第11話 心の柔らかいところに

「あっ……なんで、下に落ちるんだろ、前に飛ばない」

「球を頭の上で離すイメージして」

「まって……あ、飛んだ。あ、でも……ダメだ」


 朝だけはまだ涼しい6月末の朝。

 俺たちは家の近くにある河原にいた。

 マラソン大会の後、永野さんと真由美の三人で話していた時、日曜日は何をしているのかという話になった。

 永野さんは「仕事をやめてから、ほとんど部屋にいる」と答えた。

 俺も真由美も「親しい人間と長く続いて羨ましい」という言葉が引っかかっていた。

 丁度雑草抜きの日だったこともあり、河原に誘ってみた。

  

 永野さんが野球をしたことがないというので、俺は久しぶりにグローブを持ってきていた。

 使う予定もないのにオイルを塗って保管しているから、柔らかいままだ。

 今も考え事をしている時は、自然とグローブを手入れしてしまう。


「なんで和泉くんみたいに、軽く遠くに飛ばないの?」

「腕の使い方が違うから」

「同じ腕なのに」


 永野さんは手首をふるふると動かした。

 野球帽をかぶっている所も新鮮だし、グローブをしている所も新鮮だ。

 永野さんが投げた球は、夏空にプワンと浮いたり、伸びた雑草に叩きつけられたり。

 全く安定しないが、本人はとても楽しそうだ。

 俺も球を持ったらもっとイヤな気持ちになるかと思ったけど、全然辛くなくてむしろ気持ちがいい。

 

「ねーえー、遊んでないで雑草抜きなさいよ!!」

「あーうん。コンビニにお茶買いにいってからでいいか?」

「そこに! たっぷり! あるでしょう!」


 真由美はジャグ(麦茶パックが投げ込んである巨大な置き水筒)を指さした。

 いや、あれぬるいし、美味しくないから。


 雑草抜き当番、今は「時代錯誤だ!」&「高齢で無理」という声が多くて、年数千円払えば辞退することができる。

 我が家も母さんが仕事で忙しいので毎年お金を払っているので義務はないが、タイミングがあえば手伝っている。

 でも今は永野さんと野球するほうが楽しい。

 いつまでも遊んでる俺たちに業を煮やして真由美が雑草を川に投げ込んだ。


「ほら、懐かしの! 戦いましょう!!」

「なつかしいな」


 子どもの頃からここの雑草抜きをさせられていたので、俺たちは慣れている。

 そして抜いた雑草を川に投げて遊んでいた。根っこのまま投げてもどんぶら流れていくのが楽しくて今もたまにやってしまう。

 見ていた永野さんも雑草を根っこから引っこ抜いて川に投げ捨てた。

 くるくる回りながら雑草が消えて行く。

 これがいいのか悪いのか知らないが、やってると無駄に楽しいし、雑草も減るので一石二鳥。

 俺たちは誰の投げた雑草が一番早く流れるか対決をはじめた。


「あ、くそ、やっぱその細長い草は流れるな。あ、永野さん、手が切れるから軍手して」

「ありがとう、借りるね」

 永野さんが草を投げ込むが、ぷかぷか浮くだけであまり流れない。

「あ~素人さんはそれを投げますよねえ、それは流れないんですよ~」

 真由美は意味不明なドヤ顔をしながら巨大な草を投げ込んだ。

 それはものすごい速度でどんぶら流れて行った。

「おおおお~~~~」

 俺と永野さんはそれを眺めて拍手した。

「こっちにあるわよ!!」

 真由美の作戦に乗せられて俺たちは無心で雑草を投げ続けた。


 どうやら真由美は「よく考えたら瑛介が永野さんみたいな美人に手を出せるはずがない」という結論に行きついたようだ。

 失礼だが正解だ。今はほんの少し見える素顔を見るだけで嬉しくて仕方ない。

 喫茶店でチョコケーキを食べながら

「……ていうか私は瑛介を好きだけど、別に永野さんを嫌いな訳じゃない」

 とか言うので、俺と兄貴はニコニコしてチーズケーキとショートケーキを追加して出したくらいだ。

 

 あれ以来俺たちの距離感は『好き・嫌い』で変になる前に戻り、学校で真由美が永野さんに話しかけているのも数回見た。 

 俺と真由美が付き合ってないことが知れ渡り、すでに数人から告白されたみたいだし、真由美はやっぱり良いヤツだと素直に思う。

 ただ……


「おらぁぁぁぁぁああああ、見て瑛介、このサイズ、ほおおおおおおおお!!!!」


 腰よりデカいサイズの雑草を投げ飛ばして、雄叫び上げてる姿を可愛いと思うには、あまりに真由美を知りすぎている……。

 でもまあ俺も負けてられないのでこの巨大な草を抜かせて頂くっ……!!


「うおおおおおおお!!! あ、デカい虫、なんだこれ」

「いやぁぁぁぁぁああああ!!」

 

 二人が高速で逃げて行った。

 真由美は小さな虫でも絶叫するほど苦手だが、永野さんもダメなのか。

 あっと言う間に堤防の上までのぼっていて俺は笑ってしまった。足が速すぎる。




 雑草投げに飽きたのでグローブを取り出して、三人でキャッチボールを始めた。


「私も野球部に入れたら、わりと才能あったと思うんだけど!」


 そう言って真由美が俺に投げつけてきた球は、かなり早い。バシッとくる感覚がグローブに気持ちいい。

 そして永野さんに優しく投げた。

 永野さんは、ふらふらしながらなんとなく受け取って、目元を少し下ろしてほほ笑んだ。

 笑った。間違いなくほほ笑んだ。可愛くて思わずグローブで顔を隠してしまう。

 それを見た真由美が永野さんにボールを要求した。


「ヘイ、カモン!!」


 永野さんが真由美に球を投げた。

 そして真由美が永野さんに向かって剛速球を投げ返した。

 それはものすごく速い球だったので、永野さんは取ろうともせず、見送った。

 後ろに球がテンテンテーン……と転がって行く。


「ちょっと! 取ろうかな? くらいの気合を見せてよ!!」

「取れないです」

「戦えーーーーー!!!」


 前から思ってたけど真由美は前世アマゾン奥地とかに住んでた戦闘民族だと思う。

 小学校の時の牛乳早飲みから、給食早食べ、学校から帰る速度まで、真由美はすべて戦いにする。


 あまりの暑さに目の前のコンビニで氷菓子を買ってきて食べる事にした。

 俺は粒状の氷がたくさん入っている商品が好きだ。

 永野さんも悩んだ末に俺と同じ物にしていた。 

 真由美はなぜか雪見だいふく×2パックだ。曰く「ちょっと溶けてくるところがいい」

 ……分かる。あまりに良い感じにとけていたので、ひとつ貰った。


「……少し溶けた雪見だいふくのウマさはすごい」

「えへへ、瑛介とはんぶんこしようと思って2パック買ったの。偉いでしょ」

「偉い偉い。じゃあ俺の残りの氷菓子をやろう」

「わ~~これ大好き……って何も残ってないじゃん!!」

「お約束だ」


 俺たちのやり取りを横から見てた永野さんが自分が食べていた氷菓子を真由美に見せた。


「まだあるので、どうぞ」

「……てかさあ、永野さんって誤解されてるわ。ただの美人の良い人じゃん。あ、ありがと」


 真由美は永野さんの氷菓子を一つ貰って言った。

 永野さんは氷菓子を食べながら口を開いた。


「最近マスコミも減ってきたので、楽になってきました。マンションにはまだ来ますけど、あそこはしっかりしてるので」

「キャッスルでしょ? 有名だもんね、あそこ敷地でかくて。でも事務所なんでしょ、そこ。自宅帰らないの?」


 真由美はズバズバと聞いて行くが悪気がないので言葉が軽い。

 永野さんは氷菓子を長い爪で一つ持って


「実家がないんです。離婚してて母親は行方不明、父は再婚してて頼れません」

「あーーーー……ごめん土足すぎた。少し興味持つとガンガン行っちゃう。ごめん」

「いえ、大丈夫です」

 真由美は「あー、ダメなとこ出た」と言ってアクエリ買ってくるーーとコンビニに消えた。


 逆に俺は真面目すぎてこういう時にどうしたらいいのか、全く分からない。

 でも……


「……期末が終わったころに、商店街で夏祭りがあって、うちも特製スープ出すから……良かったら手伝ってよ。といっても延々玉ねぎむきとかだけど」

「うん。やりたい。楽しそう。夏祭りとか、仕事で行ったことしかない。裏方とか、したことないの」

「店には兄嫁さんが立つから、俺たちは店で兄貴とひたすらスープ作るんだ。去年ひとりで大変だったから誰かいてくれたらすごく助かると思う。兄貴も喜ぶし……」

「うん、楽しそう」

「もちろん俺も永野さんがいてくれたほうが……たのしい」

「和泉くん。こう、なんだろう、すごく考えて言葉をくれるのが、うれしい。こうね、桐谷さんは真ん中に投げ込んでくるけどね、それも対等でうれしいんだけど。和泉くんは周りから優しく包んでくれるみたいに言葉をくれるから、私の真ん中がダメって知ってるから……上手く言えないや。とにかく、ありがとう」

「いや、うん……こちらこそ」


 そんな風に今まで言われたことがなくて、俺は暑さだけじゃない顔の熱さに手でパタパタと風を送った。

 俺が永野さんにしてるのは、きっと、俺が怪我して心が痛かった時にしてほしかったことだ。

 元気出せよとか、気にするなよとか言われずに、ただ普通に遊びに呼んでほしかっただけ。

 それをしてるだけなんだけど……それでいいなら嬉しい。

 なんだか恥ずかしくて氷菓子のカップをペコペコ言わせて遊んでいたら、手元に永野さんの細い手がおりてきた。

 そして俺のカップを持ち上げて、自分のカップに重ねた。





「和泉ーー、えっと……永野さんは初めまして」

「高城先輩!」

「コンビニで会ったのー!」


 真由美がコンビニ袋をガサガサ言わせながら戻ってきた。

 高城先輩も一緒だ。高城先輩は川沿いのマンションに住んでいる。


 後ろに高城先輩のお父さんと女の人が見えた。二人は軽く会釈してマンションの方向に消えて行った。


 俺は会釈した。お父さんのほうは何度かお会いしたことある。

 たしか若い頃に離婚してシングルファーザーだったはずだ。


「高城さんのお父さん、再婚するんですか。良かったですね」


 俺がいうと高城先輩は分かりやすくベンチに崩れ落ちて試合に負けたボクサーのようにうな垂れた。

 んん?

 高城先輩は地獄のような低い声で唸り、ため息をついた。


「……あの女の人、俺が三年間ずっと好きだった人なんだけど、親父と再婚するんだって……」

「え、地獄じゃないですか……」

「先輩っ、その話、根掘り葉掘り全て余すところ無く聞かせてくださいっ!!」

 

 俺がツッこむのと、噂好きの真由美の目が輝くのは同時だった。

 コイツ本当に反省しないな……。


「あの人……」


 俺は横にいた永野さんが、さっきの女性の後ろ姿をずっと見ているのが気になった。



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