3.涙を見たから

 有栖川更紗。正直、まだ彼女のことはよくわかっていない。でも、俺のことは信頼してくれているみたいだし、少しは頼ってくれるらしい。それ自体はありがたいことだし、嬉しいことだ。

 だからなのか、俺ももう彼女が泣いているのは見たくない。だから、有栖川がいない隙を狙って先輩からのお説教をすることにした。説教というか、目には目をのとても陰湿なやり方だ。そして、俺自身が陰湿な性格だからか、同じやり方で仕返しをするのが大好きだった。だからこのやり方を選んだ。我ながら酷い話だ。


「っ!?」

「なに!?ㅤ水!?」

「そうだ、水だ。冷たいよな水って」

「な、なに!」

「有栖川更紗って知ってるよな」


 有栖川の名前を出すと、彼女たちの顔が凍りつく。有栖川から聞いていたが、いじめをしているのはクラスの中心である彼女ら数人だけだそうだ。よくもまあ飽きずに毎日、なんて思いもしたが、今はどうでもいい。


「お前らだけ?」

「……そうですが」

「今水ぶっかけられてどう思った?」

「死ね」

「って思ったんだよな。そうだと思う。俺がされてもそう思うだろうしさ」

「なに?ㅤいじめはよくありませーんって言いに来たの?」

「そうそう。まあ、目には目を歯には歯をって言うから、とりあえず有栖川と同じ目にあってもらおうかと」

「信じらんない!」

「俺はお前らが信じらんないけどな。楽しいか?」

「はぁ?ㅤ目障りだからやってるだけなんですけど!」

「じゃあ俺もお前らが目障りだからこれ続けるけど、文句言うなよ?」

「っ!」


 やはりと言うべきか、頭が弱い。毎日飽きずに有栖川に水をかけているような奴らなので、中身が幼いんだろう。学力的には平均なこの学校は良くも悪くも人のパターンが多すぎる。


「有栖川が好きで笑えなくなったとでも思ってるのか?ㅤ好きでアイドルやめたと思ってるのか?」

「そんなのどうでもいい」

「だろうな。俺も有栖川もお前らの事情なんかどうだっていい」

「うざ。なにこいつ。もう行こ」

「先輩になにこいつって。まあいいけど。今はいじめに対する法律もしっかりできてるらしいし、まあ時間の問題か」

「えっ、うそ……」


 言った途端、半泣きになって慌てだす。そんな法律が本当にあるのかは知らないが、こんなハッタリが通用するあたり頭は弱い。よわよわすぎて心配になるくらいだ。


「お前らは今言葉だけで俺に追い詰められてるよな」

「……だからなんですか」


 法に触れるというハッタリを真に受けているのか、話ができるくらいにはなった。


「それが毎日、いろいろされて追い詰められてるんだよ、あいつは。あいつが羨ましい気持ちはわからんでもないけど、ちゃんとしてればお前らも良いとこあるだろ?」

「えっ!?」

「ないのか?」

「あ、ある。多分」

「それ、大事にしよう。それがいい」

「は、はい!」

「おう。服濡らしてごめんな」

「いえ!ㅤこちらこそすみませんでした!」


 反省してくれたらしい。長期戦になることを予想していたため、あっさり終わったことにほっとする。これで有栖川も笑って……は無理だろうが、普通の生活を送れたら幸いだろう。






「ばーか」

「いきなり罵倒……」


 さすがの俺もちょっと傷つく。そんなことを知ってか知らずか、有栖川は罵倒をやめない。


「馬鹿。阿呆」

「……なんかごめん」

「……でも、ありがと」

「お、おう……?」

「一言言ってくれたんでしょ。あの子たち、人が変わったみたいだったよ」

「そっか。水ぶっかけたりして申し訳ないと思ってたけど、それならよかった」

「えっ?ㅤあの子たちに水かけたの!?」

「そうだけど」


 そう伝えると、有栖川は吹き出す。もちろん、それでも表情は変わらないが。


「ほんと、馬鹿だね祐介は」

「悪かったな」

「嫌いじゃないけどね、そういうところ」

「そりゃ良かった」


 有栖川更紗は人とは違う。人とは違う生活を送っていたのに、その心は人よりも弱いはずなんだ。だから、笑顔を失った。そんな子がこんないじめをずっと受け続けていたらすぐに壊れてしまう。それは嫌だった。


「ああ、そういえばこれで俺の役目って終わりか」

「えっ?」


 俺がそんなことを言うと、有栖川は悲しそうな顔をする。本当に笑顔以外は出来てしまうらしい。なんとも難儀な話だ。


「……せっかく仲良くなれたと思ったのになぁ……」

「ごめん、もう意味はないけどもうちょっと仲良くしよう」

「……うん」


 その返事の声色は心做しか明るく感じた。

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