第2話:記事「再考、人間魚雷伝説」
■走り屋の亡霊を見た——再考、人間魚雷伝説:月刊BGバイカーズ 1995年8月号
(※前略)
今年(※一九九一年:編者註)の五月頃だったと思います。深夜の
バケモノです。
人間じゃない。
だって、
バイクって普通、空飛んだりします?
ツバキラインの下りを攻めていて、いやドリフトとかはしないです、四輪駆動ですから、無茶してもワリカシ普通に走れちゃうんですよ。
物音ひとつしない深夜、草木も眠る丑三つ時ですよ、でも車の中は凄まじい音量です、マフラー入れてたんで排気音がまず凄いし、エンジンやミッションからのメカノイズ、タイヤのスキール音、サスが軋む音、フレームがヨジれる音、ドンッという衝撃音、それに集中してますしね、命懸けですから、メチャクチャ忙しいんですよ、峠を攻めてると。
なのに後方から、
いや上の方からなのかな、下ってるんで、
何か、聞いたことが無いような音が近付いてくるんですよ、スゲー勢いで。違うんですよ、クルマやバイクが追っかけてくるような、そういう音じゃないんですよ。クルマやバイクが追っかけてくる時って、リズムがあるじゃないですか、巧いヤツほど、——踊るような、歌うような、奏でるような、時に泣くような、そんなリズム。
ブツかりながら、火花を散らしながら、転がってくるような、路面を削りながら、滑り落ちてくるような、そんな音が、ちょっと焦るくらいの、ヤバイくらいのスピードで近付いてくるんですよ、もう何だろう、事故ってる感じの音ですよ、走ってるんじゃなくて。
後ろから、最初は微かな音、でも数秒後にはもう、すぐ後ろまで迫ってる、誰かが猛スピードで事故ってガードレール突き破って上から落っこちてきた? いや、それにしたって速すぎる、飛行機でも墜落した? こんな闇夜に? でもそう考える方が自然かも、でも次の瞬間、——
断末魔のような激しいスキール音、
アスファルトの上を滑る金属の擦過音、
次に、
ズダンッ!
というシンプルで大きな衝撃音がして、
すぐ後ろです、
そして、
無音。
結構長く感じました。
僕はウィンドウに僅かに顔を寄せ、右上の方に視線を走らせました。
車の外側です、チラッと、一瞬です。
それは理屈じゃない、本能的な行動でした。
音が迫ってきたスピード、
ズダンッ! という音のした位置、
そして今走ってるコースの、
次の、左コーナーを攻めるための「ライン取り」、――
僕も走り屋です、
もちろん在り得ない、
しかし、
いるとしたら、
もうそこしかない、――
うまく言えないんですが、
そこに、
その位置に、
視線を走らせたんです。
それが右斜め前の上方、ということになるんです。
そいつと、――
目が合いました。
分かります?
目が合ったんですよ。
こっちを見てました。
めずらしい物でも見るような、そんな目で。
信じられます? イメージできてます? 空中ですよ!
そいつはバイクに跨って、
僕の右斜め前、
路面から2.5メートルくらいの高さを、
飛んでました。
手足が長くて、真っ黒で、この世ならぬ、異形の怪物、
空中にふわりと留まって、無音で、こちらを窺っている。
――
全身の血液が恐怖に沸騰し、逆流したと思います。
やがて、そいつは、ゆっくりと、サイレント映画のスローモーションのシーンみたいに、ゆっくりと路面に着地すると、
再び、「ズダンッ!」という凄まじい音と、悲鳴のような禍々しいスキール音が鼓膜を激しく叩き、でも、もう間に合わない、
左コーナーのガードレールに、――
ぶつかるっ!!!
でも、でもそいつは、バイクを路面スレスレに寝かせた状態でスライドさせて、アクセルを断続的に開け、空転するタイヤ、ガリンッ、という音がして、ステップなのかエンジンブロックなのか、路面に擦れて火花がザァーッ、って散るのが眩しくて、そして眼に滲みるほどの白いガードレールの脚に、でも、でもワザと後輪をぶつけるように、そして、
ドゥラララララッ、
と地味な音がして、ガードレールの、五、六本、その白い脚を後輪で叩くように、はしごを渡るようにして走り抜け、そして、その左コーナーを、驚くことに、曲がり切ってしまいました。——
そして、しかし速度は殺さずに、そのままのスピードで、次の右コーナーに飛び込んで行き、次の瞬間、そいつとバイクは、闇の帳の向こう側に、完全に姿を消しました。
消えたそのバケモノの姿を追い掛けるように、後から悲鳴のようなスキール音と、ガリガリガリガリッ、という擦過音と、狂ったようなカン高いエグゾーストノートが、張り詰めて四囲の暗闇を圧し、轟き渡って、それは耳を澄ます間にどんどん小さくなって行き、しかし、にも関わらず、ずいぶん長いこと聞こえ続けました。ときどきバイクの前照灯の光が、樹々の葉を照らして黄色く、そして小さく、閃くのを見ました。
僕はクルマを停めて、いや、ガードレールに軽く突っ込んじゃってたんですけど、クーラントが焦げる少し甘い臭いを嗅ぎながら、ヤツが走り去っていく、その峠の暗闇を、見えない渓谷の景色を、呆然と眺めていました。
ずいぶん後になってから聞きました。そう、「伝説の走り屋、人間魚雷」とかね。でも、違いますよ、あれ、噂にあった、亡霊なんじゃないですか? やっぱし。だって、人間にあんなことできないですよ、人間に相応しい範囲を超えてます、命があるわけですから、あんなこと、無理だし、うまく言えないんですが、許されないと思うんです、いろんな意味で。
反則だと、……そう、思うんですよ。
(※後略)
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