第31話:追走、「人間魚雷」——GS400 7

 先にアクセルを戻してブレーキを掛けたのは、人間魚雷の方だった。

 そりゃそうだ、

 ガードレールまで、あと二〇メートルしかない。


 ——オレの勝ちだ。


 そして、こっちもアクセルを戻す。

 しかし、タイミングとしては遅すぎる。

 意味が無い。


 ヤツのRZのタイヤはすぐにフルロックして、

 バランスを失いスピンしかけ、

 リヤタイヤが前に滑り出て、

 ハンドルを立ててカウンターを切り、

 スライディングでコーナーに突っ込んで行く。


 こっちのGSも両輪ともフルロック、

 タイヤが路面との摩擦で悲鳴を上げて、

 真っ直ぐにガードレールに突っ込んで行く。

 オレは肩を入れ、背中を丸めて衝撃に備える。

 もちろん意味なんて無い。

 単に本能がそうさせているだけで、

 オレは、

 ガードレールを突き破ってブッ飛んで行く覚悟を決める。


 風圧が、頬のザラついた肌を削る。

 悲鳴のようなスキール音が耳を塞ぐ。

 急激な制動によるGで全身の血液が前に移動し、

 その充血した両眼に、

 暗闇に沈むガードレールの向こう側の景色が、

 見えたような気がした。


 勝ちも負けもねえ、そう思った。

 引き分けだ。

 でも、それでいい。

 絶版車二台が、

 意地を張り合ってコースアウトして崖下に転落、

 バカな話さ。

 でも、満足だ。

 だっていい死に方だ。

 そう思わないか?

 イカレてて、

 は、

 最高にカッコいい。


 *******


 はは、

 とか言ってさ、

 結局そうはならなかった。


 いや落ちたよ、だって間に合わない。

 つまり、

 まず、崖じゃなかった。

 急だったけど整地された斜面で、死ぬことは無かった。

 大怪我だったけどな! 死にはしなかった、とりあえず。


 それと、

 落ちたのはオレ一人だった。


 ヤツはヘアピンの右コーナーに対して左側にケツを出してスライドしていた、って言うか、もうブッコケて、ガシャン! ザザァー! ガリガリガリガリッ! って路面を滑ってる感じだけどな、その横倒しに倒れてアスファルトを擦過して行くRZ250が、左に、アウト側に流れて逸れて行って、——


 そこで急に、

 空中に跳ね上がったんだ。


 六〇センチくらいか——


 どうやったのかは知らねえ、どんな体重移動なのかは分からねえ、ヤツは横向きに滑ってベッタリ寝ている車体を素早く立てて、その勢いで、何て言えばいいんだ、ガキが駆けっこで、調子にのって走っていて、急に何かにつまずいて、コケる瞬間に前のめりに、からだがポーンと宙に投げ出される感じで、タイヤが鳴って、次の瞬間、車体が宙に浮いたんだ。まあ、勢いは相当だったからな。空飛ぶくらいの感じはあったしな。オレなんか実際、三〇メートルくらいはブッ飛んじまったしな。


 その、

 アウトに流れ、跳ね上がったタイヤが、


 レコードプレイヤーの針が高速で回転するレコード盤の溝に、少しずつ、正確に、誤差なく落ちるように、


 鋭角に、

 ガードレールのへこみを捉える。


 キィィィィィィーー、という、やっと聴こえるくらいの高周波の音が深夜の空気を鋭く、細く切り裂き、だんだんとその音は大きくなり、直線的にそのガードレールに突き刺さって行くオレの視界の中心にヤツの背中とRZが入ってくる頃には、ガードレールが受ける応力は最大となり、その支柱が、埋め込まれているコンクリートの基礎から抜け出るんじゃないか、って言うくらいにガードレール全体が大きく撓んで、ギイイイイィィーーンンッ! ってスゲエ音で鳴って、そしてその音だけを残して、


 ヤツは走り去った。


 分かるか?

 ガードレールを走ったんだ。

 そしてそのヘアピンカーブを、

 曲がり切っちまったんだ。


 ヤツの姿が視界から消えて、

 少し間があって、

 狂人の、叫び声のような、喉が破れて呼気に血が混じる、そんなふうな凄まじい排気音が、深夜のアスファルトの路面に、痛いほどに、耳に痛くなるほどに叩き付けられる。


 やがて事故ってるレベルのド派手なタイヤのスキール音と、何かに思いっ切りブツかるようなヒデエ破壊音とを背中に聞きながら、オレとGS400は、前輪からガードレールに衝突する。


 強い衝撃が来て、ギュッと締めていた全身の筋肉がバラバラになって、グニャグニャになって、圧倒的な力学の前に枯れ葉のように翻弄されて、オレはGSと一緒に、縦方向に回転しながら空中に放り出される。


 ——ギャハハハハハハハ、


 知らねえよ、でも、そんな笑い声が、聞こえたような気がしたんだ。こっちは十中八九死んじまうっていうのによ。イカれてる、狂ってる、人の命を何だと思ってるんだ。オレは無性に腹が立ってきた。クソッタレ、人生の最期に、そう毒づいてやろうと決意する。だがしかし、口を突いて出た言葉は、自分でも思いも寄らない、意外な言葉だった。


「愛してるぜ」


 笑ってた、と思う。

 たぶん。























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