第4話 睡眠テスト

 うちの学校は中央本線の特別快速が停まる大きな駅にある。

 三路線が乗り入れる駅ビルは、有名どころのお店はほとんど入っていて、学校が終わると寄り道する人も多い。

 駅周辺に住んでいる子は少なくて、七割くらいの子が電車で通学しているイメージだ。


 駅から学校まで徒歩25分、バスで8分程度。自転車置き場が駅から遠いので歩きの人が多い。

 中央本線を使っている人が一番多いが、本数も多いので、知り合いに会うことは少ない。

 一番マイナーなのは今日俺たちが待ち合わせしている環状線で、やたら遠回りをしていくし、駅と駅の間が長い。

 俺と永野さんが住んでいる駅は、その環状線でも帰れるのだが、中央本線だと15分なのに環状線は40分もかかるので、誰も使っていない。

 俺もものすごく眠くて絶対座りたい時とか、たまに環状線に乗る。

 そんなマイナーな路線だ。

 


「うっわ、この煙くっさ!」


 俺はひとりトイレで叫んだ。

 今日は兄貴の制汗スプレーを勝手に借りてきたので、待ち合わせ前に噴射したのだが、すさまじい量の白い煙が出てむせた。

 逆に身体中が花のような匂いに包まれて、これで大丈夫なのか不安になってきた。


 もう正直今日は朝から緊張していて、母さんが珍しく作ってくれた弁当を忘れそうになって、家に取りに帰った。

 その時に、兄貴が持っていた少し高い制汗スプレーの存在を思い出して持ってきたのだ。

 昨日の俺は間違いなく臭かった。もうすぐある球技大会の練習で暇さえあったらサッカーに誘われているからだ。

 勉強するよりサッカーしているほうが100倍たのしいので、それはいいけど、そろそろ中間テストも始まるので頭が痛い。

 俺はずっと野球をしていたので、当然だが勉強は得意ではない。

 この学校もかなりギリギリで滑り込んだと思う。勉強ね、勉強……。

 俺はいそいそと駅に向かい、環状線のホームに降りた。

 そして一番前の自動販売機を目指して長いホームを歩く。

 環状線は客が少ないのに、電車がやたら長く、歩けば歩くほど誰もいなくなっていった。


「ごめん、待った?」

「大丈夫、私もちょっと前にきて、この自販機見てたの」


 自販機の前に永野さんが立ってた。

 その自販機は目の前に立ってる人に何がオススメか、AIが判断してくれるというものだった。

 永野さんが立つと、甘いカフェオレがオススメされた。


「甘い飲み物は得意じゃないけど。どういう基準なのかしら」

 ん、と立つことを促されて俺が立つとエナジードリンクをオススメされた。なんだかよく分からない。

「飲む?」

「全く飲んだことがないな。基本的にアクエリアス一択だ」

「なんかイメージそのままね」

 永野さんはふわりと言った。

 スポーツマンということなら、イメージはそれで合っている。

 待っていると電車が入ってきた。

 15:30すぎの環状線、しかも一番前の車両には誰も乗っていなかった。

 これから帽子は要らなかったかもしれないと思ったが、永野さんは「はいこれ」と帽子を渡してきた。

 それは頭の部分がかなり深いもので「変装用にたくさん持ってるの」と静かに言った。

 元アイドルだもんな。納得した。


 電車が動き出したので、俺はスマホを取り出した。

 今日は一応英会話の勉強をしようと思って、イヤフォンと動画の目星もつけた。

 時間をちゃんと使えば永野さんも「無駄に長く電車にのせて」と思わないのでは……と数分見て横を向いたら、永野さんはもう眠っていた。


「……マジか」


 俺は思わず声に出した。

 思い込みなのでは? とか、眠れると思ったら眠れないのでは? とか、中央本線の揺れじゃないと無理なのでは? とか色々考えてたけど、永野さんは俺の腕に体重を乗せて、再び眠っていた。

 昨日と全く同じ寝顔。俺は帽子を受け取っているのに、今日も寝顔を見てしまう。

 艶々とした髪の毛……今日は小さく三つ編みがしてあって、耳の後ろのほうで縛られていた。

 最初から眠る気だったからか、制服の胸元リボンが少し緩められていて……そこまで見て俺は永野さんの頭に帽子をかぶせた。

 これは俺のためでもある。

 正直眠っている永野さんをジロジロ見続けてしまうのは、男としてアウトな気がするからだ。

 着ていた上着を永野さんの上からかけて、俺はイヤフォンをした。

 動画の長さはちょうど40分。見始めたら眠気にさそわれて、このまま一緒に寝たら違う県まで連れていかれて海を見ることになる。

 それではバイトに遅れてしまうので、眠くなったら再生を止めて、普通にネットして過ごした。




 どれだけ眠っていても、最寄り駅の一つ前で絶対に起こしてほしい。

 そう言われていたので、俺は永野さんを揺り起こした。

 目覚めた瞬間に顔がふにゃ……となり、俺はドキリとしてしまった。


「……寝てた。うわあ……すごいよ和泉くん」

「……おう」


 俺は正直、目を輝かせて俺を見た永野さんに圧倒されていた。

 大きな瞳を更に大きく広げて、キラキラさせて俺を見るんだ。

 こんなご褒美、横に40分いるだけで貰ってよいのだろうか。

 俺たちは降りる準備をしながら話す。


「昨日も、やっぱり眠れなかったの?」

「いつも通り。大丈夫、慣れてるから。本も読めるし勉強も出来る。夜が長く使えるのは悪くないわ」


 すぐにいつも通りの表情になり、帽子をカバンに入れながら永野さんは言った。

 悪くないなんていうけど、昨日はホームで明日には枯れてしまう花みたいにうな垂れていた。

 たぶん強がりなんだろうけど、それに対して俺が何か言えるはずもない。

 駅について二人で一緒に電車から降りた。正直そんなことが俺はうれしかったりする。

 改札を出て後ろを確認すると、とことこと永野さんがついてきている。


 ……どうしよう、正直、ここからどう話を進めてよいのか、俺の頭に解決方法は書いてなかった。


「あの、和泉くん。本当にありがとう。あの……」


 話の突破口を開いたのは永野さんだったが、言葉に悩んでいる。

 それは俺も同じだった。正直毎日一緒に環状線で一緒に帰るのは全然苦ではない。

 むしろ幸せな時間だ。でも永野さんは俺の時間を奪っていると思っているからそんなことは頼めない。

 二人して黙り込んでしまったが、俺は俺の状態をちゃんと伝えようと思った。


「あの、俺のバイトは17時からだから、毎日環状線でも間に合う。正直、その時間を勉強に回せば効率的だと思う。まあ……全然勉強できなかったけど」

「あの、私、夜眠れなくて勉強得意だから、環状線で帰ってくれるお礼に、勉強教えるとか……どうかな」


 永野さんが俺に勉強を……?!


「学校で……?」

「学校は私に近づかないほうがいいと思う。無駄に写真撮られるし、噂にされる。私はいいの、慣れてるから。でも和泉くんはそんなことに巻き込まれなくていいと思う。学校では今まで通り、隣のクラスの人のが、和泉くんのため」


 さっきまで少しほどけた表情をしていたが、一気に学校で見せる厳しい表情になって永野さんは言った。

 『そんなこと』と言い捨てる言葉の強さに、彼女の辛さが含まれてる気がして少し苦しくなった。

 そうだよな、学校では永野さんに近づかない方が良いのは俺も分かる。

 永野さんももっと噂にされるだろう。

 でも……


「俺、毎日バイトで、終わるの20時なんだ。下の店にいる時もあるし、上の喫茶店で働いてる時もある」

「そっか、そうだよね、ごめん……」


 永野さんは表情を曇らせた。

 これじゃ彼女は対等な立場じゃないから……と断るだろう。

 いっそ俺は永野さんと毎日帰って寝顔が見られるなんてご褒美だと言ってしまいたいが、それでは変なファンと変わらないので言えない。

 あ、俺は閃いた。


「あのさ、20時にバイトが終わってから、21時まで店の休憩室で夜ごはん食べてるんだ。店の残り物。そこで勉強教えてもらうとか……どうかな。店は23時までやってるんだ」

「お邪魔しても大丈夫なの……?」

 不安げに永野さんが聞く。

「いつも俺が一人で飯食べてるだけ。20時以降はバーになるから他のバイトも居ないし、兄貴にさえ話すれば大丈夫だよ」

「え……じゃあ、今日、とかも……?」

「全然、全然大丈夫だよ!」


 俺は思わず声を張ってしまった。

 全然大丈夫だと言ってしまったが、まさか今日から来てくれるなんて思って無かった。

 休憩室に何かヤバい物が置かれて無かったか、入ったらすぐに確認しようと思った。


「お店の二階なんだよね……? じゃあ20時にお邪魔してもいいかな?」

「もちろん」


 俺は何度もうなずいた。

 

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