第4話:記事「『人間魚雷』は実在したか?」前編

 ■徹底検証! ——伝説のカミカゼライダー「人間魚雷」は実在したか?:月刊ライディング・オーバー 1996年3月号


(※前略)


 このあまりに有名な逸話は、結果から言うと、直接見た人間の証言は得られなかった。目撃者が全員、集団暴走行為をしていた未成年者を中心とするグループの構成員、そう「暴走族」であったためだ。


 ここから先は、彼ら「暴走族」の間で、先輩から後輩に語り継がれ、或いはそれを耳にしたローリング族、所謂「走り屋」が仲間内で語り継いだ、その複数ある「噂バナシ」を、筆者がそれぞれの内容を取捨選択し、可能な限り合理的にまとめ直したものだ。しかし、それでも、これが実際に起こった出来事であるかどうかは、現時点で、極めて疑わしいと言わざるを得ない。非合理的な、現実離れした内容が散見されるからだ。


 この年、一九九二年の七月七日、第三京浜の保土ヶ谷パーキングエリアに集結した複数の、違法な改造を施した暴走車輌、通称「族車」は、二十時三十分頃、同パーキングエリアを出発した。この時点では、暴走車輌集団の規模はまだ四十台ほどだったが、横浜新道を南下し、国道一号に入り、やがて相模湾沿岸の一三四号線に出る頃には、江ノ島方面から走ってきた大きな集団と合流したこともあり、二百台程度にまで膨れ上がっていた。世に云う「七夕集会」である。(※実は六十台程度だったとする説もあり、時代的にはこういう集団暴走行為は、既に下火になりつつあった)


 一三四号線を西に進路を取り、相模川を越え、花水川を越えて大磯に至った彼等はそのまま西湘バイパスに乗り、ほとんど車輛がいない夜間の自動車専用道路を独占して西に進んだ。さぞかし気持ちの良かったことだろう。やりたい放題の盛大なパレード、ハイウェイの乱痴気騒ぎ、だ。


 国府津の少し手前、三車線あるレーンのほぼ中央に、バイクが一台停車していた。ど真ん中に、だ。進行方向に対して横向きに、道を塞ぐような格好で停まっていた。全身黒ずくめの背の高い男が跨っていた。ヘルメットは被っていない。そいつはじっと、迫りくる巨大なパレードを見ていた。


 先行していた暴走車輛のストッパー数台が気付き、威嚇するが動じず、物理的な排除を試みるもパワースライドやスピンターンで躱し、結局のところ、元いた位置、元いた姿勢のままパレード本体と向き合う形となった。


 暗黒の夜空を西へと沈みゆく大きな満月を、そのボンヤリと昏く発光する黄色い輪郭を背景に、こちらを窺う男の、その痩せぎすなシルエットが、まるで災禍を警告する不吉な暗示のように、悪魔の到来を予言する運命の影のように、地に根を下ろしてこちらを向き、漆黒の夜空に黒く浮かび上がった。


 ――嫌な予感がした。

 ——怖ろしいと感じた。

 ——悪魔に見られているような気がした。


 この時その彼の姿を視認した人間の多くは、異口同音に、同じような感想を口にするという。暗く屈折した禍々しい意志と、そして強情な欲求とイカレタ願望とを、その薄汚れ、あまりに孤独な佇まいからオーラを見るように感取できるという。


 暴走集団の内、数十台はそのまま行き過ぎ、そしてその大規模なパレードは彼を中心にして完全に停止した。彼は二百台余りに上ったと見られる暴走集団に呑み込まれた位置で、当該集団の統率者数人とコミュニケーションを取ることになった。


 ――ターンパイクやツバキライン、ヤビツ峠に出没する走り屋の幽霊の噂は知っている。人間魚雷という薄気味悪い名前も聞いている。お前がそうか? いい気になるな、ここは峠道じゃない、それに俺達は走り屋じゃない、殺すぞ、――


 上記のような内容の言葉を数名から脅迫めいた、乱暴な言葉づかいで投げ掛けられるが、彼は全く動じず、逆に口を開けて笑ったという。ゴーグルを着けているため眼の表情は分からないが、痩せているせいで大きく見える口が、その薄い唇が捲れて、赤く裂けるように開かれ、人間魚雷は笑顔を作ってみせた。それは、嬉しそうな、ご褒美のお菓子を見せられた子供のような、エゴが剥き出しになった笑顔だった。その時点で暴走集団の主要なメンバーの一人は、強い違和感を覚えたと言う。相手にしたのは間違いだったんじゃないか? 理解不能なエゴイズムと狂気とに、巻き込まれてしまったんじゃないか? 胸の中に充満する、そんな禍々しい不協和音。


 人間魚雷は一言も口を利かなかった。障害があり、或いは発話出来ない、という可能性も否定できなかった。伝説から窺い知れる彼のライディングは、いつ死んでも不思議じゃない、非常に危険なものだったからだ。過去にどんな事故を起こし、どんなひどい怪我をしているか、知れたものじゃない。


 彼はアクセルを大きく開けクラッチを繋いだ。するとタイヤが空転してバイクが一回転半スピンし、西の方角を向いた。サイドカウルには「RZ250」の文字が見えたが、350CCのエンジンに換装していることがその排気音から知れた。


 彼はアクセルを何度か短く開けた。その度に後輪が白煙を上げて空転し、タイヤの焼け焦げる臭いが、周囲に漂った。後ろに雑に撫でつけられたボサボサの髪をして、灰色の年季の入った大きなゴーグルを顔面に装着したそのノーヘルの単車乗りは、暴走族数百人に取り囲まれている、という絶体絶命の、危機的な状況などまるで理解しないふうで、痩せた頬と口元とを笑みに赤く裂き、こちらを振り返って笑っていたという。その笑顔は、人間、というよりは、爬虫類を、見る者に連想させた。またまたアクセルを開ける。白煙と、ゴムの焼け焦げる臭い。


 ——喋りはいいから、もう走ろうぜ


 可笑しそうに笑う、その彼の佇まいと、甲高くて神経質なエグゾーストノートは、そう告げていた。


 ——ついて来いよ、ついて……、これるかなオマエラ?


 年中「ナメられてたまるか」「バカにしやがって」「ケンカ売ってんのか」と相手の思惑を勘繰り、いささか神経症気味なくらい自意識過剰な彼等、当時の不良少年達が、そのボロボロのライディングジャケット姿の男の、その相手を見下し切った意図に気付くのに、さほどの時間は掛からなかった。


 ウオオオオー、という雄叫びと、ナメてッじゃねッぞらクラァ、という定型文的な怒号と共に、複数のバイクが、GS400が、Z-Ⅱが、CBX400F が、XJ400が、人間魚雷跨るRZ250に殺到した。彼はそれを見ると楽しそうに声を上げて笑い、その大口を開けて笑った表情のままアクセルを開け、乱暴にクラッチを繋いだ。RZ独特のヒステリックな排気音の、そのピーキーに跳ね上がる周波数が、急激なカーブを描いて下がり、それと同時に前輪が大きく跳ね上がり、タイヤを空転させながら急発進した。


 ロケット・スタートだ、字義通りの。


 こうして、夏の夜の「悪夢」が、始まった。


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