

 兄貴一家も誘ったのだが、何度も登ったことがある兄貴たちは「あ、あそこ大変なんで~~」とホテル裏にある温泉プールに消えて行った。

 温泉プールは! 山に登って! 疲れた後が最高なんだ!!

 やっぱり酸素も薄いので、トレーニング状態で野球してた頃はよく山を走った。

 朝なんて最高に気持ちよくて、朝日をみるためにこの山を走ったこともある。

 ……今じゃもう無理かも知れない……、つらい。


「あ、やっと、瑛介くん、ほら、ゴールよ」

「あははは、そうだねうん、あー……つかれたあ……」


 何百段も階段を登った先に足湯施設が見えた。

 なんとか到着して、俺たちは倒れこむようにベンチに座る。

 眼下には俺たちがのぼってきた階段……上からみると、やっぱりここはかなりつらい場所だ。

 息を整えながら見ていたら、ふわああ……と雲が開いて、下の方が綺麗に見え始めた。

 

「瑛介くん、すごい! ロープウェイ乗り場があんなに小さいわ」

「登ったねえー……」


 俺たちは店の壁に背中を預けてそれをずっと見ていた。

 雲が動くと、その下にある街に落ちた影も動く。

 汗が引くまでぼんやりして、自販機でアイスと入場券を買い、足湯に入った。




「ちゃんとスカートで来たのよ?」


 聖空さんは靴下を靴に入れて、スカートを持ち上げた。

 すると真っ白で長い足が膝の上まで見えて、俺は思わず目をそらす。

 聖空さんはそんなこと全く気にせずに足湯に入り、中にある石を踏んで「痛い! すごい!」と楽しそうに歩き回った。

 他にお客さんはいなくて、俺たちはアイスを食べながら足湯を楽しんだ。

 足元から湯気が上がってるから……というのもあるが、アイスはすぐに溶けてしまう。

 聖空さんは「あー、あー!」と手に流れてくるアイスを舐めていた。

 俺は足湯に入って1分で食したので大丈夫だ。


 手から肘にかけてアイスが線を描いて落ちていたので、俺はタオルを少し濡らして腕を拭く。

「アリさんが来ちゃうわね」

 聖空さんはアイスを全部口に入れて、手を足湯に少しつけて腕を洗った。

「こっちに来て?」

 聖空さんに呼ばれて、ベンチの隣に座る。足はもうお湯でふやけてきたが、顔に触れる空気が冷たいので気持ちがいい。

 俺は手を伸ばして聖空さんの頬に触れた。

「寒くない?」

 触れた頬はキンと冷たいのに滑らかで、触れていると温かくなった。

 聖空さんは俺の手を上からつつんで、大丈夫と小さく首をふった。

 そして俺の腕にクッ……としがみついきた。


「最近ね、ちゃんと眠れるの。YouTube見てるとダメね。本にしたの。夜寝る前に本を読んでお布団に入ったら、ちゃんと眠れるの」

「そっか。本当に良かったな」


 俺は聖空さんの頭を反対側の手で優しく撫でた。

 指先に絹糸のようなサラリとした髪の毛が触れる。

 聖空さんが顔を上げた。


「全部、瑛介くんのおかげだよ」

「俺は何もしてないよ。ここに居ただけ」


 聖空さんは腕にしがみついて首をふる。


「……瑛介くんに会えなかったら、私は今もあの部屋でずっと座ってる。どうしたらいいのか分からなくて、ひとりで誰も頼れなくて、誰を信じたらいいのか何も分からずに」

「俺も会えなかったら、もう一度野球してないな。先生になりたいなんて思わなかった」


 聖空さんは俺の腕にスリ……と頬を寄せた。

 そして顔を上げて俺を見る。


「瑛介くんが思ってる量よりね、ずっと多く、すっごく多く、瑛介くんが好きだからね。ちゃんと分かってほしい」


 そして遠くに見える山を指さしながら、あの小さな山じゃないのよ? あっちの大きな山だからね? とよく分からない説明をしている。

 なぜに例えが山なのだ。もう……なんて可愛いんだろう。


「聞いてる?」


 そう言って振り向いた瞳は真っ黒で潤んでいる。

 そして頬は水面が反射してキラキラと美しい。 

 優しく吹く高原の風が二つに結んだ聖空さんの髪の毛を揺らした。

 俺は優しく聖空さんの頬に触れた。

 冷たくて柔らかい。


「全部聞いてるし、分かってる」


 親指で頬を優しく撫でた。

 人差し指で耳に触れる。この小さい耳が俺は好きだ。

 すると聖空さんはトロン……と目を閉じた。

 好きで、好きで……



 俺は引き寄せられるように聖空さんの唇に、自分の唇を重ねた。

 冷たくて、甘い。



 目を開くと、聖空さんがまっすぐに俺を見てる。

 可愛い……。あふれ出す気持ちで、息が苦しい。



「俺も、聖空さんが思ってるより、ずっと好きだよ」

「っ……うん」



 聖空さんは何度も頷いて、俺の腕にクッ……としがみついてきた。

 そしてもう一度キスをせがむように目を閉じる。 

 俺は両方の手で聖空さんの頬を包み、引き寄せた。

 そして何度も、何度も触れるように唇を落として、キスをした。


 もう一度目を開くと、聖空さんの目が潤んでいる。

 泣きそうだ。俺は聖空さんが泣き虫だと知ってからハンカチを持ち歩くようにしたので、それで拭く。

 反対の目からも涙が流れて、頬をつるん……と流れた。

 俺は目元に唇を寄せて、涙にキスをした。


「……しょっぱい」


 俺が言うと、聖空さんは再びボロボロと泣きはじめた。

 俺は何度も聖空さんの目元にキスをして、泣き止むまで頭を抱きしめていた。

 

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