第39話:伝説の終焉——「人間魚雷」の死 7

 見えるものすべてが眠りにつき、耳鳴りがする程の静けさに支配された未明の国道を、オレはアクセル全開で駆け抜ける。


 オーバーレブまで引っ張って、二速から三速、三速から四速へとシフトアップして行く。シフトアップする毎に後輪が音を立ててアスファルトの路面を空転する。急激に懸かる回転力トルクを、タイヤのグリップ力が支え切れないのだ。


 すべての景色は、遥か前方にある一つの点から発生し、膨張し、爆発して、視界の全域を占領し、瞬時に後方へと消し飛ぶ。その一点を目指して、オレは走り続けてきたと言っていい。


 ライディングを極め、

 スピードを極めた時、


 その世界が生まれる一点に到達することができると、当時のオレは考えてきた。そして、景色の焦点の、その向こう側へと通り抜けることができた時、真に自由なたましいを手に入れることができる、漠然と、しかし真剣に、そう信じてきた。


 相模湾沿岸の134号線を、オレは東に走っていた。茅ヶ崎方面から、遠く明滅する江ノ島の灯台を目がけて、歯を喰いしばり、時速200キロオーバーで、ヤマハ・ロケットの激しく振動する車体にしがみ付く。


 非力で、ちっぽけだ。


 オレも、単車も。


 500メートル前方に、大型の車影と赤く光るテールランプとを認めた。——20キロリットル積みのタンクローリー


 嫌な予感がした。

 うまく言えない。

 それは瞬間に、脳裡にひらめくイメージだった。


 当時、オレは感覚が鋭く、敏感になっていた。ごく僅かな情報——例えば相手のマシンの排気音の、その微妙な抑揚や、サイドミラーに映り込む前照灯の光束の揺らめき、或いは頬に感じる風の、その微かな肌触りなどから、オレは様々なことを読み取れるようになっていた。


「松波」の信号の手前で、ローリーが車頭ヘッドを右に振った時、胸騒ぎがした。一瞬点灯したブレーキランプが、単なる車線変更にしては不自然だった。オレはローリーのその挙動に対し、反射的に体重移動し、左車線に入ったが、違和感は消えなかった。


 胸騒ぎの理由は、もう一つあった。


 信号の手前、左の路肩に、白い光が一瞬、チカッと光った。


「松波」の手前、砂防林の間の路地から134号線へと、四輪車くるまが一台、出て来ようとしているのが分かった。一時停止しないだろう、そこまで分かった。旧い年式のハッチバックのスポーツ・クーペ、一瞬光ったその光の形からそんなことまで分かった。その旧い日産フェアレディZの前照灯の、カーブミラーに反射したその光が見えたのだ。


 一時停止しない。

 衝突するかも知れない。


 微かなきざしや、ささやかなしるしから、自分を取り巻く空間のディテールが、その眼には見えない力の流れが、鮮やかに、クッキリと、鳥瞰ちょうかんできた。


 物事の本質や、その在り様を一瞬で見抜く力を、当時オレは「千里眼」と呼んでいた。自力で獲得した能力であるとは思っていなかった。自力で獲得できたと信じるには、あまりに畏れ多い、不思議な力だった。孤独の代償として、何者かに与えられた力である、という自覚があった。


 嫌な予感のままに、オレは車線変更して左に寄った。その地点は6秒後に通過する筈で、フェアレディZが出てくるよりもこちらが通過する方が僅かにだが早い、という目算があった。結果から言うと、その目算は正しく、正確だった。


 迫りくるタンクローリーの、その車体の左側を擦り抜ける。時速200キロオーバーの、極度に狭窄した視野の中、走行可能なたった一本のを、オレはロック・オンし、アクセルを開ける。


 ——刹那、


 いったん右に振られたトレーラー・ヘッドが、


 左に切れ込んだ。


 左折するタンクローリーの分厚い横っ腹に、


 は塞がれた。







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