30.見えていた世界

 更紗は毎日のように体育館の空き時間で練習をし続けた。朱音や彩月が来れない日も、二人だけでやり続けた。

 今日は息抜き、というわけではなく、閉園したとある遊園地へ来ていた。更紗たっての希望で。


「変わらないなぁ……なんで閉園しちゃったんだろ」

「近くにでかい遊園地できたからだろうな……俺もちょっと残念」


 ここは、アリシアが初めてステージに立った場所。そして俺が有栖川更紗ことアリスに初めて出会った場所だ。

 廃れてしまった、当然ながら活気も何も無い遊園地。もうこのジェットコースターたちが動くことは無いと思うと、少しだけ寂しい気分になる。


「あの頃はまだまだなんにも出来なくて。煽ってるのかと思ったよ」

「心からの拍手のつもりだったんだけどな……」

「今はちゃんとわかってるから」


 あのときも、更紗は努力を絶やさなかった。

 当時はただの一介のファンでしかなかったけれど、今でこそ十分に理解できる。更紗の努力は決して半端なものではなく、人を動かすのに、魅了するのには十分すぎるほどの努力だということが。

 ここに来たときはアリスのことで頭がいっぱいだったから忘れていたが、それなりに施設は揃っている。その全てはもう動かなくなってしまっているが。


「そういえば、よく入れてもらえたよな。管理人さんとかいたのか?」

「連絡とったよ。ステージ借りたときは私が責任者だったんだ」

「マジか」


 祐奈がリーダーをしていたものだと思っていたので、管理を更紗がしていたというのは意外だった。わりとなんでもある程度はできることは知っているが、将来面倒なことを全て押し付けられそうで少し心配だ。それを優しさで全て引き受けてしまいそうなことも。


「なんか乗れるのあるかなー」

「閉園したのだいぶ前だぞ。それに多分、アトラクションの電源入れてない」

「さすがに無理か。じゃあ、本題終わらせて帰ろっか」


 ここへ来た意味。それは極端に言えば、ただ思い出の場所に来ただけだ。だが、この場所でアリスとしての有栖川更紗が、アリシアが始まったという事実がある。

 もう一度、最初からやり直すために戻ってきたという表現が的確だろう。


「私、可愛い?」

「微妙」

「そっか」


 更紗は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「今、すげー可愛い」

「知ってる」


 これが有栖川更紗なのだ。

 笑えなくても、自分も大好きな笑顔を作る。

 彩月たちとの関係が変わった今はきっと、笑えようが笑えまいが更紗本人はそれほど問題ないはずなのだ。彼女アリスは、アリシアはもういないのだから。

 むしろ、笑いたくないと思っていても不思議ではない。彼女が笑えなくなった理由を考えれば、笑顔を捨てたいと感じてもおかしくはないのだ。


「祐介?」

「なんでもない」


 無理はしてほしくないけど、そんなことを言っても多分無駄なのだ。

 だから俺はできることをする。更紗を支えていくことしか、今はできないから。


「ステージ、懐かしいね」


 いつの間にか着いていた場所は、アリシアの初めて立ったステージだった。普段はヒーローショーなんかが行われていた場所のようで、装置なんかは撤去されているものの装飾はそのまま残されている。


「ラジカセとかあるかな」

「踊るのか?」

「踊る。あ、祐介はもうちょっとそっちで……」

「ここだな。だいたい覚えてる」

「さっすが。で、私がここで、祐奈がこう。花蓮はこっちで……」


 ステージの上を駆け回る更紗は、まぎれもなく笑顔だった。

 友人として、仲間として。本当の意味で支え合うことのできていたアリシアは、更紗にとっては唯一とも言える居場所だったのだろう。

 その代わりを今は俺がやるんだなと、ふと実感する。大層な役割ではない。ただ傍にいるだけ。ただそれだけが彼女の支えになるのだから。


「あ、聞いてなかったでしょ」

「ごめん、ちょっと考え事してて」

「考え事? どうしたの?」

「いや、なんでもない。さてと、ちょっとだけ練習しとくか」

「えー、ここで?」


 えー、なんていいつつも音源の準備はできているようだ。当の本人もただお遊びで踊ると言ったわけではないようで、俺に言われずともその準備は整っていたらしい。


「衣装、記念でここに置かせてもらってるんだった」


 大量の鍵は、おそらくこの遊園地のものだろう。果たしてそんなものをただの高校生である更紗に渡していいものなのかは甚だ疑問ではあるが、それは更紗が信用されているということで置いておこう。

 衣装は綺麗に包装されたままで、埃が被っているなんてことも無い。


「ああ、いたいた」

「……どなたですか?」

「ここの管理人ですよ。いや、そっちのアイドルの子は変わりないみたいで」


 楽しそうに衣装を開封する更紗を見て、そんな声を漏らす。

 違う。変わりないなんて嘘だ。

 更紗の笑顔には、まだぎこちなさが残っている。ずっと一緒にいる俺だからそれが心からの笑顔だと確信が持てるが、関わりの薄いここの管理人がわかるとは思えない。


「年甲斐もなく、あの子らのことは可愛いと思いましてね。彼氏さんの前でこういうこと言うことじゃあないかもしれませんが」

「か、彼氏じゃないですけど……」


 咄嗟に否定してしまった。情けない話だとは思うが、今はまだこれで許して欲しい。


「祐介ー……あ、管理人さん。鍵とかありがとうございます!」

「いいんですよ、ここはもう誰も来ませんから。あ、そうだ。他の二人の衣装も持って行ってあげてください。そのまま置いておくのは可哀想ですから」


 せっせと荷物を運び出す管理人から衣装を受け取り、念の為に持ってきていた袋に入れる。


「着替えてくる」


 舞台袖へと向かった更紗は、すぐに視界から消える。


「よかったんですか? 俺たちをここに入れても」

「構いませんよ、どうせしばらくしたら更地になる遊園地です。唯一心残りだった衣装のことも解決できましたからねぇ」

「……そう、ですか」


 この人はきっと本当にアリシアが好きなんだろう。どれだけの人がアリシアに惹かれていたかはよく知っているから。

 だからこそ、この管理人がもうアリシアを見られないと確信してしまっていることがほんの少しだけ悲しかった。寂しかったという方が正しいのかもしれないが。

 そうだ、アリシアは終わっている。解散したグループがもう一度なんて物語は奇跡に等しい。


「えっと、準備できたけど……お客さんは二人でいいかな?」

「おや、こんなおっさんも見ていいんですか?」

「もちろんです。むしろ見て行ってください」


 じゃあ、と管理人は二つのパイプ椅子を持ってきて、そして片方を俺の方に置いた。礼を言って腰掛け、更紗が出てくるのをじっと待つ。


「みなさん、こんにちはっ! って、二人だけですけどね!」


 不自然ながらに、精一杯の笑顔を作る。

 曲はもちろんデビュー曲。音質なんかはお世辞にも良いとは言えないけれど、なんとも懐かしい気持ちになる。


「あ……」


 ステップを踏み間違えた。どこかで見たようなミス。

 すぐに思い出すことはできた。これは初めて更紗が、アリシアがステージに立った日のミス。隣で祐奈や花蓮さんが声をかけて取り戻したのは今でも思い出すことが出来る。

 しかし、今回はそうはいかなかった。


「あ、れ……? おかしいな……練習、したのに」

「更紗、もういい。やめろ」

「大丈夫だよ……だって、祐介にも付き合ってもらって……ちゃんとできてたし……」

「あれ、止めなくていいんですか……?」

「もうやめろ、更紗」


 足元はおぼつかなくなるばかりだ。フラフラと動き回るだけの更紗の顔にはもう笑顔なんてない。

 ステージに乗り出し、動きを止めるために無理矢理更紗を抱き寄せる。


「落ち着け」

「……なんで」

「大丈夫。大丈夫だから。もう踊るな」

「なんで。なんでなんで……」


 事情が事情だけに、管理人が車を出して送ってくれることになった。

 それからも、更紗が笑うことはなかった。

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