第7話 真由美の主張

「そういや昨日前真由美ちゃんがきて、瑛介が悪い女に騙されてるって叫んでたぞ」

「もう勘弁してくれよ……」


 日曜日の朝、俺は兄貴の喫茶店で皿を洗いながらため息をついた。

 昨日は永野さんから出された課題を解いていてバイトに来られなかったけど、真由美が来てたらしい。

 俺の母さんと真由美の母さんが親友なので、部活がないときはたまに来ている。

 真由美は中学校の時からバスケをしていて高校でもバスケ部に入った。かなりの強豪で練習も厳しく、俺の周辺の顔を出さなくなったことで安心してたんだけど……。

 来てるのは良いんだけど、学校の状況とかをすべてぶちまけて、何なら少し嘘をついていくんだ。

 それが本当にキツイ。


「悪い女って永野さんのことだろ? いやあ……めっちゃいい子だからな。なんかもう双方可哀相だけど、俺は何もいえないわ。それにキツイよな。俺もお前と同じ状況だったら……悪いけど真由美ちゃんとは付き合えない。全て知られすぎてて恋するには遅すぎる……無理だ、何もできん……オカンみたいなもんや……」

「だろおおお???」


 俺は洗剤をブチャーと出して叫んだ。

 

「いっそ告白されたら、断れるのにな」

 兄貴は気楽に言うが、俺は首を振った。

「おなじクラスだぜ? それに母さんと向こうの母さんが一瞬で知る。もう怖いなんて次元じゃない……」

「わかるう~~~」


 兄貴は突然おねえになってお玉を振り回した。


 やっぱり逃げ回るのが正解な気がするんだ。


 真由美はスタイルもいいし、顔もちゃんときれいにしてるし、学校でも真由美を可愛いと思ってるヤツはいると思う。

 あの距離なしでグイグイくる、ぶっちゃけキャラな所を好むヤツも多いだろう。

 付きまとってるから誤解されてるだけで、やめたら彼氏できると思うんだ。

 俺だって幼馴染で親同士が仲良しで話が筒抜けとかじゃなかったら、こんなに苦手意識はなかったと思う。




「……よし、洗い終わった。ちょっと下行って段ボール縛ってくる」

「サンキュー。夕飯くう?」

「残りもんあるなら食べる」


 俺は手を洗って一階の店のほうにいく。

 明日は回収業者がくる日なので、俺は段ボールを全部まとめる。

 搬入された段ボールを少しでもカラにしたくて、俺は店内に運んだ。

 商品を持ち込んで並べて段ボールを潰す……を繰り返す。

 単純作業は頭が空っぽになるから、全然嫌いじゃない。

 高い場所の補充も俺の担当だ。




「すいません、その右側の紅茶、美味しいですか?」

 脚立にのぼって補充していたら下から声をかけられた。

 右奥のものは中国から仕入れた薬のようなお茶で、美味しいというより漢方茶に近い。

「これは美味しいというより……少し薬的な要素が強いものですね」

 取りながら戻ったら、永野さんだった。


「!!」

「詳しいんですね」

「う、ん……ちょっと勉強を始めたんだ」

「すごい、がんばってね。期待してる」


 いつも夜に見かける通りの私服姿で、今日は買い物にきているようだ。

 腕のかごには何個もお菓子が入っているのが見えた。


 実はこの前、単語帳のお礼に永野さんにハーブティーをプレゼントした。

 もちろん売り場の加藤さんに選んでもらったんだけど。

 そしたらものすごく喜んでくれた。だから少しだけお茶方面の勉強を始めた。

 でも種類が多くて、とりあえず片っ端から飲んでいる所だった。

 半分くらい「ブッハ!!」と噴き出したくなるような雑草臭いもので難航してるけど、飲むのが一番早いだろ!

 永野さんは俺のほうをみて背筋を伸ばした。


「では店員さんにお聞きします。最近店員さんに頂いたお茶がとても美味しくて気に入ったので、同じメーカーの商品はありますか?」

「はい!」

 

 俺はこの前プレゼントしたお茶と同じ会社のハーブティーを渡した。

 気になって飲んでみたんだけど、オレンジの香りがすごくて美味しかった。


「これがとても良かったです」

「じゃあ、頂いていきますね」


 そう言って、いつも俺に勉強を教えてくれてる時みたいにやわらかくほどけた。

 そして横を通りながら小さな声で


「……また明日」


 と言ってくれた。

 その言葉が嬉しくて俺は自然とにやけてしまった。

 まだ店内に永野さんがいるし、そのにやけた顔を見られるのはイヤだったので、店内の補充は後回しにして倉庫裏で頭を冷やすことにした。





 

「暑つ……」

 

 六月に入ったので外に出ると湿度が酷くて暑い。

 ほんとうに少しずつ永野さんの表情がほどけてくるのを見てるのがうれしい。

 ずっとケージから出てこなかった猫が、気が付いたらケージから出て水くらいは飲んでいるイメージだ。

 でもきっと俺が振り向いたらケージに戻ってしまう。

 もっと永野さんの色んな表情をみたい、俺は素直に思った。

 よし、と立ち上がったら、目の前に真由美が立っていた。

 

「瑛介。永野さん、お店に来てたね」

「!! 真由美」


 今はなんとなく真由美に会いたくなかった。

 でも真由美は迷いなく俺のほうに進んでくる。

 俺は避けて店内へ向かおうとする。


「今忙しいんだよ、冷蔵庫に入らないと」

 俺の背中に柔らかい感触……真由美が後ろからしがみついてきた。


「……瑛介は野球バカなの」

「……いや、そうだったけど……今は違うだろ」


 俺はお腹の前で握られた手をほどこうとする。

 真由美は背中で続ける。


「瑛介は初めてグローブして野球したときに、グローブしてないほうの手でボールキャッチしようとしたバカなの」

「懐かしいことを言う。そして真由美が投げた球で剛速球。俺は手首を痛めた」

「そんでタヌキコーチに怒られたの。毎日私が一緒に練習して、試合の時はハチミツレモン作って持って行ったの」

「あのアホみたいにすっぱいやつな……ハチミツ少なすぎるヤツ」


 だから! と真由美は俺のお腹をつよく握って言う。


「遠くに行かないでほしい。怪我して辛そうな時も、こんなふうに思わなかった。瑛介が遠くに行っちゃうなんて感じなかった。でも今は違う、瑛介が遠くに行っちゃう」

「何いってるんだよ」

 真由美は俺の背中におでこを押し付けてグリグリしながら続ける。

「永野さんが店に来てたけど、いつから?」

 さっきのを見ていたのかと俺は気が付いた。

「……結構前から来てたみたいだぞ。うちの店のPEZ持ってた。今日もあのカロリー爆弾のクッキーを箱で買っててさ」

「なんでそれを私に話してくれないの?」

「いや……だからさ、なんで全部真由美に話す必要があるんだよ」

 言ってふり向こうとしたら、お腹に回した腕でグッ……と固定された。

 ぐえ、痛い。

「だって私は瑛介の一番の理解者だもん。ずっとずっと瑛介を見てた、頑張ってる時も泣いてる時もずっと見てた。だから全部私に言わないとダメなの!」

「いや、怪我した時のことは感謝してるけど……」 

 真由美は俺の腹を回す腕に力を入れる。

「ねえ、違う世界の人だよ。元アイドルで聖女さま。そんな人を見ないで、話さないで、視界に入れないで。野球バカのままの瑛介でいて。私の知ってる瑛介でいてよ」


 違う世界の人。

 その言葉に俺は意思を持って、真由美の腕をほどいた。

 そして真由美の顔を見る。


「永野さんは普通の人だよ。違う世界の人じゃない」

「違うもん、違う、永野さんと、私は違う」

「そうだな、違うよ。真由美は真由美だろ」

「私は普通で永野さんみたいに完璧じゃない、全然違うもん、勝てない。だって私のほうが先にずっと前から好きで、立ち直るの待ってたのに、こんなのズルいよ」


 真由美は叫んで店内に走り込んで出て行った。

 ついに告白された気がするが、どちらかというと永野さんと自分を比べて叫んでるだけの気もする。

 真由美はため込んで、突然溶岩のように噴き出した感情を投げつけてくるから困ってしまう。

 でも一つ正解がある。


「……瑛介が遠くにいっちゃう、か」

 

 俺は真由美が言った言葉を反芻した。

 確かに毎日野球のことばかり考えていた俺はどこにもいない。

 野球が出来なくなった自分を無能だと思ってたし、毎日楽しくなかったけど、今やっと楽しくなってきたんだ。

 

 

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