第19話 野球観戦

 永野さんと久しぶりに電車に乗るな……と思った。

 眠らせてあげられるかな……と席を探したけど土曜日、午後の電車に空席は無かった。

 手すりをもった状態で永野さんに話しかける。


「最近は、睡眠、大丈夫なの?」

「夏祭りの日はお風呂入った後に自然と眠くなったの」

「おお」

「三時間くらいお布団で久しぶりにぐっすり眠ったの。本当に気持ちよかった。でもまあ……その時だけ」

「そっか。8時から21時まで……バイトする?」

 俺がふざけていうと

「ブラック企業ね。ドラマ撮ってた時もそこまでブラックじゃなかったわよ」

 と永野さんは目を細めて俺の方をみた。

 たしかに毎日その長さは眠れるかも知れないけど、身体がつらそうだ。



 近くの駅になってくると、もう「甘スタに行きます」という雰囲気の人が増えてきてワクワクする。

 一年……いや二年ちかく野球を見るのもイヤで、ずっと所属していたチームの試合も顔を出せてない。

 それなのに永野さんが喜ぶとなると余裕で見に来てしまう自分が恐ろしい。

 だって仕方ない、こんなに喜んでくれるなんて嬉しすぎる。

「あそこで山盛りポテトを買うの?」

 永野さんは俺の腕をグイグイ引っ張ってお店に入って行く。

 降りた駅の目の前にあるので、俺はいつもここで簡単なものを買って球場に持ち込んでいる。

 永野さんは楽しそうに名物リンゴ型に入っているポテトを頼んだ。

 

 そして甘スタに続く道をゆっくり歩いて行く。

 ここの道は少し上り坂になっているんだけど、左右の飲み屋が外でお弁当状態で販売しているのだ。

 みんなここで買っていき、勝てば居酒屋で飲んで、負けても居酒屋で飲んで帰って行く。

 俺もタヌキ監督に何度か連れてきてもらい、食事させてもらった。

 負けても騒いで、勝っても騒いでいる人たちはみんな野球が大好きで、そんな人たちを見てるだけで楽しかった。

 俺もみんなに応援してもらえる野球選手になりたいと思ったんだ。

 胸の奥がチクリと痛んだ。


「ね、大丈夫?」

 

 俺の腕を永野さんがクイと引っ張る。

 俺が不思議そうに首をひねると


「野球やめて辛いのに、見に来て平気なの? 誘ってもらった時から少し思ってたんだけど……」

「ああ、うん……今ちょっとだけ辛くなってた。気にしてくれてありがとう」

 永野さんは俺のTシャツの袖の部分を引っ張って


「あのね、イヤな事を思い出した時に和泉くんが普通にしてくれて、すごく楽だったから、私もそうしたいと思う。焼きそばも買おう?」


 そう言われた時に、心の真ん中あたりがクッ……と痛くなって、俺は胸元の服を掴んだ。

 喉がねじられたように言葉が出にくくなってるけど、なんとか話す。


「……飲み物は大きいのがいいよ、暑いんだ」

「うん」

 俺たちは両手に持ちきれないくらい食べ物を買って甘スタに向かった。



 球場の入り口あたりに物販があり、永野さんは両手にコンビニ袋を抱えたままガサガサ移動して

「扇! 和泉くん、扇あるよ!」

 と駆け寄った。

 俺は両手の買い物袋を全部引き受けた。

 永野さんはサンプルを見ながら

「ピンクとか、すごく小さいのとかある。どれがいいかな?」

 と右に左に移動する。

 そのたびに帽子の穴から飛び出したポニーテールがピョコピョコ跳ねる。

「俺はこのすごく小さいサイズを集めてて、もう5本持ってる」

 と、一番小さい扇を指さした。来るたび見たことない扇が売っていて、いつも違うのを買っている。

「じゃあ私もこれにする」

 永野さんは俺と同じ小さな扇を買った。

 そしてトッポくん人形を見つけて「可愛い」と優しく撫でた。

 ショップにはタオルとかユニフォームとか沢山売ってるけど、野球を見る時以外は使い道がない。

 それなのに欲しくなるから困る。


 永野さんは歩きながら扇を開いて

「本当にちゃんと扇になってる」

 と開いてヒラヒラさせた。

 その表情があまりに無邪気で、この前遠藤さんが言っていた『永野さんは底抜けに明るい』という言葉を思い出していた。

 これが素なんだろうな。可愛いな……と俺は思った。



 球場に入ると視界が一気に開けて、永野さんは歓声を上げた。

 俺もこの瞬間はすごく好きだ。

 迷路みたいになってる階段を抜けた先に、何にも邪魔されない世界が広がっている。

 甘スタは屋根がないから球場に入った瞬間の広さが違う。

 これが家から電車で一時間程度で来れるというのが俺は大好きで、球団のファンで同時に甘スタ球場のファンだったりする。

 黄昏時で、向こうに見えるビル群は少しずつシルエットにかわっていく。

 オレンジ色の空が迎えに来る頃、試合が始まった。


 席は本当に良い席で、球場がよく見渡せる。さすが企業の年間シート。今度社長にお礼をしようと思った。

 チケットの話をしにいった時も「また試合に遊びにこいや」と優しく接してくれた。


「扇は? いつ扇をふりふり出来るの?」

 永野さんは準備万端で待っているが……そういえば、ちゃんと話してなかった。

「基本的に点が入らないとフリフリ出来ないんだ」

「え……そうなの……」

 永野さんが目にみえて落ち込んだのを見て、俺は口元を押えて笑った。

 そんな思いっきり落ち込まなくても。

「でも7回の攻撃前にはできるから。勝ったら最後にもあるよ」

「最低でも一回はふりふり出来るのね、良かった」

 そういって嬉しそうにポテトに手を伸ばした。


 試合は一回からノーアウト満塁という最高のスタートだった。

 点が入ったらふりふり出来るよと俺がいうと、永野さんは扇を準備して目を輝かせていた。

 そして打った!

 三塁から走ってきて、まずは一点入った。

「やったー!」

 永野さんが喜んで立ち上がった瞬間、膝の上に乗せてたポテトの存在を忘れていて、袋ごとゴロンと落ちた。

「きゃーー!」

「袋に入ってるから大丈夫だよ」

 俺はそれを拾って自分の膝に乗せた。

 観戦あるあるすぎて、笑ってしまう。俺もなんどお茶をこぼしたことか。

 ポテトが落ちたことで初めての扇ふりふりタイミングを逃した永野さんは目に見えて落ち込んでいたが、まだ満塁。

 次のバッターは打ち取られて1アウト。

 でも次のバッターが転がして、もう1点入った。

 永野さん、今度は膝の上に何もない事を確認してから、嬉しそうに扇をふりふりして踊った。


「和泉くん、この踊り方で合ってる?」

「全然違う」

「もーーー」


 永野さんは口を尖らせた。

 俺はここで扇音頭を踊って8年の筋金入りなので、違うものは違う。

 

「なんでもいいよ。永野さんが楽しそうで、俺も楽しい」

「すっごく楽しい。あと何回ふりふりできるかな」


 永野さんは嬉しそうに扇を畳んだ。

 甘スタあるあるなのだが、とにかく扇をふりたい。

 俺も気持ちはよく分かる。


 選手の歌とかあって俺は当然全部歌えるけど、内野席でゆっくり永野さんに野球を説明しながら試合を見るのも新鮮だった。

 野球の基礎知識はあるみたいで、七回のふりふりを終える頃には

「あの、前にも打った人だよね。今度も打つかな」

 と扇の準備をして、選手の歌を鼻歌で歌うくらい慣れていた。

 結局試合は6-3で勝利して、最後には二人で割と完璧な扇音頭を歌って踊った。



 

 試合が終わってみんな帰って行く中、俺たちも荷物を片付けていたら永野さんが球場を見つめて口を開いた。


「実は今日ね、誕生日なの」

「えっ……?!」

 

 俺は絶句した。全く知らなかった。

 誕生日に野球観戦という俺の趣味ゴリ押しで良かったのだろうか。

 永野さんは俺の表情を見て察したのか、立ち上がりながら


「……久しぶりに、本当に楽しい誕生日だったの。ここ二年くらいは、マネージャーがケーキ買ってきてくれるくらいだったから」

「楽しかった……なら、良かった」

 

 そう言いながら、何かプレゼントになるものは無いか……と思って俺は思い出した。

 帰る途中、まだ球団ショップは営業していたので、中に入り、さっき永野さんが撫でていたトッポくんの人形を買った。

 白色のクマなんだけど、頭に真っ赤なリンゴの帽子の被り物をしていて、葉っぱはユラユラ揺れる。

 球団キャラクターとしては、かなりかわいいほうだ。

 そしてそれを永野さんに渡す。


「せっかくだから、記念というか、誕生日プレゼントに」

「っ……うれしい、ありがとう」


 永野さんはそれを宝物のように優しく抱きしめた。

 小さな手で頭の部分をふわふわと撫でて、頬をすり寄せる。

 まるで赤ちゃんを抱くように愛おしそうに。

 そして間違いなく、今まで一番柔らかくほほ笑んだんだ。

 

 横で見てるだけでなんだか恥ずかしくなるくらい大切そうにしてくれるので、俺はなんとなく永野さんの背中を支えて歩き始めた。

 わりと人形が大きめで足元が見えて無さそうに見えたからだ。


 永野さんは「うれしい、ありがとう」と何度も言ってトッポくんに頭に頬をすり寄せた。

 甘スタからの帰りは何が大変かというと、最寄り駅までが恐ろしいほど混んでいる。

 だから俺は逆方向に出ることにした。

 遠回りになるけど、そのほうが空いてるし座れる。

 永野さんは席に座り、トッポくんを膝の上に抱きしめて、そのまま眠った。


 俺はきっと久しぶりにこの寝顔を見たかったんだと思う。

 枕かわりになっているトッポくんをなんとなく支えながら、俺は寝ている姿を見守った。


 その寝顔を見た時に、俺の中で何かが真っすぐに決まった。

 学校ではロボットみたいに動かないけど、本当の永野さんが今日の永野さんなら、俺は永野さんを守りたい。

 自分が出来る方法で、少しずつでも。

 

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