41.笑えないアイドルと
オーナーは快くステージを提供してくれて、昼間は勝手に練習すればいいとまで言ってくれた。機材の扱いにさえ注意すれば、他は好きにしてもいいそうだ。
「てなわけで……集めてきたよ、テニス部。男子多めで」
「サンキュ、助かる」
「有栖川ちゃんは?」
「今準備中。さすがに俺が入るわけにはいかないだろうから、代わりに様子見てやってきてくれると助かる」
「りょーかい」
昼間のフロアに集まったのは、朱音や彩月が集めてくれた友達や部活のメンバー達。
今日は更紗の練習に付き合ってもらうために集めてもらったのだ。もちろんオーナーには許可を取った上だ。練習に使えと言っていたミニライブとはいえ、そこで盛大にミスをして更紗のメンタルに支障をきたすようなことがあってもいけない。
そこで朱音に相談した結果、茶化したりしないメンバーを集めて多少緊張になれておけばいいという結論に至ったのがこれだ。
「おう、集まってんな」
「昼間から使わせてもらってすいません」
「勝手に使えっつったのは俺だ。嬢ちゃんはどこだ?」
「今着替えてるところです。もうすぐ出てくるかと」
「ああ……アイドルってのはいろいろ大変みてぇだなぁ……まあ、手伝えることがあったら言ってくれ」
「ありがとうございます」
ここを使うアーティスト達と主に違うのは、やはり可愛さを引き立てる必要があることだろう。数日間ではあるが更紗と一緒に生活していて、ただ女の子というだけではなくアイドルの女の子がいかに大変かというのは見れたような気がする。
それはライブ前でも変わらない。まして今はプロのマネージャーなんてものもいないのだ。彩月や朱音が手伝ってはくれているが、俺やオーナーにできることも無い。
更紗の準備が終わるまで待ちながら、フロアの状況を確認する。少なくはないが、アリシアのライブほどの密度には満たないくらいの人だった。
「それなりに集めたつもりだったんだけど、やっぱ少なかった?」
「まあ、このくらいでいいんじゃないか? あんまり多いとプレッシャーになるし、なにより今の更紗にそんなに負担はかけられないからな」
「そっか……まだ、微妙?」
「微妙ってか、悪化させたな。ステージにトラウマがあるみたいで。考慮できなかった俺のミスだよ」
「そっか。まあ、祐介が気負うことじゃないよ、多分」
「まあ、そうだな。わかってる」
そもそも更紗が俺を責めるわけがないことくらいはわかっているつもりだ。それに、トラウマのようなものを思い出させてしまったこと自体は俺のミスだと思っているが、そのことはむしろ文化祭前に気づくことができてよかったとも思っている。
でも、それを更紗に思い出させてしまった以上は俺も更紗を支える義務がある。元からそのつもりだったとしても、更紗に辛い思いをさせてしまったことを仕方なかったで終わらせてしまうのは嫌だった。
「なんで祐介がそんな顔してんの。あのね、まだ文化祭本番でもなければミニライブでもないんだよ?」
「わかってるよ。もう俺にできることないし、焦っても意味ないってわかってるつもりだ。一応な」
「ん? できることなくはないんじゃない?」
「ないだろ」
にやにやした朱音になんともいえない嫌な予感を感じながら、せめて更紗の緊張を和らげられるようにそっと頭に手を置く。普段よりもずっと手がかかるであろう髪型を崩さないようにぽんぽんと頭を叩いてやると、少しだけリラックスできたようで笑みを浮かべた。
「ナチュラルに今笑えた気がする。どうだった?」
「可愛かった」
「そういうの今やめてよ。照れる」
「ごめん。笑えてたよ」
「私もなんかできないかなーと思ったんだけど、やっぱり祐介がぎゅーってしてあげんのが一番じゃない?」
「三澤先輩、逆効果だからやめて」
「えっ?」
そりゃそうだろう。これは俺の自身のなさとかそんな話じゃなくて、むしろ俺が抱きしめたら更紗が喜んでくれることがわかっているからなのだが。
「気が緩む自信があるから。そんなのされたら、無理」
ただでさえ不安定な更紗には今はコントロールを求めるのもよくない。周囲が更紗のコンディションを最高の状態にしておいてやらないといけないのだ。
それほど深く考えないでの発言を反省してか、朱音は俯いてしまった。が、すぐにまた笑って今度は更紗の頭を俺と同じようにぽんぽんと叩いた。
「ちゃんと考えてなかった、ごめん!」
「あははっ、大丈夫ですよ。おかげで緊張ほぐれましたから」
いつも通りの、ぎこちない笑顔。それでも、有栖川更紗の今の最大級の笑顔は人を魅了するのに十分な輝きを持っていた。
「よし。じゃあ、行ってくるね」
「おう。頑張れ」
軽くハイタッチをして、更紗を見送る。足取りや笑顔に、不安はもう見えない。
『みなさん、こんにちはーっ! 有栖川更紗ですっ!』
ぎこちない笑顔を浮かべた元アイドルに、フロアが軽く沸いた。その熱量は俺が見てきたアリシアのライブよりはずっと小さいもので、フロアの数名は興味すら持っていない。
『えっと、私のことはご存知ですかー?』
更紗の声に、ちらほらと「知ってるー」なんて声が上がる。しかし、それもほんの数人だった。おそらくは朱音や彩月が特に仲良くしている人達だろう。
『ありがとうございまーす! 実は私、みなさんと同じ学校の一年なんですよ!』
これにも数人の人が反応を返してくれるが、やはり一定数だ。
それでも、更紗が焦る様子を見せることはなかった。
「大丈夫そうだな」
「そ、そうなの? 結構興味なさそうな人いるけど……」
「大丈夫だよ。更紗の努力と笑顔って、そういう力があるから」
「そういう力?」
「朱音も更紗の練習、見たよな?」
「うん、見た。すごい頑張ってて、すっごく一生懸命に笑顔を作ってて。頑張れって、負けるなーって思った」
「そう、そういうところ。応援したくなる魅力が更紗にはあるんだ」
「なるほど、ね」
それがきっと、俺が更紗を支える理由なんだろう。初めは純粋に有栖川更紗を、アリスを応援したかっただけだから。もう一度出逢うまで、俺にとって更紗はただの推しだったのだから。
それを朱音にも、彩月にも。ここにいる全員にも見てほしいと、願わくば更紗のことを認めてやってほしいと思うことしか俺にはできなかった。
『本当はもうちょっと話してたいんですけど、そうもいかないので。早速、いきます!』
音響についてはオーナーと彩月に任せきりになってしまっているのは申し訳ないが、できれば俺は更紗が見える位置で、かつすぐに手助けに行ける位置にいたいのだ。
彩月たちが曲を流す。
『アイドルに興味ないって人も、よかったら聴いてやってください!』
その更紗の声に少しは興味を持ったらしい観客が、更紗を見た。ぎこちなくも、それでも見る人を魅了する笑顔に興味をなさそうにしていた人も、次第に更紗に視線を集中させるようになっていった。
曲に合わせてステップを踏み、フロア全体に視線を送る。
基本的にアリシアの曲には隙間がない。それでも動きを止めることなく、それどころか本来は
たった一曲でも慣れない部分を、それも必ずメインで立つことができるようにずっと激しく動き続けなければならない。当然ながら疲労も溜まるし、息だって続かない。
それでも更紗は笑顔を絶やすことなく歌い続けた。
「なんか、祐介に見せてもらったのと違う?」
「あれは祐奈たちがメインのパートも一人でやってるから。そもそもこの曲だけは更紗たちが作り上げた曲だからな。編曲こそされてるけど、振り付けは三人で考えたものだからこそできるんだ」
「そっか……やっぱり、すごいなぁ……」
「すごいよ、あいつは」
視線の先でとびきりの笑顔を振りまく更紗に、フロアは釘付けだ。決してただ人気のアイドルだったからというわけではなく、そのパフォーマンスに惹かれているのが外野からもわかる。
やがて、曲は終盤に差し掛かった。
更紗が今、一人でできるのはこの一曲が限界だ。体力的な問題よりも、ポジションの移動だ。いくら更紗といえども、やっていなかったパートを練習なしでやるのは不可能。
だからこそ、この一曲でフロアを最大限に魅了する必要があるのだ。
「頑張れ……」
その瞬間、ちらりと更紗がこちらを見た気がした。その視線にどきりとしていると、いつの間にか曲は終わりのワンフレーズだった。同時に、更紗が指鉄砲でフロアを撃ち抜いた。更紗がオリジナルで作った振り付けだ。
『ありがとー! 私一人なら一曲しかできないけれど、それでも! もっとすごいパフォーマンスを文化祭でしてみせますから!』
一言も『見てください』とは言わなかった。見たくなるように誘導したような発言だったが、それ以前に絶対的な自信がなければできないことだった。
ミスはなかった。笑顔こそぎこちなさが残ったが、それを十分に覆い隠せるほどのパフォーマンスだった。
「祐介! できたよっ!」
「お疲れ、ちゃんとできてた」
「うん、うん! ミスしなかった! うまくできたよ!」
「そうだな、できてた」
ぽんぽんと頭を叩く。そうしてようやく落ち着いたようで、その場でへたりこんでしまった。
「だ、大丈夫!?」
「あ……はは。大丈夫です。ちょっと力抜けただけです」
「肩貸すぞ。立てるか?」
「うん、大丈夫。ありがと」
俺の身体を頼りに、力が抜けたままゆっくり立ち上がる。体力的には大丈夫なようだが、どうやら精神的に疲れ切ってしまっているらしい。
「でも、反省点もあった。文化祭までに……ううん、ミニライブまでに直さないと」
「そうだな。でも、今日のところは終わりだ」
「ん、そだね。祐介的には何点くらいだった?」
「百点中なら、八十点くらいかな」
「残り二十点、か」
「やっぱり元々更紗のパートじゃないとちょっと差が見える」
「それはちょーっと私も思ったかも」
「じゃあ、改善しないとだね。三澤先輩もなにか気づいたところとかありました?」
「んっとね……」
ストイックと言えば聞こえはいいかもしれないが、無理のし過ぎはよくない。そう頭ではわかっていても、こうやってやる気になっている更紗を止める気にはなれなかった。
「有栖、とりあえず休みなよ」
「あ、三上。色々ありがとね」
「そう思ってるならさっさと休む。どうせまた明日から練習するんでしょ?」
「もちろん」
それでもまだ更紗は今日の反省点をぶつぶつと言い続けている。だけど、更紗はずっとそうだった。今に始まったことじゃないのだ。
だから、今は更紗の気が済むようにしようと思った。
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