第29話:追走、「人間魚雷」——GS400 5
森の気配、
草と、土の匂い、
地に沈み、垂れ込める闇と、
その闇を切り裂くハイビームの光束、
そして高温の圧縮空気が発する爆音。
*******
アールの大きな、でも深い右カーブが迫っていた。五十メートルくらいか?旋回半径はデカいが、その角度は百八十度ある、そう、
——緩めのヘアピンカーブ。
その時、背中を焼いていたハロゲン・ライトの光が、急に消えて無くなった。神経質なツーサイクル・エンジンの排気音も同時に消えた。
ヤツはずっとオレのケツ、五メートルくらい後ろを走っていた。タンクを蹴っ飛ばされたり体当りされたりして、強引にコイツの前に出ようとするのは危険だ、と踏んだんだろう。
その、後にいるハズのヤツの姿が、消えちまった。
ライトの黄色い光影が右に流れて、そのまま、光も、音も、後方に、あっと言う間に遠去かって、消えた。
最初、ワケが分からなかった。夜間のバトルで、途中ワザとライトを消して相手を撹乱することはママある。だがエンジンまで切るバカはいない。
ヤツが神隠しみてえに完全に消え失せちまった意味を、しかし、オレはすぐに理解する。
——急斜面を突っ切って、コーナーをショートカットしようとしているんだ。
反則?
バカ言ってんじゃねえよ、そういうことじゃねえよ、そんなの反則に決まってる、当たり前だよそんなの、でも出来ねえだろフツーそんなこと、考えてもみろよ、距離は長くても無難にアスファルトの路面をグリップ走行してコーナーをマジメにクリアした方が速いに決まってる、
——真っ暗闇の中で不整地の急斜面を走るより遥かにな、
って言うか走り切るのフツー無理だろやっぱり、ヤブに躓いてブッコケるだろ、樹にブチ当たって即死だろ。
ヘアピンカーブが迫る。アール大きめの、いわゆる「高速コーナー」だ。本来ならアクセルを戻すタイミングで、
そのアクセルを「ドバッ」と開ける。
燃焼室で発生した爆発力がコンロッドを回して
そうしてアクセル・オンで逆に推進力を殺しながら後輪を左に滑らせて前に出し、今度は間欠的にアクセルを抜き、右に曲がって行く推進力を得ながら、その高速コーナーをドリフトで滑り抜ける。
断続的にアクセルを操作する、
バン、バン、バン、バン、
という排気音と、ステップの部品が路面を削り取る、
ガリガリガリガリガリガリッ、
という擦過音。
誰にでも出来るってワケじゃねえ。曲芸じみたバランス感覚と、運動神経と、そして何より、度胸が要る。
闇夜で景色は見えねえ。ライトに照らされた右コーナーの路面だけが、ゲーセンで見たルーレットみたいに高速で回り、流れるのが見える。
深いコーナーだった。ルーレットみたいに流れる路面が、際限なく続くかのように感じられ、急に、オレは不安になった。深夜のせいなのか、感覚が少しオカシくなっているのかも知れなかった。このアールの大きな高速コーナーをスライディングで曲がるのは、正直キツかった。時間の経過と共に、バランスを取るのが難しくなる。
——コケるかも知れない。
コケたら負けだ。
ヤツに先行されて終わりだ。
ヤツの「不敗神話」に、また一つエピソードが追加される。
不安はそれだけじゃ無かった。それは、
——不整地の急斜面をカットして、ヤツが、コーナーの出口に姿を現わすんじゃないか?
その想像は、怖しかった。
うまく言えない、それは見たく無い光景だった。
だってその絵は、あまりに非現実的で、怖ろしすぎる。
焦っていた。
早く曲がり切っちまいたかった。
見たくなかったんだ。
でも、——
やがて、高速コーナーを抜けてストレートに出た。
「ッ、シャアあああぁぁァアア!!」
オレは車体を縦に起こし、脇を締めて全開までアクセルを開ける。間に合った、オレの先行で間違いねえぜ。
が、その瞬間——
オレの十五メートルほど前方、コーナーのイン側だった方、二メートルほどの高さの擁壁の上に、赤いテールランプが流れるのが見えた。
RZ250——「人間魚雷」だ。
RZは少しの間、こちらのやや前方を、その擁壁の上を、並走するように、草を蹴立て、砂を巻き上げて走っていたが、流れて近付いてくる景色の向こう側から、不意に青いフェンスが現れ、そのフェンスをギリギリのところで素早く躱して、道路上に、オレの走行ラインのすぐ前の路面に、ヤツは降り立った。ふわりと、スローモーションのような動きで。
直後、恐怖に耐え切れなくて脳幹の神経が引きチギレちまった人間が喉の奥から絞り出す叫び声のような凄まじいタイヤのスキール音が、オレを、現実に、無理矢理に引き戻す。
「ギャハハハハハハハハハハ!!」
ハンドルを摑んで辛うじてバランスを取りながら、人間魚雷はこちらにトガッた横顔を向けて、歯を剥いて笑った。古ぼけたセパレート・ゴーグルの下の眼は見えないが、
だって、
イカレてる、フザケてる、完全に狂ってる、
そして、
試してる、測ってる、自分の命で遊んでる。
二メートルの擁壁から飛び降りて、酷え音を立てて右左にブレて、コケそうな感じにヨロケながら、特攻兵器の名で呼ばれたそのイカレタ単車乗りは、フザケて嗤うその口元を大きく赤く裂いて、バランス取れてないの完全無視で、こちらを見たままアクセルを開け、前輪をこれ見よがしに躍ね上げ、カッ飛んで行く。
「ヒャッ、ヒャッ」
人間魚雷は嗤う。そして急峻な隘路を無造作なアクセル・オンで駆け下る。オレ、というコースを塞ぐ障害物が無くなり、水を得た魚のように、凄まじい速度でワインディングをクリアーして行く。後ろから見ると、その走りのトンデモ無さがよく分かった。
バケモノだ——
そのライディングはウワサ以上で、
だかしかしオレは、
笑いが込み上げて来るのを止めることが出来ない。
は、はは、はははははは、……
だって速すぎる。
危ない、なんてもんじゃねえ。
単に「巧い」とかそういう事じゃねえ。
風を切るスピードに靡くボサボサの髪と、
トガッた横顔の、
その荒れた肌の風合いと陰影とが、
ナゼだかオレにこう語り掛けた。
コイツは、
人間じゃない、
コイツは、
スピードそのものだ、と。
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