第38話:伝説の終焉——「人間魚雷」の死 6

 あの日、箱根からの帰り道、真夜中の国道一号線イチコクを鎌倉方面へと流していたら、白バイと擦れ違った。こっちはノーヘル。案の定、そいつはすぐにUターンして猛烈なスピードで追いかけてきた。当たり前だ。


 白バイに追尾されて、

 オレは、嬉しくなった。


 浅ましい話だと思うし、恥を承知で言うのだが、当時のオレは本当に孤独で、気が狂いそうだったのだ。


 そもそもオレは孤独を目指したハズだった。自由になる、ということは取りも直さず、孤独になる、ということだ。幼少期からイジメられることが多かったオレは自意識過剰で他人ひとの目が怖ろしく、あの日「カミナリ」に打たれて、オレは「自由」への道を選んだ。他者と敵対し、その他者を、自身の周囲から厳しく排斥したのだ。


 或る者は、

 オレをキチガイと罵った。

 或る者は、

 憐れむような目でオレを見た。


 そして去った。


 単車は自己表現の為のツールだった。

 ギター弾きにとってのギターであり、

 物書きにとってのキーボードだった。


 オレは自分に対する、或いは他者という存在に対する「怒り」をライディングで表現した。相手が想定してないような方法で、手段で、それも出来るだけ危険な方法で、抜き去った。


「峠」でのオレのライディングは、当初かなりの顰蹙を買い、時に激しい抵抗にも会い、大抵のヤツには毛嫌いされたが、一年半ほど経った翌々年の五月には、どうやらオレは関東・東海地方では最速の単車乗りと見做されるようになっていた。「人間魚雷」という呼び名もこの頃からのものだ。


 そもそも「人間魚雷」という呼称は、オレが言い出したものじゃない。誰かは知らない。誰かがオレをそう呼んで、それが固有名詞として定着したのだ。


 お似合いだったんだろう。

 考えてみれば確かにだ。


 ——暗闇の底をブッ飛ぶ、孤独な自殺志願者。


 その「人間魚雷」をブチ抜きたくて、夜な夜な箱根を探し回っていた時期もある。は、笑っちまうよな。「走り屋の亡霊」とかって言われててさ、どんなスゲエ奴なのか、その走りを見てみたかったんだ。自分のことだとは全然思っていなかった。そのうち、だんだんディテールが伝わってきて、「マシンはRZ250初期型」「ノーヘルにゴーグル」「クシタニのライディング・ジャケット」「壁を蹴って走る」って、……オレのことじゃんよ、ってなったんだ。


「痩せぎすな長身の男」っていうのは当時すでに定説だったが、ガリガリに痩せていたのは事実だが、実際の身長は175センチで、それほど高くも無かった。不思議だよな、目撃証言を辿ると、全員が口を揃えて言っているんだ、「長身の男だった」ってさ。


 オレにとってライディングとは、「拒絶」の意思を示す自己表現だった。


 オレは自由だ!

 オマエラの思い通りなんかにはならない!!


 っていう。


 しかし無意識の底の方では、きっと誰かとつながりたかったんだと思う。大好きな単車を通じて、きっと仲間が欲しかったんだと思う。単車に乗っていれば、どんなヤツにも伍していけるし、気後きおくれもない。


 しかし、ライディングの次元レベルが進めば進むほど、オレは孤独になった。オレの走りを誰かに見てもらいたいんだけど、認めてもらいたいんだけど、それ以前に誰も追いてこれないのだ。どころか、パーキングにRZを乗り入れても、誰ひとり、オレを怖れて近付いてこない。目線すら合わさない。きっと、死神みたいに思われていたんだろう。


 こんなことがあった。ある日コンビニに入って、のどかに晴れた昼下がりで、店内には店員二人と数人のお客さんしかいなくて、ジーパンのポケットに手を突っ込んだまま雑誌のコーナーの前に立って、そしたら急に、何の前触れも脈絡もなく、


「この先オレは誰とも繋がり合うことは無いだろう」


 ということがイヤにハッキリと、ハッキリと判ってしまって、オレは息が苦しくなって、いや、息が出来なくなって、慌ててそのコンビニを出た。汗もかいてないのに顔が濡れていた。オレは、本当にひどく狼狽えてしまっていた。


 人間はやはり、猿から進化した生き物で、つまり群れで生きるように設計されていて、際限無く続く本当の孤独には耐えられないのだ。


 だから、白バイが鮮やかな動作で転回して猛烈な加速で追い掛けてきた時は、本当に嬉しかったんだ。口元に笑みが浮き、何だかニヤけてしまって、オレはハーフ・スロットルで追い付かれないくらいに加速しながら、チラチラ後ろを振り返るのを止めることが出来なかった。


 まだいるな、追いてきているな、


 ってさ。


 ブレーキターンとアクセルターンを駆使して平塚の住宅密集地を抜けている間に、その白バイはいなくなった。ちょっとガッカリしたが、或いは、と思って沿岸の相模大橋で待ってみた。


 あっと言う間だった。


 路肩に停車してすぐに、西の方角、平塚方面から遠く爆音が聞こえてきた。——ホンダVFR、すぐに判った。思ったより速かった。もう少しかかると思っていた。その眩い前照灯の光は、まるでエネルギーの塊りのようで、圧倒的な輝度とスピードで迫り来る。時速200キロを超過すると思われた。


 ——警察ケーサツがそんなスッ飛ばしていいのかよ?


 そう思いながらオレは笑み崩れる。


 前照灯の光芒に隠れて見えないヤツの表情が見えるような気がした。ヤツの驚きに見開かれた眼が、見えたような気がした。何でオレがこんなに早く待ち伏せることが可能なのか? 分からないのに違いない。


 オレは別に、普通に走ってきただけだ。それに、あんただって充分速い。


 ふっ、ふふっ、えへへへ、アハハハハハ……


 オレは左足でシフトペダルを踏んでギヤを入れると、アクセルを鋭く開ける。最新のツーストローク・エンジンの発する弾けるような乾いた音ではなく、生ガス混じりの高温の排気が、薄くて硬い金属を叩いて震わせる、湿った音だ——


 パァンッッ!


 ではなく、


 デリリンッ!


 という、くぐもった金属音。


 オレは再度アクセルを開け、左手でクラッチをつなぐ。


 タイヤから白煙を巻き上げながらの急発進。そうさ、確かにはしゃいでいた。


 ンガオオォォ……フォッガァァァアアアアッ!!


 いったん周波数が下がり、しかし回転数がパワーバンドに入ると凶暴で破滅的な排気音が夜の冷気を震わせて轟く。


「人間魚雷」


 そう呼ばれた単車乗りとしての最期の走りを、


 オレは開始した。

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