第26話 家へようこそ
「はじめまして、瑛介の母です。話は今夜ゆっくりでいいから、とりあえず寝ようね」
「……すいません、突然お世話になってしまって……」
「あーもう、話し方が大人だもんね。子ども時は子どもでいないとダメなのよ。ほらほら、入って」
家は店から徒歩10分くらいの場所にあるマンションだ。
202号室が俺と母さん、102号室に兄貴たちが住んでいる。
管理人さんもいて、それなりにセキュリティーもしっかりしてるので、永野さんが眠っていても大丈夫だと思う。
父さんが長く単身赴任しているので、部屋は空いている。
兄貴が先に電話しててくれたので、出勤前の母さんが客間を片づけて、布団を引いておいてくれた。
「永野さん、これ使って!」
部屋に入ると玄関から声がした。
兄貴から話を聞いた兄嫁さんが新品のパジャマを持ってきてくれた。
「サンプルで貰ったんだけど、私には可愛すぎぃ! 仕事いってきまーす」
「あの、すいません、ありがとうございます」
永野さんがお礼を言い終わるより早く兄嫁さんは遊馬くんを連れて去って行った。
今日は土曜日だけど、美容院は一番忙しいし、優馬くんは朝から夕方までカルチャーセンターの学童だ。
母さんも仕事なので「じゃあ夜に! ごゆっくり~~」と言い残して出社して行った。
兄貴は永野さんに客間で着替えるように促して、俺を台所に呼んだ。
「瑛介、高橋マネージャーの名刺貸してくれ。永野さんの荷物は俺が取って来るよ」
「え……兄貴、関係ないのに」
「いや、俺は全部話聞いてたし、これは冷静に大人が対応する話だと思う。それに瑠香って子が一人で動くのは無理だろう。それに単純に全ての話をブチまけたら、長谷部って人にデータという名の証拠を消されるんだ。兄貴に任せろ」
そう言われると俺はどうしよもなく安心した。
もう永野さんをマンションに行かせたくないし、かといってここに置いておく理由を上手に言える気もしなかった。
本当に助かる……俺は高橋マネージャーの名刺を兄貴に渡した。
「お借りしました……」
ふすまが小さく開いて、永野さんが顔を見せた。
兄貴はじゃあ、と名刺を預かって出て行った。
「眠れるかな。俺も外に出るよ」
俺は台所で永野さんに向かって言った。
居ると気になって眠れないだろう。
永野さんがふすまを開いて、トン……と台所に出てきて、俺の手に優しく触れた。
いつも通り冷たくて小さな手。そしてぼんやりとした表情で俺を見た。
「……眠たいの。抱っこしてほしい」
「部屋で……? いや、俺は……」
「さっきも抱っこしてくれたじゃない……眠たいの」
永野さんは俺の手を引っ張って客間に入って行く。
丁寧に部屋の隅に服が畳まれていて、薄暗い和室。
永野さんは薄紫色のかわいいパジャマを着ている。
そしてモゾモゾとお布団に入って行く。
俺は……一緒に布団に入るのはさすがに無理なので、布団の横で……考えたすえに横になった。
上を向いていた永野さんがクルンとこっちを向いた。
「……!!」
「抱っこ……」
永野さんの細い腕が俺の首に回された。
薄い布と永野さんの感覚と香り……と思うけど、ものすごく身体が細くて体温が低い。
これは本当に衰弱に近い状態なのでは? 俺は優しく抱き寄せた。
居ることで眠れるのなら……。
永野さんは力なく俺の首にしがみついて来る。
「……心臓の音が、ききたいの。ずっと続いてる音」
俺は優しく胸元に抱き寄せた。
永野さんの目がトロン……としてきて、ゆっくりと閉じられていく。
「……和泉くん……好き」
寝言みたいに、それでいて言葉をかみしめるように、口に含むように、永野さんはつぶやいた。
俺は「ん」と軽く答えて撫でるのをやめて、横で静かに寝顔を見つめていた。
完全に眠ったのを確認して俺は客間から出て、リビングのソファーに座った。
一息つくと、ものすごく疲れていることに気が付いた。それに汗をかいている。
客間は玄関奥で、廊下を挟んだ所に洗面所とお風呂がある。
音が響くかもしれないから……後にしようと俺は思った。
客間の隣が俺の部屋なので、服を着替えて座ると恐ろしく眠くなってきた。
そりゃそうだ、徹夜だもんな。
俺も布団に入って泥のように眠った。
起きると昼過ぎで、耳を澄ませても物音はしない。
まだ永野さんは起きてないようだ。
静かに部屋を出て台所にいくと、段ボール箱が数個置いてあった。
その一番上にトッポくん……それにパーカーを着ている。
あ……これ……と俺は手に取る。文化祭の日に俺が永野さんに貸したパーカーだ。
プレゼントしたトッポくんに着せてたのか。
嬉しくて顔が火照るのを感じた。
台所の机の上には兄貴からのメモが置いてあって『マネージャーには眠れるみたいだから、こっちで預かるって話にした』とメモが置いてあった。
もっと話をしたのかもしれない、してないのかも知れない。
永野さんがあのマンションに帰らなくて済むならそれでいいと俺は思った。
……というか、兄貴はほぼ徹夜で今日の営業をしてる。
永野さんが起きたら手伝いに行こうと思った。
スマホを確認すると、兄貴からLINEも入っていた『残り物を冷蔵庫入れといたから!』
ありがたい……。
確認すると野菜スープと柔らかいパンが置いてあった。
俺はコーヒーを淹れることにした。
「……和泉くん……」
「ごめん、起こしちゃった?」
ふすまが開いて永野さんが出てきた。まだ完全に表情がねぼけている。
そして段ボールの上に乗せてあったトッポくんに気が付いて自然と手に取り、ソファーに座った。
ぼんやりしていたので心配になり横に座ったら、トッポくんを抱っこしたまま、俺の横にペタリとくっ付いて、再び眠ってしまった。
……どうしよう……。
再び完全に眠るまで俺は身動きを止めて、永野さんが完全に寝たのを確認してソロソロと横から抜けた。
永野さんはそのままソファーに転がって眠ったので、毛布を持ってきてかけた。
胸元には俺のパーカーを着たトッポくん……なんとも言えない気持ちになって静かに離れた。
コーヒーを淹れてスープとパンを食べて一時間くらいした頃……永野さんは目覚めた。
「……あれ……? 私、お布団で眠っていたはずだったのに……?」
「うん……?」
俺は見ていたスマホを机に置いて苦笑した。
どこから記憶がないのだろう。どうやらかなり寝ぼけて移動するタイプのようだ。
そしてもうトッポくんを抱っこしてるのに、今更荷物に気が付いた。
「……これ、私の荷物……どうしてここに……」
「兄貴に頼んだんだ。俺は、全然上手に出来る気がしなかったから、助かった」
「お礼言わないと」
「あとでお店手伝いに行ってくる。兄貴徹夜で仕事してるから。永野さんは休んでて」
「やだ、行きたい」
永野さんはトッポくんを置いて立ち上がった。そしてトッポくんが俺のパーカーを着ていることに気が付いて「あ……」と小さな声で言った。
そしてトッポくんからパーカーを脱がせて
「……これ、借りたままだった……」
と、うつむいたまま渡してきた。
その表情はもう完全に居たたまれないというか、恥ずかしそうで、俺は自然と永野さんを抱き寄せる。
永野さんはもじ……と俺にしがみついてきた。
そのまま俺の胸元に丸まった永野さんが収まる。
家に一人でいた間、ずっと俺があげたトッポ君に俺のパーカー着せて抱っこしてたなんて……ちょっともうダメだ、可愛すぎる。
俺は永野さんの髪の毛を優しく撫でながら言った。
「……トッポくんさ、ほら、白クマだけど裸だし、寒いかもしれないから」
永野さんは俺の首のしたでもぞもぞ動いて、チラッ……とこっちを見て
「そうなの、寒いかなって……着せたの……」
「うん、いいよ、着せといて、うん……なんか、嬉しいし」
「そう……?」
永野さんは俺に抱っこされたままパーカーを再びトッポくんに着せた。
そして大切そうに抱き寄せて、リンゴの帽子にスリ……と頬を寄せた。
……どうしようもないほど可愛いな、この人。
「……元気になったらまた野球見に行こう」
「行きたい」
永野さんがやっといつも通りほほ笑んだので、俺はもう一度頭を撫でた。
そして台所の椅子に座らせて野菜スープとパンを出した。
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