40.期待すること

「ミニライブ?」

「そうだ。彩月が見つけてくれた」

「三上が? なんでまた……」

「また、手伝ってくれるってさ」

「……そっかぁ。じゃあ、尚更下手なパフォーマンスできないや」


 そう言って笑った更紗の表情は、ややぎこちない。

 当たり前だ。派手に失敗した後なのだから、笑顔で向き合うなんて出来るはずがない。更紗は弱いのだ。強く振舞っているだけで、本当は誰かがいないと駄目なのだ。


「俺が見てるから」

「……ん、ちょっとできる気したよ。ありがと」

「……笑えそうか?」

「あははっ、私はアイドルだよ? 笑えないアイドルなんて、そんなのアイドルじゃないから」

「そっか」

「だから、ちょっと付き合って」

「任せろ。なにするんだ?」

「今からすることは表情を緩ませるためだから。決して下心なんてありません」

「う、うん?」


 すると更紗は顔を近づけてきて、唇を重ねてきた。あまりの唐突な出来事に思考が停止しかけたが、必死に更紗の顔を確認する。照れながらも、その表情はしっかり緩んでいた。


「ど、どう……?」

「……甘いな」

「そういう感想はいいんだけど!?」

「ちゃんと緩んでたよ。笑えてたって言えるのかはわからないけど」

「それは笑えてるとは言わないかな。ただ気が抜けてるだけだと思う」

「それじゃ駄目だよなぁ……」

「というか、本番前にキスすんのもどうかと思うし」

「気づくのが遅い」


 なかなかに阿呆な発想になっていたことに気づいた更紗は、また照れたような表情で俯いた。やはりその表情はどこか緩んでいて、楽しげに見える。


「って、こんなことで遊んでる暇ないんだって。いや私がやり始めたんだけど」

「とりあえず今は笑うことよりパフォーマンスだよな」

「うん。でも、原因はなんとなくわかってるんだ」

「だろうな」


 おそらく更紗は、単に一人でステージに立つのが怖いのだ。それは更紗の気持ちの問題というよりは、アリシアというグループではない、アリスではなく有栖川更紗としてステージに立たなければならないという恐怖。

 以前の俺が思っていたよりもずっと人間らしい理由で、その解決策を見出すのは容易なことでもない。


「とりあえず、そのステージを見に行きたいかな」






 正確な場所を彩月に教えてもらい、更紗と一緒にその場所を探した。なんでも、知る人ぞ知る隠れ家的な扱いをされている店で、有名アーティストがたまにライブをすると一部の人の間では有名らしい。

 なのだが、その知名度で未だに隠れ家として扱われるくらいには見つけにくい場所と入口で、探すのに少しばかり苦労をした。


「あのー」

「……なんだ?」


 中にいたのは見るからに強面な人だった。なんとなくここが隠れ家とされる理由がわかったような気がした。

 更紗は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、見た目で判断するのはいけないと思ったのか今の更紗ができる最大の笑顔を作りながら話しかけた。


「有栖川更紗です。ミニライブの欠員の代わりを探してると聞いて」

「有栖川……アリシアの嬢ちゃんか。こりゃまたすごいところから来たな」

「あの、オーナーさんとかっていらっしゃいますかね?」

「俺だ」

「えっ」


 オーナーだった強面な見た目な人は、その場に三つの椅子を並べてくれた。そのうちの一つに腰掛け、俺と更紗にも座るように促してくれる。


「それで、お前はなんだ?」

「俺は、えーっと……なんと言いますか」

「メンタルケアをしてもらってるんです」

「メンタルケア?」

「アリシアが解散した理由は、更紗が笑えなくなったからなんです」


 それからざっとアリシア解散の経緯と今までを話すと、オーナーは感慨深い様子で唸っている。なんとも複雑な表情だ。


「大変だったんだな」

「えっ? ま、まあ……」

「けどな、それとこれとは話が別だ。笑えなくて、ダンスもミスるっつうんなら尚更な。代役やるっつってもあいつも大物だ。それ目当てに来るやつらもいる」

「じゃあ……」

「嬢ちゃんは、ここで踊りきる覚悟はあるか?」


 それは、更紗には酷な質問だっただろう。踊りたくても足が竦んでしまい、自分が見せたいステージを作ることができない。そして、この質問はそのすべてをできると答える必要があった。

 それでも更紗は揺るがない眼差しでオーナーを見つめて、自分の答えを出した。


「やります」


 たった一言だけ。そこに長々とした言葉は必要なかった。


「そうか。その目を見て安心した、まだ折れてねぇな。じゃあまあ、しばらくここで練習していけ。文化祭を成功させるためにな」

「えっ?」


 どうも言葉が引っかかった。ミニライブの代役としての成功ではなく、文化祭のために練習をしろと言ったからだろう。


「ステージ、見てきても?」

「好きに使え」

「ありがとうございます。祐介、行……」

「悪い、こいつとはちょっと話がしたくてな。嬢ちゃん一人で頼む」

「えっ……はい、わかりましたけど……」

「安心してくれ、取って食おうってわけじゃねぇよ。ただ嬢ちゃんのことを聞くだけだ」

「そうですか、ならよかったです」


 俺のことは心配できるのに自分の話をされるということの心配は全くしない更紗がおかしかったのか、オーナーは吹き出して笑っていた。

 更紗がステージの方に向かったのを確認してから、オーナーは更紗を見つめたまま口を開いた。


「嬢ちゃんのメンタルケア、ありゃ半分嘘だろ」

「……まあ、バレますよね」

「当たり前だ。逆にただの彼氏彼女じゃねぇってのもすぐにわかる話だけどな」

「それは、まあ」


 半分嘘、という表現は間違いなく適切なものだろう。メンタルケアと呼べるものかどうかは微妙なところだが、今の更紗があるのは俺のおかげだという更紗たちの言葉を疑うつもりはない。もちろん、なんでもない恋人関係というわけではもちろんないだろう。


「嬢ちゃんが笑おうとしてるのは、お前のおかげってことか」

「一応はそんなところですかね。更紗なら、一人でも手を差し伸べてくれる人はいたかもしれませんが」

「それがお前だったから、有栖川更紗は折れなかったんだろうが。ちったぁ自信持ちやがれ」

「……まあ、そうなのかもしれませんね」


 以前祐奈にも似たようなことを言われた。更紗が壊れなかったのは俺のおかげだと。

 確かにそうだったのだろう。祐奈たちではどうすることもできなかった、知り得ることもなかった更紗に手を差し伸べられたのは俺だけだったと思う。

 だけど、頑張っているのはやはり更紗なのだ。俺が自信を持つ必要なんてない。


「そんだけ根が暗いと、嬢ちゃんに嫌われるかもしれねぇぞ?」

「それは辛いですね……」

「まあ、んなこと全部わかりきったうえでの信頼関係なんだろうけどな」

「そうなんですかね」

「そうだろうよ」


 オーナーは楽しげに笑っていて、第一印象とはかけ離れた人だと思い知らされる。


「ところで、どうして文化祭を成功させるための練習なんです?」

「ここのライブは、大したもんじゃねぇ。大物から無名まで、いろんな奴らがいる。その中じゃあの嬢ちゃんだって一人のアイドルってジャンルのただの演者にすぎねぇ。アーティストとは違うが、アイドルだって立派なパフォーマーだ」

「パフォーマー、ですか」

「アイドルなんかは典型的だろ。自分の歌とダンスで客を魅了するんだからな」


 アーティストとアイドルに明確な違いはない。ただ、逆に共通していると言える点もさして多くはない。けれど、この点においては重要で、絶対に必要な事だろう。


「そんな奴らがいる中で嬢ちゃんがなにしようが勝手だ。ここにゃ嬢ちゃんがアリスだからって来るような輩はいねぇし、そんな奴は店に入れさせねぇよ。うちの店のレビューを見てみろ、ひでぇぞ?」

「えっ」


 言われた通りに店のレビューを見ると、評価はかなりのものだった。『店に入れてもらえない』だとか『有名アーティストの無駄遣い』だとか、散々な言われようだった。

 そんな声にはものともしない様子で、オーナーはまだ更紗を見つめていた。その目はどこか親や兄のような、そんな瞳に見えた。


「だから、失敗しようがなにしようが誰も笑わねぇ。まあ気に入ったパフォーマンスじゃねぇと拍手すらしねぇ連中だけど、笑えない嬢ちゃんにはうってつけの練習場だろ?」

「でも、いいんですか? わざわざ代わりを探すくらいの状況だったんじゃ……」

「一言も代わりを探してたなんて言ってねぇよ。ただ、嬢ちゃんの友達が必死な顔して『友達にライブさせてやってほしい』って言ってきたんだから、聞いてやらねぇわけにはいかんだろ。これは大人の仕事だ」

「そんなことが……」


 きっと彩月は更紗に対しての罪滅ぼしとしか思っていないのだろう。だが、たとえ親友だったとしてもここまでのことをしてやることは、普通はできない。それをやってしまえるのは、更紗が既に彩月を魅了しているからなのかもしれない。

 ステージを一通り見て回ったらしい更紗は、心配そうな表情のまま戻ってきた。


「あの……お話、終わりました?」

「ああ、終わったよ。嬢ちゃん、最後に一個だけ言っとくぞ」


 真剣な眼差しで、どこか威厳のある話し方でそんなことを言われて、更紗だけでなく俺も姿勢を正す。


「何回でも失敗しろ。そんで、笑え。それでいい」

「……はい!」


 まだ人前ではぎこちない笑顔だけれど、そんな更紗の最大の笑顔を見たオーナーは満足そうに俺の背中を叩いた。

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