第5話:記事「『人間魚雷』は実在したか?」後編

 空転するブリジストン—バトラックスが焼け焦げる臭い。


 ——喋りはいいから、もう走ろうぜ

 ——ついて来いよ、ついて……、これるかなオマエラ?


「ザケッだらねッぞらクラァッ!」

「殺ッそクソガキャあ!」

「ンだらァ死ねコラァアアアアア!」


 複数のバイクが、Z400FXが、ホークⅡが、GSX400F が、マッハⅢが、人間魚雷跨るRZ250に殺到した。彼はそれを見ると楽しそうに声を上げて笑い、その大口を開けて笑った表情のままアクセルを開け、乱暴にクラッチを繋いだ。RZ独特のヒステリックな排気音の、そのピーキーに跳ね上がる周波数が、急激なカーブを描いて下がり、それと同時に前輪が大きく跳ね上がり、後輪を激しく空転させながら、人間魚雷は急発進した。


 ロケット・スタート、

 字義通りの。


 彼が走って行く進路上、西湘バイパスの西側には、数十台の族車がいた。彼等は当然、進路妨害を試みるが、人間魚雷はコーナーリングとスライド走法で、そのすべてを躱し切った。凄まじいライディングテクニック。そして、最終的には、時速200キロにまで急加速してスッ飛んで行き、そのノーヘルのカミカゼ野郎の前に立ちはだかるのは、完全に不可能となった。


 この、まだ急加速している時点でのエピソードが後に有名となり、よく走り屋の口の端に上り、論じられ、そして現在に至るまで語り継がれている。


 ハンドルを上から押さえ付けるような、極端な前傾姿勢でカッ飛んでくる人間魚雷に対して、暴走集団の一人が、長さ二メートル近い鉄パイプを野球のバッターのように構え、真正面から横殴りにフルスイングで振り抜いたのだ。普通だったらノーヘルの顔面を強打して大怪我、或いは鉄パイプを胸に喰らってバイクだけ前にスッ飛んで行って大破・全損、本人は袋叩き、という流れだ。


 しかしこの鉄パイプに対して人間魚雷は、中腰低めのスタンディング姿勢となりながら、怖らくは前輪のブレーキを僅かに「当て」、これにツンのめる感じで後輪が浮いて、すぐさま空中で体を入れ換える要領でカウンターを切って車体を横向きにし、路面スレスレに車体を寝かせた慣性スライドで、派手にガリガリガリガリッと火花を散らしながら、その振り抜かれた鉄パイプを、器用にくぐり遂せてしまったのだ。


 ——ギャハハハハハ!


 ベッタリと水平に寝かせてアスファルトの路面を滑り続けるRZ250を、長い手足を活かした体重移動で素早く引き起こし、勢いで前輪を跳ね上げながら、人間魚雷は、大きく口を開けて笑ったという。


 最新の技術革新とは無縁の、古色蒼然たる車種の単車に跨る、しかし腕自慢の乗り手達は、人間魚雷が操るこれまた古色蒼然たる絶版車——RZに追い付こうとするも、怖らくはレーシングマシンのTZ350のそれに換装していたと思われるエンジンのパワーと、そのキチガイじみた回転の伸びに、遂に、真っ直ぐに伸びて行くハイウェイの彼方に、その姿を見失ってしまった。まあ、無理もないだろう。暴走族である彼等は、走り屋のようにハイウェイや峠道でのスピード、或いはライディングの技量を競い合って走っている訳では無いのだ。


 気を取り直し、気合を入れ直して、彼等は暴走行為を再開した。想像するに、何となくシラケたムードが暴走集団全体に漂い、きっと意気が揚がらなかったに違いない。しかし伝統の「七夕集会」である。何とか予定のコースを走り切ってから解散する必要があった。


 そして国府津インターに差し掛かる頃、西湘バイパスの彼方、小田原・箱根方面から、白いライトの光が、眩しさに目を細める程の強い発光が、こちらに向かって近づいてきた。


 ——無音。


 最初はゆっくりに見えたが、だんだんと近付くほどに、それが想定を超える凄まじいスピードであることが知れた。しかしそもそも、高速道路を走行していて、その同じレーンの先の方から前照灯が近付いてくるなんて、有り得ない。彼等は違和感に口を閉ざし、乱暴にアクセルを開けるその手を緩めて、その接近してくる不思議な発光を見た。


 時速200キロオーバーで自動車専用道路を逆走してくるその前照灯は、人間魚雷跨るRZのものに違いなかった。彼のゴーグルが見えた、そしてその次の瞬間には、単車は影のように無音のまま、暴走集団——パレードに、突っ込んだ。


 ——体当たり、

 ——自爆テロ、


 その直後、影を追い駆けてきたレブリミットぎりぎりの断末魔の悲鳴にも似たエグゾーストノートが、鼓膜を激しく叩いた。しかし、それ以外の音はしなかった。


 どういうライン取りと、どういう運転技術がそれを可能にしたのか、彼は族車の密集する、総延長約一キロメートル程のパレードを約二十秒弱で走り抜けた。夜のアスファルトの路面に爆音を叩きつけながら。衝突や接触など一切無しで、だ。そして彼は、そのまま東の方に、平塚方面に姿を消してしまった。


 その後、その暴走集団がどういう状態になったのか、どんな言葉が交わされ、どんな指示が出て、どんなふうに移動したのか、詳細は伝わっていない。語り継がれているのは、その先にある西湘パーキングエリアに、暴走車輛全台が立ち寄り、そこに一時間程滞在した、ということだけだ。


 これはあくまで想像だが、彼等はちょっとした恐慌状態の中、大急ぎでパーキングエリアに移動したのでは、……いや、逃げ込んだのではないだろうか? 怒号だって、きっと飛び交っていただろう。


 ——パーキングエリアに入れ、

 ——早くしろ、

 ——戻って来ちまうぞ、


 その可能性は高かった。


 人間魚雷が逆走して走り抜けた時、ハッキリとは伝わっていないが、その暴走集団の構成員の大部分を占める十代の若者達、いや「子供」達は、たぶん冷静ではいられなかった筈だ。死を、覚悟する必要があっただろう。この逸話についても、人間魚雷の、そのスピードとライディングテクニックだけが、伝説的に語られることが多いが、そのライディングは極めて危険なものであり、謂わば彼等十代の子供達は、その暴走する自己顕示欲に巻き込まれ、そしてそのエゴイズムによって命を落としかけた、と言っても過言ではないのだ。


 やはり、と言うか、人間魚雷は戻ってきた。エンジンブレーキのリズミカルな音を轟かせながら、西湘パーキングエリアに猛スピードで進入し、暴走車輌ひしめく広い駐車場を前にタイヤを滑らせながら停車した。アスファルトとゴムの擦過音。彼は口角を上げながら一度、短く、しかし大きくアクセルを開けた。


 普通に考えるなら殺されかねない程の挑発行為だが、彼の方を見たのはほんの数人だったという。西の夜空を上る満月の下、その光を背に受けてこちらを見る人間魚雷の姿は、この時点で誰の目にも狂気と災禍の化身たる悪魔と映ったに違いない。


 彼はアクセルを開け、絶妙なクラッチミートでタイヤを空転させ、パワースライド的に一回転、その場でバイクをクルッと回転させて見せた。叩き付ける排気音と、轟き渡るスキール音、しかしほとんど誰も見ない。見ている奴も缶コーヒーやタバコを咥えたまま、表情を変えない。見ている奴も、まるで見えていない風だ。もう一度、鋭くアクセルを開ける。誰も振り返らない。誰も反応しない。


 その理由はいちいち説明したくない。そんなの、ヤバイからに決まってる。目が合えば、気違いじみた狂気に巻き込まれる。例えば、単車で体当たりしてくる危険性すら否定できない。それに「荒くれ者のアウトロー」としての面子だってあったろう。見なかったことにしたい、気付かなかったことにしたい、そういう心理的なベクトルが働いた筈だ。


 彼はこの後、この場をすぐに立ち去っているが、その際の様子については、様々な説があり、語る人間ごとに内容はバラバラで、統一的な伝聞、見解に未だ接していない。ただし大雑把に、次の二つの傾向に分類できるように思われるので、併記する。


 YUZOのクロスチャンバーが発するエグゾーストノートを彼等の横っツラに叩き付け、スピンターンで車頭を百八十度巡らした。——ここまでは一緒。そして、


 ——死ぬのが怖いヤツは単車を降りろ。


 と怒鳴り、そして、


 ——オレは神だ、オレより速く走れるヤツなど、この地上には存在しない。


 等と嘯き、爆音を轟かせ、猛スピードで走り去った。


 という説だ。このパターンの伝承が圧倒的に多いのだが、私はもう一つの、少数派のこちらのパターンが、意外と真実に近いのではないだろうかと考えるのだが、どうだろう?


 人間魚雷はその時、何も言わず、何も語らず、ただ、つまらなそうに下を向き、そして、ごく普通に走り去った。


 という説だ。


(※後略)









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る