第20話:追走、「人間魚雷」——TZR250/6

 再び風が鳴った。


 急勾配の下り坂、

 ストレートの出口、

 急カーブに聳える山肌を覆う、

 無機質なコンクリートの分厚い壁。


 人間魚雷とRZ250は、

 その硬質な構造物に、

 為す術なく吸い寄せられてゆく。

 圧倒的な重力と慣性に押し流され、

 ゴミ屑のように吹き流されてゆく。


 カウンターを当てた横向きのスライディング、

 派手に火花が散って、

 強大な重力と力学に弄ばれて車体が跳ねて、踊る。

 タイトな峠道、

 スピードを出し過ぎなのだ。

 路面から吹っ飛ばされた、

 その空中で車体が泳ぐ。


 見えるようだ。


 ブッコケて、

 コンクリート・キャンバスに貼り付いて死ぬ。

 容赦なく壁体に叩き付けられて、

 カエルみたいにブッ潰れて死ぬ。


 高く飛び上がった車体は、

 物理学の法則から逃れる術なく、

 やがて路面に叩き付けられる。

 辛うじてタイヤから着地するが、

 ズダンンッ!

 という衝撃音が、

 何かがブッ壊れて破断するようなヒドイ音が響く。


 死ね。

 ボクは思う、

 死んじまえ。


 バイクとは、

 ライディングとは、

 お前が思っているような単純なものじゃない。


 天才なら、

 悪魔と呼ばれた程のお前なら、


 この世のことわりから免れることが出来るとでも思ったのか!


 コンクリートの絶望的な法面のりめんまで、

 あと15メートル。

 激突するまでの時間、

 あと、——0.54秒。


 路面に叩き付けられた勢いで、

 上方向に跳ね飛ばされながら、

 完全にバランスを失い、

 横向きのまま進行方向に対して縦に、

 大きくゆっくり回転する。


 その瞬間、

 ——風が吹いた。


 箱根の斜面に西から吹き付ける、

 強い風。

 麓から吹き上がってくる空気の分厚い団塊かたまり

 その圧縮された空気の壁はボクの口と喉を塞ぎ、

 息が、

 息が出来ない程だ。


 無線の電磁ノイズのような雑音が、

 最大音量フルボリュームで耳を塞ぐ。

 何も聞こえない。


 その最大音量フルボリュームの静寂の中、

 RZ250は、

 その固形物のような空気に乗り上げて、

 ふわりと浮き上がり、

 フラフラと回転しながら、

 しかし、

 側面でその風を捕らえ、

 バランスを取り戻した。


 人間魚雷は、

 ハンドルを摑み、

 宙を回転しながら、

 一瞬だけ、こちらに視線を投げた。


 ああ、

 その時の奴の眼を、

 ボクはきっと、一生忘れない。

 ボンヤリと赤く光る、残酷で、獰猛な眼。


 犬歯を剥いて、

 愉悦を噛み殺す、

 その笑みに細められた眼。


 自らが全能者であることを信じ、

 神をも凌駕せんとする、

 いや自らが神であると嘯いて憚らない、

 その不敵な横顔——


 ジャッ、という音。

 続けてタイヤが地面を蹴るような音。


 時間にして、

 0.5秒くらいだったろうか?


 人間魚雷は、

 固くコンクリートに覆われた山肌を、

 その垂直に切り立った法面を、

 約10メートル走った。


 やがて、

 タイヤがコンクリートから自然に離れ、

 ふわりと、

 スローモーションのように路面に降り立ち、


 直後、


 耳を両手で塞ぎたくなる程の、

 発狂寸前の激しいスキール音を四囲に叩き付け、

 路面をガリガリガリガリッと深く削り取りながら、

 派手に火花を散らす乱暴なスライディング走法で、


 あっという間に走り去った。


 コーナーの向こう側、

 闇の帳の彼方へと。


 ボクは静かにブレーキを掛け、

 路肩に停まった。


 は、


 ボクはヘルメットを脱ぎ、

 息をつく。


 負けた、という感じは不思議としなかった。

 いや、完敗なのだ。

 しかし負けた、とは思わなかった。


 無意味だ、


 そう思った。

 こいつと競り合うことに、塵ほどの意味もない。

 勝てる訳もないし、

 たとえ勝ったとしても、それが何だと言うのだ。


 違う世界の住人。

 だってそうだろう?

 ボクはライダーだ。

 でも、断言する、あいつは違う。


 夜気に触れる耳元に、

 ツースト・パラツー(2サイクルエンジン並列2気筒)

 の悲鳴のような爆音が聞こえてくる。

 夜の闇の底を飛ぶ、気が触れた竜の如き異形のバケモノが、


 マダダ、モットダ、マダダ、モットダ——


 と喚き散らし、

 我欲にのた打ちながら遠ざかって行く、

 その狂った咆哮を、

 ボクは聞く。


 夜が明けたら、

 久し振りにバイク屋に行こう、

 そう思った。

 こんな所で遊んでる場合じゃない。

 頭を下げてチームに入れてもらい、

 そして、

 自らが歩むべき道を、歩くのだ。

 過酷な登り坂、でもだ。


 星がきれいだった。

 さっきまで、ちっとも見えなかった。

 闇夜なんだと思っていた。

 そんなこと、無かったんだ。


 きらめく星空を見上げるボクのすぐ横を、

 カワサキの大排気量車が二台、

 轟音と共に通過した。

 遅すぎる、お前らには無理だ。


 そしてそのすぐ後を、

 ケツにピッタリと追いてポルシェ911が追った。


































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