第24話 衝撃

 ホタルノヒカリの演奏も終わり「おつかれさまでしたーー!」という声が中庭に響き始めている。

 戻ってクッキングクラブの片づけを手伝ったほうが良いと思うんだけど……永野さんは俺の膝の間に丸まって入ったまま動かない。

 俺も触れられるのは嬉しいので、急がせる気も無くて、なんとなくずっと髪の毛を撫でている。

 永野さんは俺の前肩部分に頭を預けて気持ち良さそうに目を閉じている。

 ……寝てないか?

 俺は顔を動かして確認しようとしたら、目が合った。

 起きてた。

 

「……さすがに、寝ないもん」

「いやいや……?」


 俺が言うと永野さんはムウと口を膨らませて、俺の背中に手を回してきた。

 それなりに鍛えてるので、永野さんの腕は後ろまで届かない。

 でも俺の腕の中に永野さんはすっぽりと収まる。

 ああ、好きだなあ……と思う。

 俺は永野さんに触れているのが、とても好きだ。


 そして密着してるから気が付いた……永野さんのエプロンのポケットで、スマホが揺れている。

 永野さんは無視して俺のしがみついている。一度切れて……また鳴っている。

 今の状態から離れたくないのは俺も同じだけど……何度も言うが俺は鳴っている電話を無視することが出来ないのだ。

 

「……永野さん、電話鳴ってるよね」

 

 永野さんは首をフリフリと振った。


「だってこの電話の番号知ってるの、和泉くんとマネージャーだけよ。絶対イヤな電話。出たくない」

「いやいや……知ってるだろ、俺の性格。電話は無視できない。ていうか、マネージャーさん俺の番号も知ってるから、そのうちかかってくるぞ」

「う……」


 永野さんは今まで見た事がないくらい眉間に皺を入れて俺から離れて、エプロンのポケットからスマホを出した。

 やはりマネージャーさんのようだ。あまりに出たくなくて、目の前で鳴っているのに睨んで出ない。いや、出ようか?

 俺が視線で促すと、しぶしぶ電話に出た。


「……何?」

『聖空良かった繋がって! いますぐ車持ってくから、学校出て! マスコミがくる!!』

「え……?」

『ニュースサイト見て。瑠香が引退発表したの、それで……!!』


 俺は永野さんの横でスマホを立ち上げて、ニュースサイトを見る。

 そこには大きく『瑠香・電撃引退発表』という文字があり、動画が流れてきた。

 永野さんも俺のスマホの画面を覗き込む。

 画面の中で瑠香さんはグシャグシャに泣いていて


『聖空ごめん、私が聖空を売ったの。聖空ごめん』


 と何度も繰り返していた。

 電話元でマネージャーさんが叫んでいるのが聞こえてくる。

『メチャクチャな数のマスコミが来るわ! 今すぐ離れないと学校に迷惑がかかるから!!』

 その声を聞いて、永野さんは俺の顔を見た。

 数秒じっと見て……くしゃり……と表情を歪ませた。

 そしてフラフラと立ち上がったので、俺も支えるように立ち上がった。

 永野さんはスマホを持ち、話す。

「今から出る。道路沿いまで来て」

『分かった!』

 永野さんはスマホを切って、クルリと俺の方を向き、抱きついてきた。

 俺は細い背中を抱き寄せる。


「……ちょっと行ってくるね。必ず戻るから」

「うん、待ってる」


 永野さんは俺の背中に腕を回して、どうしよもないほど強く俺を抱きしめて、非常階段を下りて行った。

 俺はそれを上から見守った。正面正門に車が来て、永野さんが乗り込んだ数分後には、マスコミが集まってきていた。

 座り込んでスマホを取り出して、瑠香さんの会見を見る。


『すべて私が悪いので、引退します。ただ謝りたい。聖空に……ごめんなさい……』


 瑠香さんは泣き崩れて動かなくなり、そのまま会見は終了していた。

 二人のことは、ほんの少しだけ遠藤先生から聞いていた……ずっと仲が良いライバルで友達。

 もう少し知りたくてネットの掲示板を見たら、速度が早すぎて何一つ分からなかった。

 俺はスマホを落とした。

 

 突然のことに頭が全くついて行かない。

 さっきまで俺の胸元にしがみついて、ほほ笑んでいた永野さんが居ない。

 エプロンのポケットに目をやると、さっき涙をふいた永野さんのハンカチが入っていた。

 それはまだ濡れていて、俺はそれを握った。


 

 クッキングクラブの片づけに戻ると、飯田さんたちが心配そうな顔をしてきてくれた。

 そしてもう車で帰ったことを伝えたら安心したように微笑んで「せっかく話せるようになったのに……」と残念そうだった。

 文化祭が終わると各部活ごとに軽い打ち上げがあって、飯田さんは俺たちを誘ってくれていた。

 クラスに戻ると、久保田や向坂、それに真由美も心配そうに来た。


「何なのこれ、もう巻き込み事故じゃん。結局何に謝ってるの、この子」

 真由美はネットを見ながら言う。

「ううーーん……、これはもう情報が多すぎてワケ分からないけど瑠香って人は再起不能だな」

 久保田がスマホを見ながら顔をしかめる。

 どうやら誰かにヤバい動画をUPされているようだ。

 ザワザワと騒がしい学校を俺は抜け出した。何も言いたくないし、聞きたくもない。


 喫茶店にいくと兄貴が心配そうに「大丈夫かな、永野さん……」とおたまをフリフリするパワーもなく鍋を見ていた。

 俺は何もいえなくて、ただ何度もスマホを確認していた。LINEが入らないかな……と気になって仕方ない。

 

 肘を怪我した時もそうだったけど、気分が落ち込むときは身体を動かしていたほうが良い。

 なるべく単純で体力を使う作業を続けた。

 LINEはわりと頻繁に入ってきた。

『おはよう』『おやすみ』。

 詳しい話は出来ないのだろう。ただ日々を重ねているLINEだけが定期的に入った。

 それでも生存しているのだ……という謎の安心感があり、挨拶を返した。

 一日、二日、三日……LINEこそあるものの、永野さんは結局一週間学校に来なかった。

 その間瑠香さんの動きもなく、俺は淡々と学校に通った。

 毎日一緒に帰っていたから、自然と環状線のホームに足が向く。

 今はわざわざ40分かけて帰る必要もない。でも環状線で帰りたかった。

 からっぽの時間がどうしようもなく長い。

 10日ほど経ったある日、高橋マネージャーさんからLINEが入った。


『長く連絡できなくてごめんね。人を探してて大変なの。で、今日瑠香がラジオに出るの。だからマスコミが一回全部そっちに行くと思う』

『はい』

『聖空がね、ずっと寝てないの。もうちょっと……異常だわ。ずっと白クマの人形抱いて動かないのよ、精神状態がヤバいわ』

 白クマの人形……それはきっと俺があげたトッポくんだ。

『あれって和泉くんのLINEのアイコンでしょ? 何も言わないけど、君に会いたいんだと思う。ていうか一人に出来ない状態なの。今日は瑠香の応援に入らなきゃいけないし、聖空を連れ出したいんだけどお店に行ってもいい?』

『23時に閉店するので、その時でどうでしょうか』

『時間丁度いい。じゃあ連れて行くわね』


 俺は即兄貴に連絡して、閉店後の店を貸してもらうことにした。

 そして何かあったら対応できるように、兄貴も休憩室に居てくれると言ってくれた。

 

 閉店後の23時すぎ、入り口で待っていたらマネージャーさんと永野さんが歩いてきた。

 永野さんは帽子を深くかぶってマスクにメガネ、大きめのシャツとズボンの一見男性のような服装をしていた。

 マネージャーさんは

「聖空をお願い。まともに食事もしないし、全く寝てないのよ」

 俺は深く頷いた。

 永野さんがフラリと俺に近づいてくる。

 顔を覗き込むと、もう永野さんはグシャグシャに泣いていた。

 今日はさすがにハンカチを準備していたので、涙をふくと、顔をあげて、更に泣いた。

 実はものすごく泣き虫なんだな。

 俺は手を引いて喫茶店に入った。小さな手が更に小さくなってる気がして、俺はやさしく掌を包んだ。


 入ると兄貴が待っててくれた。

 和室には毛布を準備しておいた。

 眠れないと言っていたので、少しでもゆっくりしてほしくて。

 兄貴は気を使って休憩室に戻る。俺は永野さんを和室に座らせて、毛布で包んだ。

 ものすごく顔色が悪い。白いというより、土色だ。

 兄貴に声をかけてジンジャーエールをホットで貰う。

 

「……飲める?」


 聞くと、コクンと頷いて毛布を羽織ったまま、ずる……と移動してきてそれを両手で包んだ。

 そして一口飲んで、ほう……と息を吐いた。

 そして俺を真っ黒な潤んだ瞳で見る。

 俺は机に置かれた小さな手を上から包んだ。

 永野さんの目から大粒の涙が溢れて、頬を伝う。


「和泉くん、温かい。本物の和泉くんだ。温かい……」

「ここにいるよ、大丈夫」

「和泉くんだ……ずっと、ずっと文化祭の時のこと思い出して……会いたかったの」

「俺もだよ」


 永野さんはまたクシャリと表情を崩して大粒の涙を落とした。

 俺は毛布で永野さんを包み、そのまま膝の上で抱っこした。

 あまりに泣くので、ハンカチではなくタオルを準備して顔を拭いて、優しく抱いた。

 永野さんの小さな頭が俺の首の下にある。

 完全に身体を預けて丸まった状態だ。

 そのうち、ウト……ウト……と目を閉じ始めた。


「……和泉くんの心臓の音、落ち着く」


 俺は「ん」と軽く答えて、そのまま永野さんを抱っこしていた。

 数分後、永野さんは完全に眠った。

 俺は兄貴をスマホで呼んで、押し入れに入れておいたマットレスを出してもらった。

 そのままゆっくり横にする。

 永野さんはスー……スー……と寝息を立てている。

 でもその寝顔は電車の中とは全く違う……疲れ果てた寝顔で俺は心が痛んだ。


 三時間後、高橋マネージャーから

『瑠香が話したいって言うから、連れて行きます』

 とLINEが入った。


 俺は出来る限りの力で永野さんを守ろう、そう決めた。

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