35.魅せるための想い
「おはよ」
「おはよう」
朝の挨拶を交わす。
更紗とまた練習をすると決めた翌日の朝だ。朱音と彩月には連絡はしていないが、これ以上あの二人にも迷惑をかけるつもりは無い。俺と更紗の問題にすぎないのだ。
ベッドの上から、更紗が俺を見下ろす形になる。身長が平均よりもだいぶ低い更紗に上から見られるというのもなかなか新鮮だが、よく考えればいつもステージに立ってた更紗は俺よりも高い位置で踊っていた。新鮮でもなんでもないことなのに、どうにも慣れない。
「どうしたの、こっちじっと見て」
「膝枕してほしい」
「えぇ……いやいいけどさ……」
口ではそんなことを言いながらも、乗り気なように見える。表情は相変わらずだが、考えていることはわかる。
枕が膝に置き換えられる。細くて、このまま頭を置いていたら折れてしまいそうなほど弱々しい太腿。それでも枕なんかよりもずっと心地よい。
「お加減いかがですかー?」
「いい感じ」
「裕介ならオプションつけてあげるけど」
「オプションってなんだよ。それならこれが既にオプションだぞ?」
「あ、確かに」
「ならいっか」と言いながら、更紗は頭を撫でてくる。そういうのを全て含めてオプション付きと呼ぶのだろうが、多分更紗は気にしていない。というか気づいていないのだろう。
「今日は、昼からだったか」
「そうだよ。私の足が痺れるまでこうしてあげる」
「何分くらい?」
「2時間くらい?」
「長っ!」
「あははっ、冗談だって。さすがにそんなに私ももたないから。主に心臓が」
「それは一大事だな……」
「だから1時間かな」
「だから長いんだよ」
「嫌なんだ?」
「そんなわけないけど」
「まあその前に私の足がもたなくなると思うんだけどさ」
「だろうな」
華奢な足でずっと俺の頭を支えておくのは無理があるだろう。というか、既にもぞもぞと足を擦るような動作を続けている。
「痺れた?」
「違う。尿意」
「それは早く言え」
起き上がると、更紗は手をついて立ち上がろうとする。が、朝起きてすぐに俺を膝枕していたからか、はたまた単純に痺れていただけかはわからないが、ふらふらと前に倒れてしまう。
「あっぶね……大丈夫か?」
「うん、ありがと。なんか痺れてたっぽい」
「ごめんな」
「いやいや、私も結構楽しんでたから」
「そっか。ならいいんだけど」
「うん、大丈夫だよ。ありがと」
うっすらと笑みを浮かべて、更紗は部屋から出ていった。
部屋から出たことを確認して、外出用の服を取り出す。普段は時間の前後になるまでのんびりとしているのだが、更紗がいるのでまともの服装をしておこうと思う。
着替えてしまえば、一人の時間だ。時間がかかるとか、そんなことは気にしてはいけないことだろう。
それでも、気持ち的には更紗と話しているはずだったので、この時間は暇だ。趣味という趣味もないので、久しぶりにアリシアのライブを見返してみることにする。
「……あ」
懐かしいサインだ。こうして見てみると、更紗のサインは丁寧で想いが込められたように見えるし、椎名のものは怨念か何かを込められているように見えなくもない。
「おー、それか。懐かしいね」
「おかえり」
「ただいま。見るの?」
「見ようかと思ったけど、更紗が帰ってきたならいい」
「ん、わかった。実を言うと、あんまり昔の自分は見たくないというか、見られているのを見たくないというか」
「まあ、そういうもんだろ。でもこれ、俺にとっては結構大事なものだからさ」
「私から初めて手渡しで貰ったアルバム、でしょ」
「……更紗も覚えてたんだな」
これは、アリシアが正式にデビューして初めてのアルバム。たった数人だけがサイン付きのものを持っている、希少価値で言えばアリシアのグッズの中でもトップだろう。
それでも、滅多にネットの転売なんかには出ない。俺が知る限り、その例は一度だけだ。確かそのときは、『アリシアに貢ぎすぎてしまったため、泣く泣く手放さざるを得ない』という理由だった。知り合いだったからよく知っている。
そう思うと、アリシアに熱狂していた時期がまた恋しくなってしまった。
「ちょっと散歩にでも行くか」
「ん? いいよ、行こっか」
小さな更紗の手を握って、部屋から出る。こうしてみると、やはり更紗は小さい。見えていたアリスの姿は、なぜか大きく見えたそれは、こんなにも小さな手の女の子だったのだ。
「んっ……」
「大丈夫か?」
「手、痛いよ。大丈夫、私ちゃんといるから。どうしたの?」
「あ、ああ……ごめん。いや小さいなって。小さくて可愛らしい手」
「そりゃ体型がこれだし。一般的よりチビだよ私」
「まあ、小さいよな」
「で、それがどうしたの。私、別に小さいこと気にしてないよ? そりゃあちょっとくらい伸びてもいいとは思うけど」
「いや……」
難しい話だ。どう伝えればいいのかがわからない。
別に俺が見ていたアリスが大きなものだったわけじゃない。むしろ、小さな姿で、笑顔で精一杯頑張っていた。
「んー、私は別に大きくないよ」
「えっ?」
「そろそろ祐介の考えることもわかってきたかな。観客の祐介から見た
「……まあ、そんな感じだな」
「今思えばなんだけどさ、私は魅せたい人と、見せたい人がいたんだと思う」
「どういうことだ?」
「最初の、魅せたい人。それはファンの人とか、テレビとかで見てくれてる人。私が一人一人覚えていることが出来なかった、数多くのファンの人達。後者の見せたい人は、あなただよ、祐介」
「俺、か。俺だけじゃないんだろ」
「うん、そうかも。祐介もそうだし、祐奈と花蓮もそう。あとは多分、お母さんもそう」
「お母さん、か」
俺が今すべきことは、ここで更紗を守ってやることじゃない。更紗の母親に、
「更紗」
「ん?」
「好きだ」
「私は大好き。あ、やっぱり愛してる」
「いや、そういうことじゃなくて……ちゃんと、俺は一緒にいるから。更紗の見せたいもの、見せよう」
「うん、ありがと」
おそらく今では俺にしか見せない、緩んだ笑みだ。
この笑顔が、いつかまたたくさんの人に見せられるようになるまで。少なくともそれまでは傍にいる。
「頑張るから!」
「そうだな」
笑い合えるようになったことを内心で喜びつつ、俺は更紗の手を引いて外へと出かけた。
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