第7話:深沢カケルの日記[十七歳]

[一九八七年六月十九日] ※十七歳、高校三年:筆者註


深夜、激しい雨の中を、

暗い坂道を登ってゆく一人の狂った男。

まだ若い、成人していないように見える。

手には木で出来た何か棒のような物を握り締めている。

怒りに目の色を変え、歯を食いしばり、何かブツブツ呟きながら登って行く。

丘の上の公園の二百メートル・トラックのある広場に出ると、彼は風雨吹き荒ぶ夜空に向かって怒鳴る。声を枯らして叫ぶ。


そこにいるんだろ、

分かっているんだぞ、

ちがうのか、

苦しいぞ、

ぜんぜん楽にならないぞ、

おれは努力した、

おれは歩み寄った、

血が出るくらい努力した、

でもダメだったじゃないか、

おれが悪いのか、

死んだほうがいいのか、

何とか言ったらどうなんだ、

分かってるんだぞ、

そこにいるんだろ、


男は天を睨み、

棒を振り回し、

声を振り絞るが、

その声は風に掻き消され、

雨に遮られて、

大地に両膝を突き、

真上を振り仰いで泣き叫ぶ男のちっぽけなシルエットすら、

闇に呑まれ、

やがて、

何も見えなくなる。


(※日記の文面:筆者註)


******************


[一九八七年七月二十九日] ※十七歳、高校三年:筆者註


RZを見せてもらった。

ヤマガミ輪業の山神さん。

ヤマガミ輪業は家族の行きつけの自転車屋、兼バイク屋。

山神さんは三十歳ちょっと過ぎくらいで、二代目店主。

もちろん単車乗りだ。


カケル、学校はどうした、また行ってないのか?


って今、夏休みだし。


とか何とか会話して、

——って、そう、

山神さんとは普通に会話できる。

目をじっと見て話すのはちょっと無理だけど、

ただ話すだけなら大丈夫。

山神さんは単車大好き人間で、

ちょっと変わってて、面白い人だし、

それに僕の場合、相手が年上の人だと却って安心なのだ。

理由は、関係がしっかり決まってるから。

あっちが上で、こっちが下だって。


暑っちーな、いいから入れ、アイス食うだろ?


夏休みだし、

っていう僕の返事はスルーして、山神さんは痛めている右脚を引き摺りながら店の奥に消えた。昔、バイクで事故に遭い、大怪我をしたのだそうだ。


しかし、僕は思う。

アイスとか、高三男子にオカシイだろ、って。子ども扱いにも程がある。でも、向こうは子どもの時から僕を知ってるから、その流れで、まあ、しょうがないか……。


自転車のタイヤがいっぱいブラ下がっている作業場の方じゃなくて、

スクーターと自転車がディスプレイされたお店の方に入る。


ガラスの引き戸の前、歩道に、

見慣れない、旧い単車が停めてあった。

イマドキ珍しいノンカウル、ネイキッドの単車。


RZだ、知らないのか?


並んで座ってガッチガチに凍った小豆アイスをガリガリかじりながら山神さんが言い、その小豆アイスをくわえて口の中で溶かしながら僕はうなずく。


ヤマハRZ350初期型、昔乗ってたんだ。

……そうか、今の若いヤツは知らないんだな。


シブくて、ちょっとワルそうで、カッコイイ。でも、あんまり強そうな感じじゃない。男っぽいんだけど、繊細な印象、無神経に扱うと、壊れちゃいそうな。


どんなバイクなの?

と訊くと、

エンジンかけてやるよ、

と山神さんが言った。


イグニッションじゃなくて、キックスターターだった。痛めた右脚で、でも慣れた感じで、山神さんはキックペダルを踏み込む。エンジンがかかったのは、四回目。

そしてその音は、

僕が想像してたものとは、だいぶ違っていた。


その排気音は、

街中でよく聞くTZRとも、NSRとも違っていた。


くぐもった、神経質そうな破裂音の連続、もちろん結構ヤカマシイんだけど、何だろう、少し陰気でナーバスで、デリケートな印象なのだ。


そして、横に立った山神さんがアクセルを開けると、永い眠りから無理やり目覚めさせられた獰猛な肉食獣が、激しいイラ立ちから巨軀を揺すって咆哮する、その喉の粘膜が破れて血が飛沫となって呼気と共に飛び散るような、ヤケクソで凶暴な叫び声を上げた。

後先考えない感じ、

部品の強度の限界までパワーを振り絞ってる、

壊れちゃうんじゃないかと心配になる、

ギリギリの音、

ヒステリックな音。


ああ、

僕は、

その時の、

右手でアクセルを開けながらこちらを振り返る山神さんの眼が、忘れられない。


三白眼で斜め下から睨み上げるような、暗くて、獰猛な眼、昔はひどい不良だったという、陰気で、屈折してて、オトナになる前の、反抗期の少年の眼、まるでこちらの眼の中の、何かを測っているような、性根を見透かして、吟味するような、厳しくて、残酷な眼、……


ポケット・ロケットだ。

海外ではそう呼ばれたんだ。


山神さんがボソッと言う。

ロケット、

その語感を、僕は口の中で反芻して確かめる。


ナナハン・キラー、

俺達はそう呼んでた。


山神さんの眼が、ギラリと光ったような気がした。

どうした訳だろう、

僕は視界が白く霞んで、一瞬、何も見えなくなった。


僕も、


思わず、言葉が口を突いた。


中型二輪免許ちゅうめん取ったらRZ乗る。


根拠なんか無い、

小僧が、

感化されて熱に浮かされて、カッコいい排気音に興奮して、オカシナことを口走っているに過ぎない。

だけど、

RZに乗れば、

強くなれるような気がした。

RZは僕に似てる、そう思った。

だから、

こんな僕でも、

こんなイビツな心の僕でも、

ロケットみたいにブッ飛んで伝説になれる、

自分を好きでいられる、

なぜだかそう思った。


僕にも乗れるかな?


そう問いかけてみる。

山神さんは驚いたように一瞬、眼を見開き、

でもすぐに、

——フッ、

と表情を緩めて下を向き、

エンジンを止めて、

こう言った。


十年はええ。

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