2.涙は流せるから

 有栖川と出会って数日、結局やり取りはメッセージでしかしていない。

 しかし今日は、有栖川に教室で待っていてほしいと言われていたので、待つことにした。何故か事情を何も話していないが朱音も待っていてくれてる。


「最近ちょっと楽しそうにしてるよね。なんかあった?」

「まあな」

「ふーん。そのメッセージの相手の女の子?」

「……おい待て、なんで俺が今メッセージを送信してることとそれが女子だとわかる?」

「祐介って別にゲームとかしてないし、口癖のように彼女欲しいって言ってるからそうかなって。残念、あと半年彼女出来なかったら付き合ってあげようと思ってたのに」

「嘘つけ」

「嘘だけど」


 朱音と俺はそんな関係には多分なれない。もちろん、俺は朱音を好ましく思っているし、そうでなければわざわざ高校になっても関係を保ったりはしないだろう。しかし、それとこれとは話がだいぶ違う。

 ぴちゃぴちゃ。水が滴り落ちる音が聞こえる。水?

 そういえば有栖川のIDを貰ったあの日、彼女はずぶ濡れだった。


「祐介」

「ん?」

「あれ、アリスじゃない?」

「ああ……」


 廊下には、以前と同様にずぶ濡れになった有栖川が立っていた。まだいじめは続いてるらしい。


「うちの学校来てるってマジだったんだ。行かなくていいの?」

「向こうから来るからいい」


 案の定、有栖川は俺のところまで迷わずに歩いてきた。


「大丈夫か?」

「うん。学校やめたい」


 とりあえず、持ち合わせていたタオルで頭を拭いてやる。モロに水をかぶったみたいで、小柄な体格に対して少し長めの髪は、タオルが水で重くなるまで拭いてもまだだいぶ濡れている。


「それもいいかもな。一緒にやめるか?」

「なんで一緒にやめるのかはわかんないけど。私は笑えないだけで涙も出るし苦しい顔もするのにさ、笑わないのは演技だって。笑えるよね。いや笑えないんだけどさ」

「自虐ネタは面白くないぞ」

「ごめん」


 バツが悪そうに露骨に目を逸らす。俺は他人を助ける正義感溢れた人間でもないけど、だからといって他人の不幸を笑うような人間ではない。少なくとも、俺自身はそう思って生きている。


「えっ、ちょっと待って私にもわかるように説明して欲しい。なんで祐介がアリスと仲良さげに話してんの?」

「彼女?ㅤいたんだ?」

「違う。朱音、こいつは有栖川更紗だ」

「うん知ってる。見ればわかる。中学の時力説してたよね」

「それはアリシアのアリスについてな。こいつは有栖川更紗だ」

「うーん……なに、言葉遊び?」

「違う」


 そもそも、有栖川とアリスではなかなかキャラクター性が違う。有栖川は全体的に暗い性格なように見える。こんな状況なら仕方ないが。


「難しいけど、君は有栖川更紗なんだ。わかった」

「そうです。あなたは……」

「三澤朱音」

「三澤先輩」

「可愛い子に先輩って呼ばれると気分上がるね。テニス部来ない?」

「行きません」

「即答だね」

「当然です」


 実は女テニの副キャプテンである朱音からの勧誘は、いとも簡単に打ち砕かれた。ちなみに、今は男テニの試合の関係で練習場所がかなり制限されているらしい。

 一連の話を朱音にすると、朱音はなんとも言えない表情になる。


「そもそもなんで有栖川ちゃんがいじめられなきゃなんないのかもわかんない」

「キャピキャピ笑ってテレビに出てる人見るとどう思います?」

「青春してそうだなと思う」

「うーん……?ㅤまあいいです。そんな子が急に笑わなくなったらどう思います?」

「めちゃくちゃ怖いと思う」

「そういうことです」

「うん?」


 全く言いたいことがわからないという表情で、朱音は俺へ「ヘルプ!」と視線を送ってくる。


「有栖川はとあるトラブルで、笑うことだけができなくなった」

「……なるほど?」

「でも、構いませんよ。そのうち慣れますし、祐介も支えてくれるから」

「俺が支えられるかは保証しかねる」

「話聞いてくれるだけで満足だから」

「ならよかった」

「待って待って。慣れたら駄目だから」


 朱音の意見は尤もなものだ。当然、いじめられる環境に慣れるなんてよくない。が、有栖川を擁護することで朱音に飛び火が散ることだってありえるんだ。きっと、有栖川はそれをわかっている。


「不特定多数のファンより、たった数人の友人の方が大切な事に気付いたから大丈夫ですよ。ね、祐介」

「そこで話を振られてもなぁ」

「なんか、ほんとにごめんね。力になってあげられなくて……」

「お気になさらず。他人を陥れることしか脳のない人間はいつか自分が痛い目を見ることを知らないだけだと思ってますので」


 どこかの統計で見たが、いじめの少ない学校というのは基本的には高偏差値の学校ばかりだ。いじめと呼ぶのかわからないものも中にはあるだろうが、学力の高い人間は自分をしっかり持っているため他人と自分の違いを気にしないとか。そう考えると、元アイドルという他とは違いすぎる有栖川がいじめられる対象になるのはいかにもというべきか。いや、そんなことで有栖川がいじめられるのは非常に遺憾だ。


「まあそうだな。俺が一年のフロアで暴れるか」

「やめてよ恥ずかしい。私の知り合いがおかしい人ばっかりだと思われるから。いやおかしい人ばっかりか……」

「大丈夫だ。この学校で関わりのあるやつなんか朱音かお前くらいだし、おかしいと思われても問題ない」

「……悲しい人間だね。私も似たようなもんだけど」

「とにかく、服着替えたら?ㅤウェアなら貸すけど」

「ありがとうございます。祐介、袋持ってる?」

「はい。着替え終わったら呼べ」

「見なくていいんだ?」

「見るか馬鹿」


 興味がないと言えば嘘になるが、さすがに堂々と見れるほどの精神力は持ち合わせていない。なにより、朱音からの信用を失えば俺は友達が一人もいなくなる。我ながら悲しい人間関係だな。

 しばらく待つと、有栖川から声をかけられる。髪もある程度は拭いているが、当然湿ってはいる。


「後日返します」

「うん。じゃ、帰ろっか」

「まだ練習できないのか?」

「来週からだね。また祐介一人になるかと心配してたけど、有栖川ちゃんいるなら安心だね」

「なにが」

「ぼっちにならずに済むね」

「私がいるとぼっちアンドいじめられっ子のハブられ者コンビになりますね」

「いいんじゃないか?」

「いや全くよくないから」






 朱音と別れ、公園に立ち寄って有栖川から話を聞くことにした。ブランコに揺られる有栖川は幼い子どものように見えないこともない。


「先生には?」

「やられるのってだいたい放課後だし、あいつら白々しいからね。ちゃんと取り合ってもらえない」

「まあ、そうなるよな」

「あ、やめてよほんと変なことするの。警察沙汰とか嫌だから。家族にも内緒にしてるんだし」

「わかったよ。けどな……」

「うん」

「自殺とかだけはすんなよ。辛くてもちゃんと生きていて欲しい」

「……うん。ありがと」


 まだ出会って数日、というか実際は三年ほど前から知ってるのだが、それでも俺は有栖川の良いところをいくつかは知っている。だからこそ、こんな状況を乗り越えてほしい。そう思うことしかできない自分が弱くて情けなくてイライラする。


「祐介って、なんか暗いのに良い奴だよね」

「暗いのには余計だ」

「ライブに来てた時はもっとイキイキしてたよ」

「あれは……忘れてくれると助かる」

「無理かな」


 声色は楽しそうなので、気分転換くらいにはなっているのかもしれない。と、思っていたのだが、突然有栖川は泣き出してしまった。


「おかしいな……楽しいはずなのに……」

「泣きたい時は泣けばいいって、いろんな人が言ってるぞ」

「なんで……涙は流せるんだろうね……」

「さあな」

「胸……貸して……」

「おう」


 有栖川は俺の服に顔を埋めて、若干嗚咽混じりに涙を流す。俺は、なんでこんなにも情けないんだ。

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