第9話 放課後ゼッケン

「触らないで。必要ないから」


 廊下に永野さんの声が響いた。

 近くにいたやつらがザワッ……とする。

 永野さんは手に沢山のノートを持ったまま、サクサク歩いて去っていく。

 たぶん集めろと言われた現国のノートを運んでるんだと思う。

 それをクラスの男子が「持つよ~」と永野さんに触れたらピシャリと断られたようだ。


 永野さんの声は高くてキレイで通るから、みんな廊下で「こえー……」といった雰囲気だ。

 でもノート運ぶの手伝うために永野さんの肩に触れる必要ないと思うので、反応は間違ってると俺は思わない。


 だってあんなに写真を勝手に撮られて、学校の奴らがゴチャゴチャ集まってるチャットルームは永野さんの話が9割。

 何をしても注目の的なんだから、誰も信用できなくて当然だと思う。


 永野さんが歩いて行く廊下を、俺も追うように歩く。

 なぜなら俺も回収係に指名されたからだ。

 両手に現国ノートを持っている。

 そして同じ目的地……職員室に入った。



「先生、持ってきました」

「おつかれー。ついでにこれ持って行ってくれ。部対抗のゼッケン。ついでにICチップも入れてくれ。あと名簿と参照もヨロ」

「……なぜに俺が」

「部活入ってないのはクラスにお前しかいないんだよ。頼んだ、よろしくぅ!」


 担任に頼まれて部対抗マラソン大会のゼッケンと仕事を頼まれてしまった。

 マラソン大会はみんなICチップが入ったゼッケンをつけて走る。

 それでタイムを正確に測って、部の平均タイムを出して戦うのだ。


 しぶしぶゼッケンをもって職員室を出ると、同じように永野さんもゼッケンを持たされていた。

 それだけじゃない、プリントの束も持っている。

 ちょっとさすがに……俺は手伝おうと一歩前に出た。

 でも「学校では近づかないほうがいいと思う」と真っすぐに言った永野さんの言葉を思い出す……が目の前でパラパラとゼッケンが落ちていく。

 目の前を歩く永野さんは足元も見えてないみたいで、気が付いてない。

 俺はそれを拾いながら、前を行く永野さんに向かって一歩踏み出した。

 永野さんが横に並んだ俺を見る。

 廊下の夕日が真横から入っていて、永野さんの髪の毛を美しく光らせた。


「……落としたよ。さすがにきつそうだから、ゼッケンだけ持つよ」


 永野さんは左右前後を確認して、ふぅ……と少し息を吐いて、ほぐれた表情を見せて小声で言った。


「……じゃあお願い。日直なの忘れてたからプリントもあって、重いの。なんなのこの量」


 すこし眉間に皺をいれて文句をいう表情とプチ毒がかわいくて、俺は少し笑ってしまった。



 

 二倍になったゼッケンはそれなりの量になったけど、全然歩ける。

 俺と永野さんは教室に戻った。

 とりあえず、永野さんのクラスに入って半分置く。

 「じゃああとで」と小さな声で言い、教室を出ようとしたら、永野さんが「ねえ」と声を掛けてきた。


「ICチップ入れるのも頼まれた?」

「うん」

「あのね、私、爪がコレでICチップ掴むの辛いの。手伝ってくれないかな?」


 そういえば永野さんの爪は結構長かったから、薄くて小さいICチップを掴むのは辛そうだ。


「うん、やるよ」

「指が短いのがコンプレックスでね、どうしても切れないの」


 掌を広げて見せながら永野さんは言った。


「短いと思わない?」


 短いかな……?

 俺は自分の掌を永野さんの掌に合わせてサイズを見ようと合わせてみた。

 すると俺のほうがめちゃくちゃ手が大きくて、永野さんの手はすごく小さかった。

 少し力を入れると俺の第一関節に永野さんの爪が刺さる。


「というか、手が小さいんだね」

「……和泉くんの手が大きいんでしょ」


 すぐにぐっ……と永野さんは手を握って顔をそむけた。

 俺はタヌキ監督にも人差し指がすごく長いから球が引っかかって良いと褒められたからそうかもしれない。

 自分の掌を見ると少しタコが薄くなってる気がしてさみしくなった。

 永野さんはコンプレックスで伸ばしてたのか……というか、そんなことしなくても指はきれいだけど。


「ここに裏側にして全部並べればいい?」

「うん」


 永野さんはゼッケンを手にして動き始めた。


「じゃあ、和泉くんのクラスから並べていくね」

「了解」


 永野さんは机の上に一枚ずつゼッケンを並べていく。

 俺はICチップが入った袋を持って横を一緒に移動。

 裏側の小さな隙間にICチップを入れていく。

 永野さんが右に一歩動いて、俺も追うように一歩動く。

 途中から気が付いたんだけど、永野さんがいたところに、すぐ動くと……めっちゃ良い香りがするのだ。

 すごく甘くて、良い香り。


 外からはサッカー部の練習する声。

 隣の校舎では吹奏楽部がパッパー……と練習をする音を響かせている。

 廊下を走る人たちは誰もいなくて、シンと静まり返る教室に、俺と永野さんだけ。 

 斜めに入ってきている夕日と、サラサラ光る永野さんの髪の毛。

 トン……と軽く響く上履きが床を移動する俺と永野さんの音。

 それを追うように動く俺の音。


「……なんかこう……おいかけっこみたいね」

「なんかこう……無駄に集中するよな」


 正直二人で同じ動きして移動するのが、楽しくてドキドキした。

 

 二クラス分、80枚近くを机の上に並べて、俺たちはICチップを入れ終えた。

 そして後ろから永野さんが集めて、前から俺が集めて、真ん中で集まった。


「これも頼まれた?」

「うん」


 ゼッケンにはナンバーが書かれている。

 それを名簿の名前の横に書き込む作業だ。

 真ん中の机に山盛りのゼッケンを置いて、右と左の席に座った。

 ゼッケンの山がある横の机と椅子を使おうと思って持ち上げたら永野さんが口を開いた。


「……あ、そこ私の席だから、まだ荷物入ってて机重いかも」

「!! いや、全然、重くないよ」


 というか、偶然永野さんの机に座るという状況に緊張する。

 この机で、この椅子に座ってるのか。

 向坂からしたら聖地だろうな……とよく分からないことを思った。

 すごくドキドキしたけど、頬を無理矢理一文字にして冷静な顔をつくる。


 永野さんのことを好ましく感じてるのは自分でもわかってる。

 そりゃこんな美人といて意識しない男なんていないだろう。

 でも意識してるのを知られたらピシャリと断られたファンのやつらと同じだと思われる気がして、なるべく意識してない顔をしたいと俺は思い始めていた。

 俺はきっと分かりやすくファンじゃないから、普通に接してくれてる気がするんだ。

 永野さんは自分のファンをあまり好きでは無さそうだから。

 それに今は……


「ねえ和泉くん、今日は電車乗る前に駅ビル屋上で売ってるアイス食べてから帰らない? なんか美味しいんだって。ネットで見たの」

「……じゃあ、今日は屋上で待ち合わせにしようか」

「うん、ちょっと夢だったの。学校帰りに食べるの。中学のときはあまり学校に行けなかったから」


 と永野さんは少し遠くを見た。

 小学校低学年の時に事務所に入り、長くアイドル活動をしていた永野さんは授業にはあまり参加せず、主にテストだけ受けていたようだ。

 仕方ないけど、学校帰りのダラダラした時間がないのは淋しいと思う。


「じゃあ食べてみようか」

「うん」

「私、初めてなの、買い食い。うれしい、制服で寄り道してみたかったの」


 永野さんはまた少しだけふわりとほどけた。

 今は永野さんの横で、少しだけ見せるこの表情と、ただ横で眠る姿を見ていたいと思うんだ。

 





 待ち合わせした先の屋上で永野さんはアイスを3つ頼み、俺は少し驚いた。

 でもそれが全部抹茶味で

「同じ味なんじゃねーの……?」

 と俺がいうと

「抹茶ミルクと、抹茶クランチと、まろやか抹茶は全然違うのよ。ほら」

 と、俺に自分のスプーンで一口ずつ食べるのを要求した。

 だから少し食べたけど……全部同じ味だった。

 永野さんは

「ね? 違うでしょ?」

 と自慢げに言うので、薄く頷いた。

「でしょ?」

 と永野さんは目を細めて満足げだ。


 アイスを食べながら永野さんが「そういえば……」と口を開いた。


「河原のランニングコース、あるでしょう? 私いつもあそこを走ってるんだけど」

「ああ、気持ちがいいよね、あそこは」


 河原のグラウンドでいつも野球をしていたのでよく知っている。

 どこで走ってるのかなと思ってたから、知れて少し嬉しい。

 あそこなら遅くまで照明がついてるから安心な気がする。


「昨日も走ってたら、桐谷さんに追い抜かれたわ。私は変装してるから気が付かなかったみたいだけど。本当に練習してるみたい」

「ああ~~、アイツはやるね……」


 真由美はやるといったらやる女だ。

 永野さんは少し目を細めて


「来週のマラソン大会、すごく楽しみ。私も負けない」


 と言った。

 ひょっとして永野さんも戦闘民族なんだろうか。

 どちらかというと農耕民族の俺は「おお……がんばれ」としか言えなかった。

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