9.泊まらせて
この頃、やはり有栖川の様子はおかしかった。が、今日はいつにも増して機嫌が悪い。というか、今日は休日なのだが。
「どうした? 遊びに行く……」
「泊めて」
口調がいつもよりも強い。余程のことがあったのかもしれない。
「……事情はとりあえず後回しにして、無理だ。両親がいない」
「祐介なら大丈夫だって信じてる」
「ああ、そこは安心してくれて構わない。俺に手を出したりする勇気はないからな」
「……あっそ」
有栖川が若干不服そうなのが少し気になったが、そこはあえてスルーする。
「でも、それならなんで?」
「兄さんがいる」
「それも駄目なの?」
「ああ、いや……」
兄さんはアリシアの熱狂的オタクである。普段は温厚で話しやすい人ではあるのだが、アリシアの、特に祐奈さんの話になると止まらなくなる。祐奈さんではないにしろ、有栖川はアリシアのメンバーだ。兄さんもテンションが上がってしまうだろう。
「まあ、とりあえず話だけは聞くからあがってくれ。静かにな」
「う、うん。わかった」
ただ静かに家に入れと言っただけで、ものすごく真剣な表情になったことに思わず吹き出しそうになる。
とりあえず俺の部屋に案内することにして、有栖川を招き入れる。当の本人はガチガチである。
「なんだったんだ?」
「あー宗教勧誘」
「おお、今どきあるんだな」
ごんっ!
背後で鈍い音がする。見ると、有栖川が口元を抑えて微かに震えていた。
「大丈夫か?」
鈍い音は兄さんにも聞こえていたらしく、心配の声をかけてくれる。
「足ちょっとぶつけただけだから大丈夫だ」
「そっか。痛くなったら言えよ?」
「おう」
この辺は、ただの面倒見のいい兄だ。実際、兄さんは朱音にもかなりの好印象を持たれているらしい。
部屋にたどり着き、有栖川に適当に座るように促す。
「ふふ……宗教勧誘って……」
「おい」
そんな笑いをこらえるような表情を見て、一つの案が思いつく。決して俺がその遊びをしたい訳では無い。
「セクハラ紛いのことしてもいいか?」
「……なにするの?」
「変……ではあるが、変なことはしない」
「……変なとこ触ったらお兄さん呼ぶから」
「構わない。腕、あげて」
指示した通りに腕をあげてくれる。若干疑うような視線を向けてくるが、それでも言った通りにしてくれるのは俺の事を多少は信頼してくれているからだろう。
腕をあげたことで無防備になった脇腹や脇を、全力でくすぐる。許可が無ければ、ただのセクハラだ。
「ひぅ! あはっ、ちょ、まって、ふふっ」
「うーん……」
やはり、引き攣っている。
若干の名残惜しさを胸に、俺は有栖川の体から手を引く。
「はぁ……どう……?」
「引き攣ってた」
「駄目かぁ……まあ、そうだよね」
くすぐった意味は理解してくれたようで、残念そうな顔をしている。そもそも、こんな方法で治るくらいなら有栖川は一年も苦しんでないだろう。
「祐、ちょっとうるさ……い……」
「あ……」
おそらく、有栖川の悲鳴を聞いてだろう。兄さんが部屋に入ってきて、有栖川と目を見合わせる。
とりあえず有栖川を抱えあげて三歩分程後ろへ下げ、俺は兄さんと有栖川の間に立つ。
「すまん、静かにする」
「……そっか。最近祐が楽しそうだと思ったら、こういうことかぁ」
「おい、とりあえず出ていけ」
「そっかぁ、アリス似の可愛らしい子が彼女かぁ」
「違うから出ていけ」
「あ、あの。いつも祐介……さん、にはお世話になっています」
「うんうん、こちらこそいつも迷惑をかけてるだろうけど、ありがとう」
「……はぁ……」
想定していた方向とは全く違うが、めんどくさい方向へと話が向かっていく。とりあえず、有栖川がアリスということには気づいてないらしい。
「まあもうどうでもいいか。こいつ、泊めるけどいい?」
「えっ?」
「構わないよ。一応、母さんたちに……って、帰ってこないんだっけ」
「ち、ちょっと待ってよ。いいの?」
「俺も兄さんもいいって言ってるんだから、後はお前が良ければ」
「私は願ったり叶ったりだけど……」
「じゃあいいだろ」
「う、うん」
「じゃあ、荷物の整理とかは祐が手伝ってあげろよ? 僕は下にいるから」
「わかった」
兄さんは部屋から出ていったので、自室には俺と有栖川の二人だけになった。とりあえず、一つずつ疑問を潰していこう。
「なんで急に泊まりに来た?」
「……お母さんと揉めた」
「なるほどな。それなら仕方ない。落ち着くまでうちにいろ」
「えっ」
揉めてしまったなら、どちらが悪い云々ではなく落ち着くまでは顔を合わせたくないものだ。それに、俺には有栖川の家庭事情に深く突っ込む権利はない。
「聞かないんだ」
「知りたいけど、言いたくないだろ」
「別に。むしろ、祐介にはちゃんと聞いてほしいかも」
「それなら聞く」
「……いや、まあ。ただ引き攣ってるのが怖いって言われただけなんだけどね。それでも、せっかく祐介が私の為に頑張ってくれたのになって……」
「……そうか」
責任は俺にもある。というか、責任の大半は俺にあるだろう。対して知識も持たずに有栖川を治そうなんて言って。実際のところは、ただ有栖川といるのが心地よくて楽だから、という身勝手な理由だ。我ながら酷い男だ。
「わかってるんだけどね、私が悪いって」
「お前は悪くない」
「あはは、祐介ならそう言うと思ってた。ありがとね」
当然だ、俺が悪いんだから。しかし、ここで俺が悪かったと言ってしまえば、きっと有栖川のことだから気を遣うんだろう。だから黙っておく。
そうしてしばらく談笑していると、有栖川は突然立ち上がる。
「荷物とかどこ置いたらいい? ていうか、私はどこにいればいい?」
「あー……」
両親は共に勝手に部屋に入られることを嫌う。兄さんの部屋という手もあるが、有栖川にある事ない事吹き込まれるのは厄介だ。となると……
「まあ、俺の部屋だよな」
「えっ」
「安心しろ、俺は別のとこにいるから」
「えっ……」
「なんだよ」
「……ううん、なんでも」
心做しか有栖川は不機嫌だ。笑顔がないからか、有栖川の表情はときどきよくわからない。
「ああ、それで。荷物は何を持ってきてる?」
「えっと……一日分の着替えと学校で必要なものは一式あるね。あと、眼鏡」
「眼鏡かけるのか」
「うん」
有栖川は持ってきていた鞄から眼鏡ケースを取り出して、眼鏡をかける。なるほど、こういうキャラクターがいてもおかしくないくらいに可愛い。
「どう?」
「いいと思うけど。可愛いぞ」
「……そっか。ねぇ、いつもとどっちがいい?」
「いつもと……」
若干食い気味に尋ねられた質問に、俺は少し迷ってしまう。たしかに、普段とは違うギャップも可愛いが、そもそも有栖川は可愛い方だ。それに、そもそも俺が好きなのは有栖川ではなくアリスだ。断じて有栖川ではない。つまり、結論としては眼鏡をかけていない、普段の有栖川だ。
「わかった、いつもの方にしとく」
「声に出てた?」
「ううん、なんとなく」
「そっか」
なんだか心を読まれているようでこそばゆいが、有栖川が俺の事をわかってくれるというのは少しだけ嬉しい。同時に、俺は有栖川の事がほとんどわからないのが辛い。
「落ち着かなかったら何日か泊まっていけよ?」
「……ほんとにいいの?」
「いい。親もしばらく帰ってこないしな」
たしか、両親共にしばらく仕事が忙しいそうだ。その間くらいは泊めていても問題はないだろう。
「……えへっ、ありがとね」
「おう」
楽しそうに顔を引き攣らせている。これは有栖川の最大の努力で、最高の笑顔なんだろう。だから、本当に喜んでいてくれていることくらいはわかる。
「昼飯作るか」
「祐介が作るの?」
「そうだな、今日は俺だ」
「手伝う。何もしないで泊めてもらうのも悪いから」
「助かる」
一年前、アリシアは解散した。僕も酷く悲しんでしまったけれど、それでも祐よりはマシだった。
弟の祐介は、アリス……アリシアのメンバーである一人に会えなくなることを悲しんで、閉ざして、ついには一番の仲良しだった朱音ちゃん以外とは話すらしないようになった。それこそ、僕や両親ともなかなか話さなかったくらいには。
それでも、そんな祐が今は笑えている。最近は楽しそうにしている。僕はずっと、朱音ちゃんのおかげかと思っていたのだけど、それは違ったらしい。
有栖川更紗。どうして祐と一緒にいるのかも、どこで出会ったのかもわからない。それでも、今の祐が楽しそうにしているのは彼女のおかげなんだろう。
「あり……えっと、彼女さん」
「か、彼女!?」
「ああ、えっと……なんでもいいや。これからも、祐をよろしく」
「は、はぁ……? 分かりました……?」
祐がどうだったのか、そんなことは知らないだろうし、知らなくていい。ただ彼女には、祐のそばに居てくれればいい。本当はいろいろと聞きたいところだけど、今は大切な弟に譲るとしよう。
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