32.大丈夫

 その翌日。

 更紗が連絡を取ろうとしないので家に行くことにした。インターホンには顔が映らないようにして押す。完全に不審者のやり方だが、今回に限ってはこっちの方がまだ有効だ。

 しかし、当然ながら出てくる様子はない。というか、やっていることが完全に怪しいので、出てきてくれなくても文句は言えない。

 その思考に反して、あっさりと更紗は出てきてくれた。


「……祐介」

「今日は練習の予定のはずだけど」

「もうなしで。ごめんね、付き合ってもらってたのに」

「そんなわけにいくか。途中で投げ出すわけにはいかないだろ」

「……ん、ごめん。でも無理だよ」

「誰が無理だって言った?」

「そんなの……見てたらわかるでしょっ!」


 更紗にしては珍しく強気な言葉。投げたような、もう全てを諦めてしまったような言葉。

 学校で初めて会った時と似た表情だ。笑えない更紗は、なんの感情も篭っていない瞳で俺を捉えている。


「お前らしくないこと言うんだな」

「私らしいってなに? それって祐介が思ってるだけじゃん。私の私らしいってなんなの? ねえ?」

「落ち着け」

「落ち着いてるよ。落ち着いて考えたよ。まだ大丈夫、祐介がいてくれるからって。でも駄目だった! 結局頑張るのは私なんだから!」

「っ!」


 胸を抉られたような感覚に襲われる。更紗が述べたのは事実に過ぎない、俺自身が一番わかっていたこと。


「あ……ちが……」

「違わない。間違ってない」

「違うの……こんなこと言うつもりじゃ……」

「落ち着け」


 もう一度さっきと同じ言葉をかける。が、更紗は聞こえていない。不安や焦り、絶望なんかが更紗を支配していく。それはただ傍にいる俺にも伝わってきた。


「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい」

「……更紗?」


 明らかに様子が変だ。根元が強い更紗に限って、たった一回の失敗がここまで壊してしまうことは想定外だった。


「怒らない。失望もしない。俺はお前の味方だ。だから、落ち着け」

「……はい……」

「どうした。なんかあったのか?」

「……なんでも、ない。ううん、言えない」

「お母さんか?」

「ち、ちが……」

「嘘下手くそか」

「……最近ね、おかしいんだ。私もお母さんも。お母さんって呼んで、いいのかな」


 隠せないとわかったのか、はたまた俺を頼ってくれるつもりになったのか、話をしてくれた。

 更紗が母親しかいないこと。アイドルを始めたくらいから更紗に対しての扱いが酷くなったこと。笑えなくなったことを、喜んでいたこと。

 以前見たズレが、違和感が、ようやく繋がった。


「うち来い」

「えっ?」

「お前に笑っていてもらわないと、俺としても困る」

「でも、私はもう踊れな……」

「どうでもいい。ああ、そうだった。文化祭はやめだ。出るな」

「……うん……」


 なんともタイミングの悪い話だ。あの場所での失敗に加えて、母親の圧力は更紗には大きすぎたものだろう。

 でも今は、俺がいてやれる。大丈夫と胸を張って言ってやることはまだできないかもしれないが、それでも。


「服とか準備するか」

「い、いいよ。さすがに迷惑だし……ほら、私これでも結構有名だから急に祐介の家から出てきたら迷惑でしょ?」

「結構目撃されてるからもう無駄だよ」

「……そうだった。でも、ほら……」

「うちが嫌なら他でもいい。朱音も彩月も、祐奈たちもいる。あいつらなら絶対にお前を助けてくれる」

「……なんでそこまでしてくれるの?」

「他は知らないけど、やっぱりお前が大切だから。状況こそ違えど、アリスのために俺は頑張ってたからな。だから今度は俺が返す番だろ。有栖川更紗に」

「……ん、ありがとう」


 安心したのか、俺の胸元に倒れ込んできた更紗は泣いていた。


「怖かった。あんな失敗の仕方して、お母さんに怒られて。もう誰もいないって思った」

「たとえ俺がいなくても、祐奈たちはいるだろ」

「駄目だよ。誰のせいでアリシア解散したの。今更頼るなんて身勝手すぎるでしょ」

「馬鹿だよな、お前」

「うん、知ってる。二人が本当に気にしてないことも、祐介が私を見捨てないことも、ほんとはわかってたんだ。でも、それでもやっぱり怖かった。一人になるのは嫌だった」

「一人になんかしない」


 更紗の背に腕を回して、少し強めに抱きしめる。存在を確かめる。そこにいることを、しっかり認識する。

 更紗がいなくなってしまいそうだと思った俺の気持ちは、今伝える必要は無い。それでも、俺も怖かった。更紗が俺を信じてくれなくなったら、頼ってくれなくなったら、壊れてしまったらと思うと胸が痛かった。

 だけどきっと、更紗の方が辛くて怖かったとわかるから。


「帰ろう。兄さんに事情話さないと」

「うん、帰る」


 ほんの少しの光を宿した笑みで更紗は頷いた。

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