34.たとえこの灯が見えなくなっても

 慣れないベッドで目を覚ます。その匂いが一瞬私を錯乱させかけたが、なんとか自我を保つ。朝に弱くなくてよかった。

 祐介は床に布団を敷いて寝ていた。気を遣う必要なんてないと言っても、祐介はなかなか聞いてくれない。妥協に妥協を重ねた結果がこれなのだ。

 本当は、ただいるだけの幽霊みたいな感じでいるはずだったのに、何故か馴染んでしまっている。というか、受け入れられてしまっている。

 ご両親の対応が息子の恋人に対するそれなのだ。事実でも私は祐介の彼女なのだけど。

 祐介の寝顔は、少しだけ辛そうだった。なんの夢を見ているのかは、何となくわかったような気がする。どうせ私のことだろう。自意識過剰と言われてしまえばそれまでだけど、祐介はそういう人だと知っているから。


「私はここにいるよ」


 頭の下から枕を抜いて、代わりに自分の膝を入れる。平均的な肉付きを意識していたが、初めてもう少し肉をつけておけばよかったと思った。

 こんなところを誰かに見られていたら軽く5回は死ねるだろうが、さすがに他人の部屋を覗き見する人はいないだろうと思い、特に気にすることも無く頭を撫でる。

 髪の毛は少し硬い。そのくせ指にかかることはなく、すっと指の間をくぐり抜けてしまう。なるほど、これは癖になりそう。それ以上はやばい奴だぞ私。

 なんとか自分に言い聞かせて、とりあえず自制。


「ありがとね、祐介」

「……どうした?」

「ッ!?」


 しまった、大誤算。

 誰にも覗き見も盗み聞きもされなかった。だって、聞いたのも見たのも張本人なのだから。


「いつの間にか枕が膝に変わってた……」

「ご、ごめん!」

「いや別に怒ってないから。むしろ枕より全然寝心地がいい」

「……それはそれで、どうなの?」

「毎日してくれるなら幸せだな」

「それは無理」


 私が死んでしまう。いや、別に頼まれればやらないことはない。やらないことはないが、これは一時の気の迷いというか、結局そういうものなのだ。多分二度とやらない。


「さて、と。じゃあ私はちょっと行くとこあるから」

「朝飯は?」

「どっかで適当に食べるよ」

「…………帰って、くるよな?」

「そんな心配しなくてもここに帰ってくるよ。あんな家、見たくもないから」


 少なくとも、今はまだ。

 私は決して強くなんてない。でも、だからといって弱いわけでもない。

 そう、つまり。

 有栖川更紗という人間は、結構諦めが悪いタイプなのだ。






 体育館の空き時間。

 そもそも数多くの体育館部活がある中で、どうしてこうして空き時間が出来てしまうのかは甚だ疑問なのだが、こうして私が使える時間にもなるので問題ない。


「さて、と」


 祐介はいない。三上も三澤先輩も、おそらく来ない。

 来るとすれば祐奈くらいだろう。さすがにここまで祐奈が来たら少し引くが。いやごめん、多分だいぶ引く。

 祐介のラジカセを引っ張り出して、曲を流す。

 やっぱり、少し懐かしい。

 思いっきり足を踏んで派手に転んでしまったこと。なんかよくわからない難癖つけられたこと。口パク疑惑がでたけど私が思いっきり噛んだから歌ってることが証明されたこと。

 3人でステージに立っていたこと。

 たった一人だけ、ずっとアリスを見てくれていたファンがいたこと。

 でも、今は誰もいない。目配せしても、誰も応えてはくれない。

 私の中の光は、今は見えない。ひとりぼっちだ。

 寂しくはない。どうせ帰ったら会えるのだから。

 でも、少しだけ怖い。

 だからこそ、私はやらないといけないのだ。いつまでも祐介に頼ってばかりはいられないから。

 曲に合わせて踊る。足が絡まった。振り付けが間に合わなかった。動きが鈍っている。

 歌った。何度も噛んだし、息があがった。

 そんなこんなで一曲が終わった。


「駄目だぁ……」


 始めからこうなることはわかっていた。別にたった一曲のミスを駄目だとか、もう今更そんなことは言わない。

 私はもう、祐介がいないと駄目なんだ。そんなことはもうわかっている。

 でももう、逃げたくないから。これは誰かのためとか綺麗なものじゃない。自分がほんの少しでも成長したと思うための、ただの自己満足。


「足、バラバラだぞ」

「……祐介。やっぱり来たんだ」


 少しだけ、嘘を混ぜた。

 私は祐介が来るのを期待していたのだ。来る保証なんてなかった。場所も、何をするかも言わなかったからだ。それでも私は祐介が来ることを期待していた。信じていた。

 弱いなと自分でも思う。弱くてもいいんだと思ってしまう。


「お前のことだからやるんだろうと思ってた」

「やっぱりバレてたか。うん、やるよ」

「無理だって、自分で言ってただろ」

「それでもやる。もう途中で投げるのは嫌なんだ」

「……そっか」

「大丈夫だよ。もう私は、一人でも」

「馬鹿だな」

「知ってる。馬鹿だよ」


 散々泣いたのに。祐介に酷い言葉までぶつけたのに。それでもまだ、私は自分のことばっかり。これを馬鹿と言わずになんというのか。


「一人でやろうとしてるのが馬鹿だって言ってるんだ」

「……えっ?」

「正直、俺はもうお前にステージに立ってほしくない。どんなに小さいステージでもそれは変わらない。けど、それでもまだお前がやるんだったら、俺も付き合う」

「祐介……」


 どうしてそんなことを言ってしまうのか。私はまた、あなたに酷いことを言ってしまったのに。謝りすらしていないのに。


「でも、一つだけ条件がある」

「なに?」

「絶対に諦めるな。どうしても無理だと思っても、弱音を吐いても、諦めるな。それは最後までやってからにしよう」


 なんで。そんなふうにまた一緒に頑張ってくれるなら、傍にいてくれるなら、頑張ろうと思ってしまえるじゃないか。

 まだ頼ってもいいんだと、思ってしまうじゃないか。


「さ、更紗!?」

「……ん、ごめん……」


 頬を伝う涙は、私が流すべきものじゃない。理解はしているのに止めることが出来ない。これ以上祐介に迷惑も心配もかけたくないのに、勝手に出てきてしまう。


「祐介!」

「ど、どうした?」

「ごめんなさい!」

「……なにが?」

「無理とか言っといて結局やりたいとか言って。酷いことも言って。最後にはまた祐介に手伝ってもらわないと何も出来なくて。全部ごめんなさい。それと、ありがとう!」


 今の私の笑顔は今まで祐介に見せたものの中でも一番輝いてたとはずだ。

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