第15話:追走、「人間魚雷」——TZR250
■追走、「人間魚雷」——TZR250:月刊モト・ウィング 1997年4月号
化けの皮を剥いでやろうと思った。公道をバイクで走れる速さの限界はある程度決まっていて、それは勿論、マシンの性能と路面の状態によって決まる。何が言いたいのか?それはつまり、十年も昔のマシンであるRZなんて、ハッキリ言って論外だ、ということだ。(※1992年当時:筆者註)
しかしそいつは、峠道を150キロものスピードで走って来て、直線距離でざっと30メートルも跳んで見せた。
驚いた。こっちの想定を完全に超えていた。しかしボクはアクセル全開でクラッチを繋いで急加速しながら「勝てなくも、無い」そう思っていた。
——ただのカミカゼ野郎、
それがボクの「人間魚雷」に対する評価だった。なら大した相手じゃない、公道を走れる速さは、その物理的な限界は決まっていて、しかも相手は、ネイキッドの絶版車と来てる。ちょっとボロイとは言え、レーサーレプリカのTZRが負ける筈が無い。ただ勿論、それは、マシンの性能を限界までキッチリ引き出す技量があれば、の話だ。
追い付いたのは三分後くらいだったろうか?
ほらね、そう思ったよ、
——ボクの方が速かった、
ってさ。
峠のダウン・ヒル、急峻な下りのワインディングで、空をスッ飛んで行くほどの勢いで先行していた「人間魚雷」に追い付いたのだ。それは取りも直さず「こちらの方が速い」ということだ。
背中がゾワゾワするのを感じた、オンナとヤル前みたいな感じ。実際に一緒に走ってみれば大したこと無いに違いない、そう分かってはいた、でもやっぱり嬉しい。このままケツにピタっと張り付いてプレッシャー掛けてミスを待ち、機を見てブチ抜けば、ボクが箱根で「最速」であることが証明される。
人間工学の基づいて設計され、レースという戦いの場で技術的な検証を重ね、磨き抜かれてきたレーサータイプのマシンは、コーナーリングに於いては、曲がりたい方向を見ただけで、その僅かな動作で重心の移動が起きて、乗り手が何もしなくても、マシンの方でそれこそ「勝手に」曲がってくれる。バイクを移動のための「道具」だと、よく言う奴がいるが、その表現は正確じゃない。レーサーレプリカの場合、それに人間が跨った瞬間、人とマシンは一体となり、意思を持った機械、「サイボーグ」となるのだ。
乗り手に求められること。それは、タイヤのグリップを含めたマシンの性能を正確に把握し、走行可能な遠心力の大きさや、制動距離などの限界点を判断すること。それともう一つ、脱力して身体を柔らかく使い、マシンの運動性能を阻害しないことだ。
しかしRZを駆る「人間魚雷」のライディングは、それとはだいぶ違ったものだった。
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