27.たまに休息、それくらいでいい
更紗の練習は続いた。俺も朱音の試合を見に行ったりと何度か抜けることはあったが、大抵の日は練習に付き合うようにはしていた。
着実に動きはよくなっている。そして、笑顔も完璧では無いもののある程度は作れるようになってきている。
可愛いとかいう至極当然かつ個人的な感想は置いておくとして、十分に笑顔と呼べるものができるようになったのは俺も嬉しい。
そして今日は、久しぶりに練習をせずに遊ぶらしい。
「まだか……」
当然だ、約束の時間にはまだ早い。早すぎる。
それでもそわそわしてしまうのだ。我ながら女々しい。
しかし、久しぶりに更紗とゆっくり過ごせると考えると待つことも苦痛ではない。付き合ってもいない男の考えとしては危ういものな気もするが、この際それは置いておく。
メッセージを確認。『ちょっと遅れるかも。ごめん』というメッセージがほんの数分前に来ていた。
何かあったのか心配にもなったが、メッセージを送れる状況なら問題はないだろう。
駄目だ。
相当気が滅入っている。完全にやばいやつである。
しばらく待っていると、インターホンが鳴らされる。が、急いで出ると、そこには誰もいなかった。
「タチの悪いタイミングの悪戯だな!?」
「だーれ……」
「更紗」
「せめて最後まで言わせてほしいかな」
ドアの陰に隠れていたらしく、小さな身長ながら器用に目隠しをする。ぴょこぴょこ跳ねるように背伸びをしている姿はとてつもなく可愛い。
いつもは付けていないウィッグを付けており、髪は茶色だ。
「暑いだろ。とりあえずあがれよ」
「うん、ありがと。お邪魔します」
相変わらず家には兄さんしかいない。両親に関してはいつ帰ってくるかもわからないしどこにいるのかすらわからない。できることならさっさと帰ってきて欲しいところではあるが。
それはそうと、更紗の服装はいつもよりも可愛らしい。いつもが適当なだけな気もするが、しっかりコーディネートしたといった風だ。
「似合ってるぞ」
「えっ? ああ、服ね。ありがと」
「……褒め方、間違ってた?」
「ううん? ただ、そんな褒め方するの初めてだから。嬉しいんだよ? それ以上になんか変な物でも食べたのか心配なだけで」
「俺をなんだと思ってるんだよ……」
「褒めて欲しいときには褒めてくれないけどね」
「褒めて欲しいとき?」
「なんでもない。ほっといていいよ」
不満もあるが、それ以上に褒められたことは嬉しいらしい。顔にはまったく出ないが、声が明るいのだ。めちゃくちゃわかりやすい。
兄さんに軽く挨拶をした更紗は、そのまま俺の部屋へと向かう。何日か生活していたこともあり、今はそれほど気を遣う様子も見えない。
「とりあえず来たけど……今日は何するの?」
「なんでもいい。更紗がしたいこと、なんかないのか?」
「うーん……いや、ないかな。祐介はないの?」
「俺は元からお前に合わせるつもりだったからな……」
「あ、あったかも。ちょっと付き合ってよ」
「いいぞ」
「遊園地」
バツが悪そうに、恥ずかしそうにそう言った。
よほど楽しみだったらしく、移動中もそわそわと落ち着かない様子だった。さっきまで更紗が来なくてそわそわしていた俺が言うのもなんだが、かなりおかしい。
「あ、あのさ……えっと、嫌なら嫌でいいんだけど……あのね、いや、ほんとに嫌なら言ってよ?」
「なにをだよ」
「あの……手を、繋ぎたい、です」
「……俺と?」
「祐介以外に誰がいるの……」
突然すぎる提案に狼狽する。
が、ここでうじうじするのも情けない。更紗の手を優しく掴んで、少しだけ距離を詰める。
「ありがと」
こういうとき、更紗の隣にいる身をとして不便だ。ちゃんと笑えないのに、照れたような顔はしっかりしてくれる。対応に困る反応はやめてほしいと常々思う。
「どこから行くんだ?」
「うーん……どこでもいい」
「なんだそりゃ。なんかあるだろ、ジェットコースターとか観覧車とか」
「ならジェットコースターかな。観覧車は最後がいい」
「了解」
場所を調べて向かう。
頭上を通り過ぎている、わりと大規模なものだ。
「えぇ……」
「……大丈夫か?」
「怖い。無理」
「じゃあやめとこう」
「……いや、せっかくだから乗る」
「楽しめばいいんだから、無理することないぞ?」
「うん。でも、なんか大丈夫な気がするんだ。だから乗ってみる」
「そっか」
更紗がそう言うなら、わざわざ止める必要は無い。
ジェットコースターの安全バーを下げられ、それから慌ててウィッグを取る。飛んでしまっては大変だ。
ゆっくりと進んでいく。最高点に達して、急に隣の更紗が手を掴んできた。無意識なようで、更紗はただただ震えている。
「ひっ……」
落下と同時に短い悲鳴が聞こえた。それから何も聞こえなくなったので焦って更紗の方を見るが、なんとか堪えているのがわかったので俺も純粋にジェットコースターを楽しむ。
コース自体は長いが、その時間は一瞬だ。更紗にとってはそうでもないらしいけれど。
「……もうやだ」
「だから無理するなって言ったのに。ほら、ちょっと休憩しとこう。ウィッグ忘れるなよ」
「ん……」
とりあえずベンチに座らせて、飲み物を買う。好みはわからないのでシンプルに麦茶。
「ありがと。ごめんね」
「いいって。今日くらいお前がやりたいことすればいい」
「えっ?」
「いっつも頑張ってばっかりだろ、お前は。アリスとしても、更紗としても。誰も助けてくれなかったもんな」
「でも、祐介は助けてくれたよ」
「まあ、それは置いといて。だから、今日くらい頑張るのやめて甘えればいいんだよ」
「…………そんなこと言われたら、本気で甘えそうになる」
「ああ、本気で甘えろ」
「……じゃあ、甘える」
そういって、更紗は彼女なりの笑顔を浮かべて見せた。
予定通りに、最後は観覧車にすることにした。
「おお……」
「綺麗だね……」
「そうだな、綺麗だ」
日が沈み、光が美しく輝く。綺麗だという言葉はその光景ではなく、俺の正面に座る更紗に向けて放ったわけだが、当の本人は全く気づいていないらしいので言及はしない。
ウィッグを外して、いつもの更紗へと戻る。
「今日はありがとね」
「なにがだ?」
「えっ、いや。付き合ってくれて」
「それは別に、俺も楽しかったから大丈夫だけど。更紗こそ、気分転換になったか?」
「気分転換?」
「根詰めすぎだ。今、ちゃんと笑えるか?」
「ん……どう?」
「引き攣ってる」
更紗の笑顔は完璧では無い。それに、元々の原因も気持ちの問題が大きいところがあるので、疲れや悩みで表情はまた戻ってしまうようである。あくまで俺の考えだから確信が持てているわけではないが。
「うぅ……せっかくだから可愛く見られたかった……」
「心配しなくてもお前は可愛いよ」
「百点満点のお世辞をありがと」
「こんなお世辞は残念だけど言い慣れてない」
「……というと?」
「本音だよ」
「…………あっそ」
不機嫌、というわけではないらしく、ただ目を合わせてくれなくなる。
「なんか、怒ってる?」
「いや別に。乙女心がわからないなーと思ってるだけ」
「呆れてるのか」
「そういうこと」
呆れられていたらしい。
本音を伝えただけなのだが、女の子とは難しい。
「……さっきさ、私が頑張ってるって言ってくれたでしょ」
「ああ、言ったな」
「私ね、頑張ることしか出来ないんだ。努力が必ず実るとか、そんな都合のいいこと言う気はないんだけど、私は努力して死にものぐるいでも頑張ることしか出来ない」
「…………」
否定はしない。できない。
決して、努力をすること以外に才能がないなんて思わない。元々持ち合わせていたそれは、アリシアの他の二人と比べれば翳ってしまうものかもしれないが、十分に光るものだ。
それでも、俺はアリスとして失敗だらけだったときを知っている。アリスとして輝いていたときを知っている。有栖川更紗として、笑えなくなった彼女を知っている。
そして、彼女の努力を、自惚れかもしれないが誰よりも知っている。
だから否定はできない。
そんな俺を他所に、更紗は話を続ける。
「だから、頑張るのは嫌いじゃないんだ。私には祐奈がいて、花蓮がいて。三上がいて、三澤先輩がいて、祐介がいる。一人じゃないから、嫌じゃない」
「……俺に出来ることはほんの少しだけだ」
何も無いとはもう言わない。少しだけでも更紗の力になれたらそれでいいから。
「それでいいよ。今日みたいに、ほんの少しだけ私を甘やかしてくれたら、私と普通に女の子がするみたいなデートしてくれたり、そんな風にして更紗を見てくれたらいいんだ。それが私にとっての祐介の役目なんだって、勝手に思ってる」
「……そっか。なあ更紗、ちょっとこっち来い」
「ん? いいけど……」
ゆっくり立ち上がった更紗が歩き出すよりも先に、抑えきれなかった欲をそのまま更紗に押し付けるように抱きしめた。
「好きだ。やっぱり、俺はお前が好きだ」
紛れもなく自分の声だ。ちゃんと言葉にできている。
「……知ってるよ。祐介がアリスも更紗も好きでいてくれてることも、実はちょっと下心あったりすることも、それがわかってるのに私があなたのこと好きになっちゃってるのも……ちゃんと全部わかってる」
「ああ、知ってる。バレてることも、お前が俺を好きでいてくれてることも」
これはもう、前にも言った。
まだもう少しだけ黙っているつもりだった。いつか更紗が笑えるようになったら、彼女が自分とアリスを比べなくてもよくなったら伝えるつもりだった気持ち。
卑怯だな、と、少しだけ思う。
「傍にいさせてくれ」
「もちろん。傍にいて。ずっと。私が笑えるようになっても」
「一人にしない。約束する」
たとえ更紗が輝く笑顔のアイドルになったとしても、きっと変わらない。変わりたくない。やはり俺は卑怯だ。
「ねえ、今の私は笑えてる?」
「……引き攣ってる」
「やっぱり。なんだろ、嬉しすぎてかな……表情、ちゃんとできないや」
その引き攣った表情は、何故か妙に更紗を近くに感じさせた。
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