44.笑顔のアイドル
文化祭当日。
更紗が今日の文化祭でステージに立つことは一応一部の人しか知らない。一部と言っても俺や朱音、彩月はもちろんのこと、この間の練習用のライブで来てもらった生徒にも事情は話してあるらしいので、それなりに数は多いのだが。
今はそれよりも、クラスのものを散々サボっていたから押し付けられている現状をどうにかしないといけない。開店前のちょっとした準備ではあるのだが、一人でやるにはあまりにも数が多い。
更紗は一人でも大丈夫だろう。でも、心配なものは心配なのだ。
若干の焦りを抱えながら作業を進めていると、静かに教室の扉が開けられた。
「えっ、先輩いじめられてます?」
「やめてあげて。サボってたからその分やらされてるんだよ」
「サボり扱いされてるの笑えますね」
呆れた表情の朱音と、完全に馬鹿にしている彩月だった。
「朱音はともかく、お前はどうした」
「手伝いに来たんですよ。私は有栖も先輩も好きなんで、ちゃんとどっちも納得いってくれないとこっちがイラつきます」
「まあ、要は手伝うから来たっていうこと。ギリ祐介一人でも終わる量だから、三人いればどうにかなるでしょ」
「……後輩に手伝わせるってどうなんだ?」
「気にしないでください」
事実、この量を一人でやるとなればギリギリまでここにいる必要がある。更紗の出番は体育館割り当ての午前の部最後にあたるのだが、その午前の部そのものが更紗を含めて三組と短いのだ。体育館は部活や俺たちのように個人で申し込んで使うのだが、その間もクラスの店は回し続けないといけないからという理由で、なぜか午前だけが短い。
「てか、更紗はどうしてる」
「有栖なら、さっさとやることやって体育館に向かってましたよ」
「そっか」
ひとまずそこは安心だ。結局俺がいるいないの話は更紗の精神面に関わる話でしかないのだが、別のところで更紗が疲弊してしまっては元も子もない。
途中でミスが起こってもいけないので丁寧にしながらになってはしまうが、なるべく急いで作業を進める。元々クラスの方にも積極的に参加していた朱音はもちろん、他学年、他クラスのもので勝手がわからない彩月も手際よく進めてくれた。
そのおかげで、予定していたよりも随分と早く終わった。
「んー、お疲れ様」
「お疲れ様でしたー……って言っても、祐介先輩はこっからが本番ですかね」
「だな……悪い、助かった二人とも」
「いいって。ほら、行かなくていいの?」
「ほんとに助かった。行ってくる」
「いってら。がんばれ」
「期待してますよ!」
そんなに圧をかけられても、実際に頑張るのは更紗なのだが、そんな野暮なことは言わずに今の言葉はそのまま更紗に伝えることにしよう。
幸い、この学校は別に体育館までの距離が遠くはない。急げば一分程度で着ける位置にある。
「よっ」
体育館の入口で、聞き慣れた声に呼び止められた。
「……更紗」
「ん、そんなに急いでどうかした?」
「別に何かあったわけじゃない」
「じゃあ、単に心配してくれたんだ。ありがと」
照れくさそうに笑う更紗を見て、とりあえず安心した。
「……長いような、短いような」
「ん?」
「祐介とまた出会ってから、半年くらい。ただ一緒に過ごしたときも、文化祭でライブするって決めてからも。ずっとあっという間だった」
「そうだな……」
あの曲がり角でぶつかったときは、こんな風になるなんて思っていなかった。たった半年なのにこんなにも長い時間を過ごしたような感覚になっているのは、きっとそれほどまでにこの時間に意味があったからだ。
でも、感傷に浸るにはまだ少し早い。
そっと抱きしめてみると、更紗は驚きこそしたが拒みはしなかった。
「なになに。どうしたの」
「大丈夫だから」
「ん、んー? 話が見えないんだけど?」
「自信もってやればいいって話だ。悪い、脈絡とかなくて」
「……ん、大丈夫だよ。ありがと」
あまり長く触れていても更紗の気が抜けてしまうので離れると、更紗も満足そうに頷いた。それと同じくらいのタイミングで、軽音部のバンドの演奏が始まっていた。
実力は素人に毛が生えた程度なのだが、それでも文化祭を盛り上げるには十分の熱量と迫力だった。
二曲だけの演奏で撤収した一組目に続いて、今度は吹奏楽部だ。盛り上げるというよりはさっきのバンドの熱量を一旦冷めさせるようなゆったりとした演奏で、どこか惹き付けられる演奏だった。
そして、それもすぐに終わった。
いや、実際はそれほど短くない時間だったはずだ。それでも一瞬に感じたのは緊張していたからだ。
「なんで祐介がそんなにがちがちになってんの」
「いや、ほんとに悪い。こんなつもりじゃなかったんだけどな……」
「ま、いいんだけどさ。私もう行くね」
「ああ、行ってこい」
これ以上なにかできることは、今はない。
思えば、更紗も随分と明るくなった。彩月との関係の変化や、失っていた笑顔をだんだん取り戻していったからだろう。その変化が、今は笑顔になっている。
体育館の舞台に駆けていく更紗の背中に、迷いも不安も見えなかった。
控え室として使っている倉庫から客席の様子を窺う。
祐奈や花蓮さん、更紗の母。朱音も間に合ったらしい。
『みなさん、こんにちはっ!』
セットリストを確認していなかったのか若干会場がざわついた。
以前、更紗に聞いたことがある。更紗が学校にいるのを面白がって見に来ていたが、笑えないのが不気味ですぐに誰も来なくなったことを。
そんな更紗が笑顔で舞台に立ったのだから、驚くのも無理はないだろう。
『……あの、こんにちはー』
返事が返ってこないことが不安になった更紗がもう一度言うと、客席は少しずつだが盛り上がりを見せた。
『あ、よかった。改めまして、有栖川更紗です!』
笑顔を向けると、体育館が一瞬でステージに変わった。その熱狂はいつかのアリシアのライブを思い出させるようで、俺まで乗せられてしまいそうになる。
『えっと、午前の部最後を任せてもらったので、最高に盛り上げたいと思います! ついてきてくださいね!』
歓声と共に、いつの間にか放送室へと移動していた彩月が曲を流す。
一瞬だけ更紗と目が合った。たまたま目が合ったというよりは、こちらを見たのだろう。
「……ちゃんと、見てて」
「……当たり前だ」
か細い声だったが、確かに聞こえた。
これは更紗の全てがこもったステージだ。そんなステージで、俺が目を離すわけにはいかない。更紗のことを好きな男として、有栖川更紗の輝きに初めて拍手をあげた人間として。
ステップを踏む姿は軽やかに舞っているようで、それでいてアイドルらしさは際立っている。この数ヶ月間、ずっと傍で見守ってきたけど、それでも見入ってしまう。
もちろん、歌だって完璧だった。マイクを通す声は透き通っている、というよりは力強くも可愛らしい声だった。それでいて綺麗な声は、聴く人を魅力するには十分すぎた。
歌って踊って、ステージを端から端まで動き回って。そんな更紗を見ていたら、時間は一瞬で過ぎ去った。
拍手喝采に、更紗が大きく手を振っている。
「アンコール!」
ふと、どこかから声があがった。さっきまでの二組までにはなかった声だ。
その声は次第に広がって、会場中を支配した。
「……えーっと……」
だが、更紗が今完璧にやれるのはこの一曲だけだ。更紗のパートだけをやるなら他の曲もやれないことはないだろうが、それではやはり盛り上がりに欠けてしまう。
そんなとき、控え室の扉がそっと開けられた。
「お久! 突然だけど、ちょーっと更紗の方見ててもらっていいかな?」
「見たら二度と更紗の裸体を見れないようにしますからね」
「祐奈に花蓮さん!?」
「更紗、これしかできないんでしょ」
「そ、そうだけど……どうするつもりだ?」
「決まってるでしょう」
「『star shine』は、私たちの曲だよ」
「……いいのか?」
「いろんなところに内緒ね」
そう言って、祐奈はせっせと着替え始めてしまった。当然見るわけにもいかないので言われた通りに更紗の方を見る。
更紗も助けを求めるようにこっちを見ていたので、間を繋ぐようになんとか伝える。
『え、えーっと……ありがとうございます! 実は今日、私一人だけなんでちょっと緊張してたんですけど……』
どうやら、トークで繋ぐつもりらしい。
「祐介さん、変なとこない?」
「多分……」
「祐奈、私は大丈夫?」
「多分」
「多分ばっかりじゃない……まあいいわ、この際だからもうこれで行くしかないでしょ」
「なんかごめん……」
「鬱陶しいので謝らないでください」
「なんでまだ俺こんなに嫌われてんの」
いまいち理由はわからなかったが、今はそれは置いておくとしよう。
「じゃあまあ、頼んだ」
「うん、行ってくるね」
「はぁ……行ってきます」
笑顔かつハイテンションで走っていった祐奈と、心做しかどこか晴れやかな表情をした花蓮さん。そして、ステージでトークを続けていた更紗。
アリシアが、ほんの一瞬だけ帰ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます