第36話:伝説の終焉——「人間魚雷」の死 4

 ここからはオレの口から、オレの言葉で語りたい。RZに先行され距離がかなり開いていたため、追尾していた後藤氏からは視認できなかった部分が当然あって、その未確認の部分について、人間魚雷についての数々の伝聞を拾い集めてきたオレにしか推察できない、いや、分からないことがあると思うからだ。


 オレが筆を執ったのは、

 事実を列挙したいからじゃない。


 数多あまたある伝説、伝聞、そしてオレの知るところのカケルとの思い出を繋いで、一本の線で、伝説の単車乗りと呼ばれた男の、その輪郭を浮き上がらせたいのだ。


 そのタンクローリーは外資系の石油会社のもので、20キロリットル積み——最も大型の燃料タンク牽引けんいん車輛だった。走行速度は推定、時速70キロ。RZとの速度差は140キロを超えていたと思われる。


 江ノ島の灯台の光を海上に臨む「松波」の信号の少し手前で、そのタンクローリーはブレーキを踏んだ。


 ブレーキランプが赤く点灯する。


 同時に、

 ローリーは車頭ヘッドを右に、大きく振った。


 それに反応して人間魚雷は、瞬時にマシンを左に寄せる。


 ——右側の通行帯への車線変更、


 そう踏んだのだ。

 当然だ。


 当たり前だが、彼も、そして後藤氏も、二車線あるうちの追い越し車線をカッ飛んでいて、一瞬だが、タンクローリーの巨躯に、進路を塞がれる形となったのだ。


 相互間の距離、推定:約250メートル——

 5秒で、激突してしまう距離だ。


 迷っている時間は無かった。判断にモタつけば即死するスピードだ。現に右車線を塞がれてしまっている以上、脊髄反射的に、瞬時に左に寄るしか選択肢は無い。時速200キロオーバーで、猛烈なGと、風圧とを受けながら、路面スレスレをブッ飛んでいるのだ。


 しかし、無駄のない動作で鮮やかに左の車線に入った、次の瞬間——


 タンクローリーの、右に大きく振られた車頭ヘッドが、左に深く切れ込んだ。


「松波」の交差点を、——左折したのだ。


 *******


 今、こうして安全なところで冷静に考えれば確かに、予測できたこと、ではある。トレーラーが左折するときにトレーラーヘッドを右に振る、よくあることだ。しかし夜間で、目が眩むほどのスピードの中、ブッコケれば即死間違い無しのシチュエーションで下さなければならない瞬間の判断、間違っても無理はない、そう思うのだ。


 たとえ人間魚雷といえども、だ。


 *******


 眼を大きく見開く、


 息が止まる、


 アクセルを戻して瞬時に二速シフトダウン、


 前後輪ともすぐにフルロック、


 甲高いスキール音とタイヤの焼け焦げる臭い、


 間に合わない、


 もう一速シフトダウン、


 カウンターを切って後輪を右に出す、


 ベッタリ寝かせたRZ250の車体、


 タイヤからタンクローリーめがけて突っ込む、


 ド派手な高速スライディング、


 肘を張って深く切ったハンドルを保持する、


神業カミワザだ」


 元白バイ隊員の後藤氏は、そう口にした。


「ライディングの神だ」


 そうも言った。


 しかし物理学の法則に抗う術は無く、


 走り屋の亡霊と噂され、


 悪魔と呼ばれたその「伝説の単車乗り」は、


 周囲を照らす程の火花を路面に撒き散らしながら、


 一直線にタンクローリーの側面の燃料タンクに激突し、


 RZの車体ごと、


 その堅牢で分厚い構造の後輪に音もなく巻き込まれ、


 ——


 即死した。


 *******


 最後に、すべてを語り終えた後藤氏にオレは、気になっていたことを訊いてみた。


「激突の直前、RZはどれくらいのスピードで走行していたんですか?」


 正確な値が聞きたかった。取り締まるために追尾していた訳だから、速度を計測していた筈だ。追尾を止めてアクセルを緩める直前、速度計(ストップメーター)を彼が操作していれば、それは人間魚雷が事故死する直前の、公式な速度の記録、ということになる。


「引き離されていたので正確な値ではないかも知れませんが」


 後藤氏が口を開く。

 やっぱり測っていたんだ、そう思い鼓動が少しだけ速くなる。


「タンクローリーが見えた時点でのRZの走行速度は」


 息を詰め、固唾を呑んで耳を澄ます。


「時速、——240キロです」


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