第13話:一九九二年、箱根峠
ノートパソコンの画面右下に表示されている時刻は午前二時ちょうどだった。リビングのフロアテーブルの上にはビールの空き缶が六つあり、床にも一つ転がっているのが見える。或いは他にもあるかも知れない。ずいぶん飲んだものだ。
それにしても腹が減った。
飲むのは止めにして、オレはフラつく足取りでキッチンまで歩いて行き、酔った眼で冷蔵庫の中を覗いてみる。すぐに食べられそうな物は無かった。次に棚を見る、ここにも無い、柿の種すら無い。
そうだった、オレは思い出す。
もう五十にもなり健康診断の結果も思わしく無いメタボ予備群のオレの身体を心配した嫁さんが菓子類の買い置きを一切しなくなったのは、こないだのオレの誕生日、もう数ヶ月も前の話だ。
やれやれ。
仕方なくオレはビールをもう二缶片手で冷蔵庫から取り出して、リビングの隅にあるフロアテーブルに運ぶ。そして再びパソコンの画面を酔いに霞む目で睨み付ける。
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久し振りにカケルの日記や、山神氏への取材のレジメを、今こうして、まとめて読み返して見ると、やっぱり強い違和感を感じない訳には行かない。あまりに意外な素顔。
あれ?「人間魚雷」ってこんなヤツだっけ?
という風な。
自意識過剰で、無口で、かなりのコミュ障で、でも背が高くて、腕や脚も長くて、しかもバイクの運転が上手い、それもまだ十代の青年。なんかちょっとカッコいい、見ようによっては可愛くもある、ではないか、なんてことだ、漫画の主人公みたいだ。
しかし、一九九二年当時の深夜の「箱根」を知るオレ達「走り屋」にとって、「人間魚雷」とは、
——悪魔、
そう呟いたまま絶句してしまう程の、凄まじい単車乗りだった。
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一九九二年八月、深夜の箱根峠。真夏とはいえ空気は冷んやりとして、薄く靄のたなびく山頂付近の夜気を、場違いな排気音とメカノイズがけたたましく震わせる。時間帯を考えればかなりの数の自動二輪車が、箱根峠の信号の脇の空き地でスタンバっている。少し西に通り過ぎた辺りにある駐車場には、更に多くの二輪車、或いは四輪車がいる筈だ。
駐車場にいる連中のほとんどはギャラリー目的だ。そして山頂付近の道路脇の空き地でチッキチキにスタンバっている連中は、基本エントリー目的だ。この両者の「目的」には共通点があった。
そう、「人間魚雷」だ。
誰からとも無くそう呼ぶようになったこの不気味な名前の単車乗りの、その凄まじい走りを一目見ようと、或いはこの突然現れた耳慣れない走り屋をブッチ切って自ら「最速」を標榜しようと、多くの単車乗りやドライバーが夜毎集まるようになっていたのだ。
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