第43話:伝説はまだ、終わってなんかいない

 電車に乗っていた。


 東海道線の下り、

 ——午後八時三十五分。


 今日もクソ忙しい一日だった。営業で東京に出て、本当は夕方に藤沢こっちに戻ってくるハズだったのに、鳴り止まない携帯電話での電話対応に時間が取られ、捌いても捌いてもキリが無く、最終的に無視シカトを決め込んで電車に飛び乗り、にも関わらず時計を見たらもうこんな時間だ。


 やれやれ。


 横浜方面への下り列車だったにも関わらず車内は空いており、しかしオレは座席には座らず、ドアの前に立って夜景が流れる車窓の景色をぼんやりと眺める。


 京浜工業地帯の石油精製プラントの、SF映画じみた、宇宙空間的な夜景がダイナミックに展開して行く。——銀河鉄道、そんなタイトルのアニメがあったな、七十年代だっけ? そんなことを考え、寄る辺ない広大な、冷たい暗黒の空間を流離さすらっているような、そんな心細い気持ちになる。


 く、


 しかしオレは笑う。口角が、笑みに少しだけ上がる。五十年も生きてきた。飽き飽きするくらい仕事や世の中に揉まれてきた。そして今や、何も感じないくらいに慣れ切った。心細い、なんて感じる神経は、遠い昔に何処かに置き棄てて来たハズだった。


 感傷的になってるな、そう思った。きっと、昨日の明け方に見た、あの夢のせいだ。


 流れる夜景に、単車に乗って頬で風を切る感覚を、オレは思い出す。こんなスピードの中を、いやこんなもんじゃない、感覚が頭脳ごと後方にブッ飛ばされて気を失うようなスピードの中を、ノーヘルで走っていたなんて、本当に信じられない気分だ。


 ——バンッ!!!


 と不意に、風がドアを強く叩いた。


 ハッとする、驚いた。


 窓の外を流れる景色は、今は一面のコンクリートの壁だった。トンネルに入ったのだ。車内に目を転じるが、視線を上げる人は誰もいなくて、自分ひとりだけが、何故か落ち着きを失っていた。車体が風を切る音がトンネルの壁に閉じ込められ、閉鎖空間をくぐもって反響し、車内をいっぱいに満たした。


 かなりの音量だ。


 それは息が苦しくなり、頭が痛くなる程だった。


 閉じ込められている。


 そんな想念が、胃の下の方から湧き上がってくる。人生と言う名のトンネルに、生活と言う名の閉鎖空間に、オレは閉じ込められている。


 息苦しさが増す。


 気分が、悪くなる。


 オレは分厚いコンクリートの壁の中を、高速で何処かに運ばれている。運ばれ続けている。そしてそれは、決して止まることは無い。風を切る音が、無機質なコンクリートの壁を叩き、反響し、増幅されて、


 人間の悲鳴に変わる。


 当たり前に座席に座り続ける人々。額に汗をかいて、オレは下を向く。強く眼をつむる。口を開け、肺に酸素を取り込もうとする。


 息が、出来ない。


 何だか、もう、これ以上耐えられそうになかった。


 しかし、次の瞬間、車内にギッチギチに充満していた発狂寸前のあの悲鳴は、まるで嘘のように霧散して、


 静寂と、


 夜の気配が戻ってきた。トンネルを抜けたのだ。


 は、


 オレは息をき、まぶたを開いて視線を上げ、


 視線を上げて、……


 しかし正面を見据えたまま、


 オレは瞬きが出来なくなった。


 窓の外、街路灯に浮かぶ沿線の国道を、一台の単車が列車と並走して走っていた。それはボンヤリと微かに、金色に光っていた。


 ——無音。


 古ぼけた単車、

 旧式のスポーツバイク、

 ヤマハRZ250初期型、


 何でだ?


 オレは震える声で、そう呟いてしまう。


 闇の中、金色に発光する軽量かるそうな単車にまたがる、痩せぎすな長身の男。革製かわのライディング・シューズ、編み上げの靴紐は足の甲までしか結んでいない、そして化学繊維のグローブを着け、防水素材のライディング・ジャケット、眼にはビンテージタイプのゴーグルを装着し、そして、——


 


 どうしてだ?


 そう声に出していってしまう。だって、——


 


 人間魚雷、


 ハッキリと声にして、オレは呼びかけて見る。誰もこちらを見ない。誰も気付かない。人間魚雷、ヤツもこちらを見ない。まるで気付いていないふうだ。


 は、


 少しだけ、笑っていたかも知れない。


 時代の帳に吸い込まれ二十八年前に姿を消したその、孤独な単車乗りは、やがてこちら側の軌道を逸れて、オレから離れて行く。遠去かり、小さくなって行くその後ろ姿を眼で追いながら、


 窓の外、


 風の向こう側の聞こえないハズの排気音を、


 2サイクルエンジン並列二気筒ツースト・パラツーの叩き付けるような破裂音を、


 聞いたような気がした。


 はは、


 少しだけ、オレは笑ってしまう。


 そうさ、


 オレは思う。


 伝説はまだ、 


 何ひとつまだ、


 終ってなんかいない、と。








 ——「人間魚雷——孤独な、ある単車乗りの死」 了




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間魚雷――孤独な、ある単車乗りの死 刈田狼藉 @kattarouzeki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ