36.恩返しという名の嘘

「練習、切り上げるか」

「そだね。もうちょっとで時間交代だし、疲れてきたし」


 衣装は決まっている。知る人ぞ知る初ライブで使われた、可愛らしいあの衣装だ。

 その衣装を恥じらいもなく脱ぎ始めたので、俺は慌てて目を逸らす。ここは体育倉庫だが、当然別に女子更衣室はある。


「あ、ごめん。見ていいよ」

「見せようとするな……?」

「あははっ、ごめんごめん。見たいかと思って」

「そりゃ見たくないといえば嘘になるけど……」

「見せられるのじゃなくて自分で剥ぎたい感じか」

「そういうことじゃない。ただほいほい見せるなってことだよ」

「うん、わかった」


 背中の方から布が擦れる音が聞こえる。

 必死に平静を保ち、ようやく更紗が着替えを終える。


「更衣室で着替えてくれよ?」

「次からはそうする」

「……で、なんで急にこんなことを?」

「し足りないお礼の補填、かな。なんか私にもわかんないんだ」

「俺は求めてない」

「知ってる。知ってるから、もやもやするんだよね」


 今やっていることが俺の恩返しなことは更紗もわかっているはずなのだ。それ自体は更紗もわかってるのだろう。

 それでも、こういう不埒なことを更紗がしようとするのにはなにか理由があるのかもしれない。


「勘違いはしないでほしいんだけど、誰にでもこういうことするわけじゃないから」

「それはわかってるよ」

「ん。じゃあ、帰ろっか」


 手を差し出してきた更紗の手を取ろうとすると、その手は引っ込められた。


「もやもやするから、いい」

「そっか」


 さっきのは更紗にとっても失態だったらしく、若干だが顔が紅潮している。それでも距離はいつもと変わらないどころか少し近いので、それほど気にする必要はないだろう。

 もじもじと股を擦るような動きに俺は視線をさまよわせる。


「帰り、コンビニ寄ろ。甘い物食べたい」

「奢るぞ」

「やった、ありがと」


 感情がこもっていないような感謝だった。どこか上の空というのが正しいだろうか、どうにも落ち着かない。

 そしてようやく更紗の表情に生気が戻った頃には、もうコンビニの前だった。


「何が欲しい?」

「うーん……」


 また上の空。甘いものが食べたいと言っていたのでスイーツのコーナーへと勝手に向かう。

 何を考えているのかわからないまま、ただ付いてくる。距離は少しだけいつもより近いままで、俯いたままだ。


「更紗」

「んー?」

「……したい、のか?」

「……はぁ!?」


 更紗の突発的な意味不明な行動。それがなにか重大なものであるようには感じなかったが、どうにも更紗はそういうことをしたいのかもしれないと思えた。


「……外行こ」


 返事をする前に出てしまった更紗の後を追いかける。その耳は赤かった。

 笑えない更紗は、こういうときの表情はわかりやすい。困ったような、言いたくないことがあるような表情。更紗が最も得意な表情だろう。


「図星だったんだ」

「やっぱり、そうか」

「最初はほんとにわかんなくて、自分でもなんでこんなことしてんだろって思ってた。けど、だんだん怖くなってさ」

「怖く?」


 こくりと頷く。


「また祐介がいないと失敗できちゃうんじゃないかって。前のは勢いで言っちゃったけど、結局ステージに立つのは私一人だからさ。そんな中で、祐介を近くに感じられない中でちゃんとやれるのか不安になった」

「……だから、ひとつになろうと」

「ま、まあ……うん、多分そう」


 理屈がわからないわけではなかった。

 そういう行為が男女の終着地であるような考え方をしている更紗が少し可愛らしく見えたが、今はそうやって茶化す場ではないだろう。


「ごめん」

「いや、いいんだ」

「違う。今多分、盛大に嘘ついた。全部嘘。めちゃくちゃ嘘だと思う。正直に言います。変態でごめんなさい」

「……ん?」


 真面目な話が急に逸れた。


「祐介のことが好きなんだ。だから祐介を愛したいし、愛されたい。そういう感情なんだと思う。大層な理由つけてもやっぱり誤魔化せなかった。ただの性欲だよ。嘘ついて、ごめん」

「……言いづらかったのは、だから?」

「うん。こんなこと言って困らせたくなかったし、嫌われたくなかった」

「……そっか」


 そんなことを言われて、俺が断れるとでも思っているのだろうか。

 そこで、ようやく更紗がコンビニへ来たかった理由がわかった。


「ちょっと待ってろ」

「えっ、待ってよ。私も行く」

「……アレ、買いに行くんだけど」

「……行きます。恥ずかしい思いも、一緒にしよ」

「お前がいいなら、それでいい」


 こういうときに選ぶのは女性にした方がいいのかもしれない。結局付けるのは女性の身体の為だからだ。

 その意図を汲み取ってくれたのか、更紗が選び始める。恥ずかしいし、逃げ出したくなる。そして、若干俺も期待しているのがわかってしまうのが辛い。

 更紗が選んだものに関しては触れないでおく。これ以上考えてしまうと、自分のキャパでは抑えられない。

 帰り道は手を繋いだ。それでも会話は生まれなかった。それどころか目を合わせることもしない。そんな状況のまま歩き続ける。

 家に着いたら、兄さんが出迎えてくれた。いや、出迎えてしまったというべきかもしれない。


「おかえり。昼飯できてるよ」

「あ、後で食う」

「私も後にします……」

「ん? 二人揃って、なんか掴んだか? 後で持って……」

「「持ってこないで!」」

「わ、わかった……」


 逃げるように更紗と部屋に戻る。

 それから更紗の腕を掴んで、ベッドへ押し倒す。


「声は、抑える」

「悪いな」


 更紗の服を脱がせてからは、いまいち覚えていない。

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