第19話:追走、「人間魚雷」——TZR250/5

 風が鳴った。


 人間魚雷はあごを上げて、

 その漆黒の夜空を見るともなしに見た。

 そしてボクは、ラインを見る。

 ラインをトレースし続ける。

 見た方向に曲がって行ってしまう、

 頭を振った方向に寄って行ってしまう、

 それは何もバイクに限らないだろう。

 それに急に目線を変えるのは危険だ。

 バランスの軸がずれ、

 空間における力学的な自分の座標を見失ってしまうからだ。


 コーナーを曲がり切り、

 直線に出る。

 少し長いストレート。

 急勾配の、本当に崖のような下り坂。

 そのストレートが尽きたところに深くて急激なカーブが待ち受け、コンクリート・キャンバスで覆われた壁のような法面のりめんが外灯に白く光り、無表情に、無機質に、行く手に立ち塞がる。


 曲がり切れなければ、

 コンクリートに叩き付けられて死ぬ。


 皮膚が裂け、

 肉が潰れて血液が飛び散り、

 骨が砕けて着衣を白く突き破り、

 スイカみたいに頭蓋をブチ割られて死ぬ、。


 攻めている最中にそれを見れば、

 走り屋の誰もが同じことを考える。

 走り屋の誰もがスロットルを緩め、

 或いはギアを一速落とし、

 距離と、

 速度と、

 到達時間とを慎重に測る場面——


 しかし人間魚雷は、

 左足でギアを一速落とす、

 ここまでは普通、

 それからアクセルを大きく開けて、

 急加速を始めた。

 全開だ。


 ボクは思う。 


 ああ、

 本当だった、

 なるほどコイツは走り屋の亡霊に違いない、


 前向きにツンのめって転がって行きそうな急勾配の下り坂で、

 そのノーヘルの単車乗りは、

 ゼロヨンじみた急加速で、

 スキール音と共にタイヤを一回転空転させ、

 そして、

 こちらを振り返った。


 眼が、

 赤く光っている。

 イカレタ噂は、本当だった。


 バケモノ——


 暗闇の中、

 人間魚雷が眼を細めているのが見えた。

 笑っているのだ。

 もうすぐコンクリート製の法面のりめんに激突するのに、だ。


 あ、


 鼓動が速くなる、

 身体が冷たい、

 喉が渇く、

 あごが微かに上がる。


 悪魔だ——


 人間魚雷は視線を前方に戻し、

 少しだけ夜空に視線を投げる。


 コンクリート・キャンバスが迫る、

 激突する、

 絶対に間に合わない、

 エンブレ効かせながら下るべき急勾配を、

 一速落としてのアクセル全開だったのだから、


 全開だったアクセルを戻す、

 どうせ間に合わない、

 エンジンブレーキが利いて、

 タイヤが前・後輪とも完全にロックする、

 バランスを失い車体が左右に大きくブレる、

 スタンディング・ポジション、

 タイヤはまったくグリップしていない、

 急坂を、崖を、スベリ落ちてゆく、

 路面スレスレに空中をスッ飛んで、

 立ちはだかるコンクリートの壁に、

 加速度的に吸い込まれてゆく、


 それでもそのノーヘル野郎は、

 スタンディングの姿勢から、

 長い手足を使って車体を空中に引き上げる、

 カウンターを切って車体を横に向ける、


 眼に染みるような、

 鮮やかなライディング・テクニック、

 神業だ、


 だが意味が無い、


 着地して横向きにスライディングする、

 いつものドリフト走法、


 しかし間に合わない、

 全身骨折で身体中の穴から血を流して死ぬ、


 サスが深く沈み、

 その反発で車体が宙に跳ねる、

 というか吹っ飛ばされる。


 スピードの出し過ぎだ、


 それでも、 

 そのノーヘル野郎は前を見ない、

 前を見ていない、

 視線は宙をさまよい、

 風を読んでいる、とでも言いたげだ、


 死んじまえ、

 そう思う、

 死んじまえ、


 だが、

 その神懸かったライディング・テクニックは、


 語り継いでやる。





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