第40話 録音
「こんな場所があったのね」
「一年前から動いてる部屋なので、センパイは知らないかも知れないッスね。あ、カメラとか盗撮系は全部チェック済です」
平間は平然と言い放つ。
たしかに大切な話だ。
今日は総合スタジオに来た。
聖空さんが前に所属していた事務所の持ち物だ。
録音ブースが何個もあり、動画編集用の部屋、ゲーミングPCの部屋など、たくさんユーチューバーを抱えている事務所ならではの場所に見えた。
聖空さんは事務所をやめているので、使っても良いか……高橋マネージャーにLINEで聞いたら即OKしてくれた。
それにこれからも使うなら好きにして!……とIDも作ってくれた。
「基本的にネット予約です。これがサイトでこれがID」
「ありがとう。何か久しぶりで嬉しいわ、こういう空気。私は普通の音響スタジオしか入って無かったけど、空気感は同じね」
聖空さんはウキウキと部屋を見て回った。
録音ブースには大きなマイクが置いてあった。
同じ部屋の中にPCが置いてあり、そこに音楽が録音されるようだ。
平間が使い慣れているというので聖空さんは教えてもらっていた。
「よし、じゃあ歌ってくるね」
聖空さんはブースに入って行った。
お母さんのことがわかってから二か月弱、聖空さんは色んな努力をしていた。
何より「読めるけど発声に自信がない」と言っていた英語。
会話や発声をメインに扱っている英会話スクールに通い、勉強していた。
コツを掴んだあとは、それを歌に乗せる練習。
身体も作りなおし、食事も多めに取っているように見えた。
そして英会話スクールの先生たちの前で歌を披露して「パーフェクト!」まで頂いてから、今日に挑んでいる。
遠藤先生が言っていた通り、聖空さんは本当に努力の人だ。
聖空さんは何度も歌い、そのたびにPCで確認していた。
平間は自分の作業があるからと離席したので、俺は聖空さんが見えるところに移動した。
ブースは完全に音が聞こえなくなる空間らしく、声は聞こえてこない。
でも聖空さんが気持ち良さそうに歌っている姿は見える。
そして俺が見てるのに気が付くと、ヒラヒラと手を振ってくれた。
可愛い。
「うん、これでいいと思う」
二時間ほどかけて、聖空さんは歌を仕上げた。
聞いてみると、元々美しかった声に多彩な色が足されているのがわかった。
ただの声じゃなくて、艶や甘さ、それに優しささえも感じるのだ。
声の質が変わった……というのが正しい言葉だろうか。
ただの声ではない、ひとつの楽器が身体を使って音を出しているような。
たしかに前までは雀で、これは……もっと大きく翼を広げて舞う鳥を感じた。
「いや、マジ凄いっスね、センパイ……」
平間も圧倒されていた。
最近聖空さんに触発されて、体力作りから始めたようだが、圧倒的に体格がモヤシで真由美に笑われていた。
聖空さんはキャリアが長いんだから、平間は全てがこれからだろう。
それに今どき必要なPCでの作業は、平間が完璧に出来る。
仕上がった曲に映像をつけて、簡単に動画を作り始めた。
顔は出したくないという主張を受けて、録音ブースにスマホを数個設置。
ヒラヒラと舞う手や、首元までの映像を録画して、それで作ってくれた。
俺はキーボード入力程度しかPCを触れないので、動画編集をサクサクするのは単純に尊敬する。
「これで明るさ調整するエフェクトかけたら、完成です」
「……すげぇ」
「ここら辺は慣れっスね」
平間は完璧に動画を仕上げてくれた。
聖空さんは
「こういうのは誰かに頼まないと全然出来ないわ」
と横で目を輝かせていた。
そして仕上がったデータを番組指定の場所にアップロードした。
応募完了だ。
聖空さんは俺の服をキュッ……と握って呟いた。
「……応募しちゃった。大丈夫かな」
「ぜったい大丈夫だよ」
俺は肩に優しくふれて答えた。
聖空さんは俺の腕にスリ……と頬を寄せた。
何個か審査があり、番組に流れると書いてあった。
通ることを祈ろう。
「さて、俺は今からゲーム動画撮るんで」
作業を終えると平間は言った。
それを聞いて聖空さんの目がキランと輝いた。
「……鼻から牛乳するの??」
「いやいや、スタジオではやらないですよ! あれは企画だったんですって!」
「そうなの……?」
目に見えて聖空さんが落ち込んだので俺は爆笑してしまった。
どこまで鼻から牛乳が気に入ったんだ。
平間は俺たちをゲームブースに入れてくれた。そこには各種ゲーム機があって、色々珍しいコントロールも置いてある。
「……これは?」
聖空さんが見つけたのはハンドル型のものだった。
平間はそのゲーム機とハンドルを繋いでモニターに出してくれた。
それはどうやらレースをするゲームで、ハンドル型のコントローラーのようだった。
「直観的だし、絵も派手なので、わりと使うんですよ」
「……面白そう。やってみていい?」
「いいですよ。てか俺と対決しませんか? 使うとしても顔はオールモザイクするんで」
「いいわよ」
聖空さんは最近YouTubeを見るようになったので、きっと誰かの動画で見たのだろう。
ゲームにも興味が出てきたようで、最近も何個かスマホゲーを入れていた。
始まったゲームはわりとリアル系のレースゲームだった。
「ちょっと待って、あ、わかった。なるほど、ここで進むのね」
「負けないっス」
「あー、わかってきたわ。なるほど。ここで加速するのね。あ、死んだわ」
「くっ……!」
俺は画面を見てふき出してしまった。
聖空さんが急加速して、壁に激突して木っ端みじんになったからだ。
「もう、初めてなんだから!」
聖空さんが俺のほうを見て睨む。
いやごめん、あまりに迷いなく爆死するから。
再スタートして、再び走り出す。今度はそろそろと走っているが、一周先に走っていた平間に抜かれるとカチンときたようで、突然加速。
「お待ちなさい、平間くん。そんなに簡単に抜いちゃダメよ」
「いやいや、遅すぎるんで」
逃げる平間を聖空さんが追う。
「お待ちなさい、お待ちなさい、お待ちなさい、さあお待ちなさい」
聖空さんは連呼する。
さあお待ちなさいって何?
もう俺は笑いが我慢できなくて、スタジオの外に逃げ出した。
結局聖空さんは負け続けたのが悔しかったようで、暴走しては壁に激突して木っ端みじんをくり返していた。
それにたびたびお嬢さま言葉になるのだ。
「悪事は許しません、お待ちなさい、そういった不正が許されるとは思えません、お待ちなさい、そこに正座をして待っていなさい」
コースを暴走しながら丁寧に話す姿は最高に面白かった。
平間は許可を取って聖空さんの顔に完全モザイクをしてそのままUPした。
するとすぐにファンにバレてコメントが殺到した。
『聖女さま、めっちゃ元気になってる』
『下手すぎる』
『声がカワイイ~~~』
『こんなに笑うんだ』
『明るい聖空さま、はじめてだ~~~~感謝』
『なんでお嬢さま言葉なの?』
『聖空さん、元気で良かった~~~~』
『心配してました!!』
録音のお礼には充分なるほど再生数を稼いだが、聖空さんは家でとても不機嫌だった。
どうやら一度も勝てずに、俺が笑ってしまった声もそのまま使われているのが、とても不満らしい。
「ごめんね、初めてなのに笑っちゃって。でも……正直面白かったから」
「もう! ひどいひどい!!」
聖空さんは布団の中に丸まって出てこない。
こんな拗ね方は初めてだ。でも可愛くて可愛くて仕方ない。
俺は下から聖空さんの布団の中に入ることにした。
モゾモゾ進んで聖空さんに到達する。
聖空さんは俺が横に来てもム~~とむくれたままだ。
布団の中で抱っこすると、クルンと身体を回して顔を見せてくれた。
まだ不満げな表情で、眉間にしわがモシャァと寄っているのが可愛い。
俺はその眉間のしわを優しく撫でた。
「次は勝つもん」
「また行くの? 面白からいいけど」
「もお~~~」
聖空さんが俺の胸元でバタバタ暴れる。
可愛くて可愛くて、頭を撫でて抱きしめた。
そして二週間後……審査を通過したので、番組に流れますと連絡がきた。
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