43.最後は笑顔で終わるために

 ライブは満足のいくものだった。やはり固い笑顔だったけれど、アイドルである更紗を認めたような拍手喝采をもらうこともできた。


「帰るぞ」

「あ、うん」


 更紗は荷物をまとめながら他のアーティストの人たちと話していた。あまり遅くなっても良くないので、キリのいいタイミングを見計らって声をかけた。更紗がジェスチャーで「もうちょっと待って」と合図をしてきたので、椅子に座って周りの様子を見て待つことにする。

 この場にいるほとんどが更紗を一人のパフォーマーとして認めているようだった。連絡先なんかも交換している。


「おい」

「ああ、オーナー」

「嬢ちゃん、あんなもんじゃねぇな?」

「……さすがですね」


 その通りだ。更紗の実力はあの程度ではないし、笑顔だってもっと輝いていた。今回の更紗は前回のライブのときよりもよかったにも拘わらずそれを見抜いてしまうオーナーの実力を見てみたいが、それ以上に今はオーナーの言いたいことが聞きたかった。


「文化祭まであと何日だ?」

「一週間ほどですかね。どうしてですか?」

「いや……まあなんだ。一応知り合いにそっちの筋の奴がいるから連絡してやろうかと思ったんだが……さすがに厳しいな」

「オーナー……」


 ここで一番最初に更紗を認めてくれたのは、間違いなくこの人だ。なんでそこまでしてくれるのかはわからないが、この人がいなかったらそもそもここでライブをすることすらできなかった。


「まあ、文化祭の後でもいいから、また嬢ちゃんと一緒に来い」

「それは、またここでライブをしろ、ということですか?」

「そういうこった。次は別の曲もできるようにしとけよ。ここの客は気に入ったやつはちょっとじゃ帰しちゃくれねぇ」


 それは嬉しい話だ。ステージに立つのは俺ではなく更紗だけど、認められているのは本当に嬉しい。

 だが、不安がないわけでもない。もしかしたら、文化祭が終わってしまったら更紗はもうステージに立たないのかもしれないし、また笑えない日々に戻ってしまうのかもしれない。結局のところ、まだ未来のことなんてなにもわからないのだ。


「待たせてごめん。帰ろっか」

「おう。じゃあ、またお願いします」

「そりゃこっちの台詞だ。また頼む」


 オーナーの言葉を聞いた更紗は目を輝かせて、嬉しそうに頷いていた。

 ライブハウスを出てから、俺たちは家に帰る前に喫茶店に寄ろうかという話しになった。よく集まっていた喫茶店で、一時的に一緒に住んでいる今ではわざわざそこに行かなくてもいいので、最後に行ったのは何ヶ月か前の話だ。

 とりあえず俺の家の最寄りまでは行く必要があるので、電車に乗ることにした。


「お疲れ様」

「ん、ありがと」

「ほんと、よくやったよ。もう前と同じくらい、いや前よりもっとアイドルらしいと思う」

「褒めすぎはよくないよ」


 そんなことを言いながらも、表情は嬉しそうに見える。それは更紗自身も今回は満足がいったからだろう。


「いや、駄目だって。ミスもないわけじゃなかったんだから」

「でも、ちょっとくらい甘やかしてもいいと思うぞ?」

「そ、そうかな……?」

「ちょっとだけ、な?」

「じゃあ……うん、ちょっと気を抜こうと思います」


 にへらと笑って、更紗は俺に身を委ねてきた。それからしばらくすると寝息が聞こえてきたので、ここ数日で随分と疲れが溜まっていたのだろう。

 電車に揺られていると俺まで眠くなってきてしまうが、意識をとどめるために更紗が寄りかかっている方とは逆の手で更紗の頭を撫でる。一応で付けているウィッグがズレないように気をつけて軽く撫でていると、更紗の顔が少しだけ緩んだ気がした。

 そうこうして時間を過ごしていると、いつの間にか最寄りの駅に着いた。


「更紗」

「……ん……?」

「駅、着いたぞ」

「……んー……」


 完全に寝ぼけたままの更紗の手を引いて改札を通り、自販機で水を買って渡す。少しずつ飲んでようやく意識が覚醒したらしく、恥ずかしそうに緩んだ笑みを浮かべた。


「ごめん、寝ちゃった」

「大丈夫だ。今日はもう帰るか」

「あー、ごめん。ちょっと二人で話したいことがあるから、やっぱり行ってもいい?」

「いいけど……更紗が大丈夫なのか?」

「ん、私は大丈夫だよ」


 その表情に無理は見えなかったので、予定通りに喫茶店に行くことにした。

 更紗は途中までは楽しそうだったのだが、しばらくしてなぜか俯いて話すことも無くなってしまった。そのまま喫茶店に着いても更紗はしばらくあまり話さなかった。


「もう閉店近いみたいだな……」

「あ、うん、そうだね」

「話したいこと、あったんだろ?」

「あるんだけど……」

「話しにくいことか?」

「話しにくいってわけじゃないんだ。ただ、なんだろ。これまで祐介に助けてもらってばっかりなのに、こんなこと祐介に言っていいのかなって」

「そんなこと気にすることないから」

「……わかった」


 一度大きく深呼吸をして、口をぱくぱくさせてからもう一度深呼吸。結局三回ほどこの動作を繰り返してようやく声を発した。


「私は、もう一度アリシアのアリスに戻るよ」


 それは、俺が待っていた言葉でもあったのだろう。同時にそれはまだきちんと笑えるようになったわけではない更紗にとっては迷う決断だったはずだ。


「だから、これからも祐介には傍にいてほしい。とか言わなくてもいてくれるとは思ってるんだけど……祐介は、どうかな。私がまた、三人でステージに立つの、認めてくれる?」

「俺が認めるところなのか?」

「うん。もし祐介が無理だって思うなら、はっきり言って欲しい」

「そんなの、俺が言えると思うか?」


 結論は決まっている。

 忖度は一切ない。更紗だからこそ俺は更紗にまたアリシアでステージに立って欲しいと思った。ただそれだけだ。


「でも、なんでそれが俺に言い難いことだったんだ?」

「だから、言いにくくはなかったんだけどね……えっと、うん。これからも支えて欲しいとかなかなか身勝手でしょ?」

「更紗って、すぐそういうこと気にするよな」

「だって、祐介が良かれでやってくれるから甘えてたけど、もう恩返ししきれるような量じゃないからさ」

「気にしなくていいけど、もし恩返しがしたいなら……」

「ん、わかってる。まずは明日……だよね」


 別に更紗に見返りを求めているわけではない。それでも更紗が何かを返そうとしてくれるのであれば、俺はただ更紗の作る、俺が唯一知っているアイドルのステージを見ていたい。


「めちゃくちゃ緊張してたから、何事かと思ったよ。もしかして、もう二度とステージには立たないとか言うつもりかと思って焦った」

「真逆だったね」

「ありがとな」

「えっ、なに急に。こっちの台詞でしょ、それ」

「なんでもないよ」

「気になるから」


 『傍で見守らせてくれてありがとう』なんて、とてもじゃないが気恥ずかしくて言えなかった。

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