6.もう一度、笑顔が見たいから

 有栖川更紗と出会って、かれこれ数ヶ月がたったわけだ。夏と呼べるような陽気になり、特に何事もなく平凡に過ごしていた。良くも悪くも、というわけなのだが。

 やはり、有栖川の表現が笑顔になることはない。俺は彼女の笑顔はきっと好きだ。アリスとしての笑顔しか知らないけれど、それでもきっと彼女の笑顔は俺に元気をくれるはずだ。

 そう思って、いろんなことを調べた。既に早い人は来年に向けて受験勉強なんかも始めているが、俺にとっては有栖川の方が大切なんだ。


「なんか祐介、最近忙しそう。なんか手伝おっか?」

「いやいいよ。大丈夫だから」


 そのせいで有栖川や朱音にも心配をかけてしまっているらしい。少し申し訳ない気もしながら、しかしもう一度有栖川の笑顔を見るためだと割り切る。


「有栖川」

「どうしたの?」

「顔、触ってもいいか?」

「……はぁ!?」


 露骨に距離を取られる。決して卑猥なことをしようだとか、そういうことじゃないと目で訴えかけてみる。


「……うぅ……なに、なんなの。なにするの?」

「触る」

「言い方の問題だって……いいけど……はい」


 そういうと、有栖川は顔を突き出してくる。一応、筋肉の状態とかは把握している。リハビリなんかを行っているわけでもないらしいので、固まっている、なんて可能性を考えていたのだが。


「……柔らかいよな」

「な、なに!?ㅤ文句あるの!?」

「ない。そういうことじゃなくてだ」

「え、えっと……なに、なんなの。すっごい恥ずかしいんだけど、これ」

「ごめん、なんでもなかった」

「うぅ……変にモヤモヤするから教えてほしいんだけど……」

「筋肉が固まってて笑えないとか、そういうのかなって思って」

「ああ、そういうこと……って、筋肉なんて触ってもわからないんじゃないの?」

「わからないかもな。結局無駄になったわけだ」

「私の羞恥を返して欲しい……」


 そんなことを言いながらも、有栖川は俺の隣に並ぶ。顔は真っ赤だが、一応気持ちはわかってくれたらしい。


「やっぱり、祐介は私が笑ってた方がいい?」

「そりゃまあ、その方がいいな」

「……そっか。やっぱり祐介が好きなのはアリスなんだ」

「どういうことだ?」

「なんでもない。帰ろ!」

「お、おう……?」


 妙に明るい声に若干の違和感を覚えたが、その表情からはなにも読み取れないので諦めて帰ることにした。

 それからもしばらく調べてみたり、有栖川を観察したりしているのだがまったくなにもわからない。そもそも、俺がわかるくらいなら有栖川は困っていないんじゃないだろうか、なんて本来最初に持つべき疑問が生まれる。

 そんなことを繰り返していると、だんだんと脳が疲弊していく。考えるのが嫌になる。それに気づいているのか、有栖川は励ましの言葉をくれる。


「私はこのままでもいいよ」

「なんでだよ?」

「このままでもわかってくれる人はわかってくれるし。それに、このままでも祐介は有栖川更紗を大事にしてくれて、毎日楽しいし」

「楽しい?」

「楽しいよ?」


 楽しい。そんなことを考えたこともなかった。だって彼女は無表情だから。ただ自分が気づいていなかっただけなのに、それなのに俺は、有栖川に最低な言葉を投げてしまう。


「なら、もっと楽しそうにしろよ」


 わかっていたはずだ。こんな言葉を投げかけられて誰が一番苦しむのかなんて。こんな言葉に全く意味の無いことなんて。

 なんで自分でもこんなことが言えてしまったのかがわからない。有栖川の顔が見れない。


「……ごめん、今日はちょっと別れて帰ろ」

「……ああ」


 有栖川の顔を見るのが怖くて、俺は俯いたまま適当な返事をした。してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る