第41話:伝説の終焉——「人間魚雷」の死 9

 オレは重くなった目蓋を押さえ、それから時計を見る。


 午前四時三十八分、——


 そしてまた視線をPCの画面に落とす。


 繰り返しになるが敢えて言う。


 オレは深沢 かけるという名前の設備屋のオヤジで、かつて「人間魚雷」の仇名で呼ばれた、キチガイで有名だった単車乗りだ。いや「単車乗りだった」と言うべきか? 83年式日産フェアレディZをブッ壊し、時速200キロでタンクローリーを飛び越えた、その張本人だ。


 ——ゴウッ! っと、風が鳴った。


 強い風、窓の外だ。


 オレは目線を上げて窓を見ようとする。


 視界が急に暗くなる。


 何だ? 停電だろうか?


 と、その時、頬に砂が当たる感触がした。


 磯の匂い、……


 オレは息を呑む。鼓動が、速くなっていく。


 奇妙なことが起こってる。


 おかしなことになっている。


 空で、風が巻いて音を発てる。


 オレは立ち上がり、周囲に視線を巡らす。


 自宅にいたハズだった。


 三十五年ローンの約半分を返済したハズの、


 そうさ、胃が痛くなるくらいにリアルな自宅にだ。


 リビングにいたハズだった。


 座卓に向かい、ノートPCを睨んでいたハズだった。


 、——


 江の島の灯台の回転灯が、瞬間、サーチライトのように白く網膜を焼き、


 頭上に風が唸り、


 道路上の工作物を、海から吹き付ける砂が激しく叩く。


 そう、深夜の134号線の路上に、


 オレは立っている。


 恐らくは一九九二年、十月二十五日、日曜の未明の134号線に。


 背後にホンダV型4気筒のエンジンブレーキの音がして、


 交通機動隊のVFR750が停車する。


 風が弱まり、巻き上げられた海岸の砂が吹き過ぎると、


 赤く点灯する信号機が姿を現し、


 その向こうに旧式のスポーツバイクに跨る男の、


 その痩せぎすなシルエットが見えた。


 ボサボサの長髪、


 その風とスピードとにくしけずられた髪は、


 冷たい外灯の下で銀色に光りメタリックな印象だ。


 ビンテージタイプの大きなゴーグルをしていて表情は分からない。


 よく見ると薄い唇を裂き、歯を剝いてはいるが、


 逆光になっていて、


 怒っているのか、笑っているのか、どちらとも判別できない。


 人間魚雷、——


 二十八年前のオレ、


 まだ二十二歳のハズの、


 伝説の単車乗りと呼ばれた男、


 ああ、


 オレは思う。


 もっとガキなんだと思っていた。


 もっと子供で、頼りなくて、迷っているんだと思っていた。


 でも目の前に立ちはだかる二十二歳の自分は、


 命懸けのライディングと、


 身も凍るほどの孤独とに磨き抜かれ、洗われ続けた、


 厳しい相貌の持ち主だった。


 痩躯であるためだろう、


 手足が長く、長身に見えた。


 迫力があって、大きくも見えた。


 痩せぎすな、長身の男、——その伝承は間違ってはいなかった。
















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